東京都北区の「紙の博物館」に行ってきました。実は4、5年前にも一度訪れているのですが、そのときは正直なところ、展示の意味を十分に受け止めきれず、ざっと一巡しただけで終わっていました。今回は「紙そのもの」を見に行くというより、「紙がどう生まれ、どう広がり、どう社会を支えてきたのか」を確かめに行くつもりで、じっくり時間を取って見学しました。同じ場所でも、自分の関心の持ち方が変わると、見える景色がまったく違ってくるものだと実感します。
紙の博物館は4階構成で、入口が2階にあります。私はそのまま2階から見学を始めました。2階のテーマは現代から近代にかけての製紙産業です。入ってすぐに目に入るのが、ルイ・ロベールが作成した「世界最初の抄紙機(しょうしき)」の模型でした。紙は身近すぎて、つい「最初から当たり前にあったもの」のように錯覚してしまいますが、紙を連続的に作る仕組みが生まれたことは、情報の流通や産業のスケールを根本から変えた転換点だったのだと、模型の前で改めて思いました。
周辺には産業遺産コレクションとして、ポケット・グラインダーや長網多筒式抄紙機、さらには日本で初めて段ボールを製造した段ボール製造機の復元などが展示されていました。紙という素材は、書く・包む・拭くといった用途だけではなく、輸送や流通の基盤でもあるのだと、段ボールの展示が静かに教えてくれます。普段は商品が届いた瞬間に「箱」としてしか見ていないものの裏側に、装置と技術の積み重ねがあることを意識すると、段ボール一つにも歴史の厚みが宿っているように感じられました。
紙の製造工程の説明も印象的でした。原料が木材か古紙かという入口の違いから始まり、パルプの作成、紙料の調成、抄紙機による紙の形成、そして加工へと続いていきます。各工程で使われる材料や薬品も合わせて展示されており、「紙は自然物のようでいて、実は精密に設計された工業製品なのだ」という当たり前の事実が、具体的な手触りを伴って理解できました。木から紙になるまでの道筋が、単なる知識ではなく工程として頭に入ってくると、紙に触れたときの見方が少し変わります。
続いて3階は体験コーナーです。ここは展示の“理解”が、目から手へと切り替わるフロアでした。紙の肌触りを実際に確かめられるサンプルが並び、同じ「紙」という名前でも、表面の滑らかさ、繊維の感じ、厚みの印象が驚くほど違うことが分かります。さらに、水の中で紙を繊維に戻し、こして繊維だけを残していく様子を確認できる展示もあり、紙が「一度固まった完成品」でありながら、条件次第で再び素材へ戻れるものだと体感できます。古紙が資源として循環する理由が、頭ではなく感覚として腑に落ちる場所でした。
そして4階は、紙の歴史を扱うフロアです。ここで展示は一気に時間をさかのぼり、パピルス、羊皮紙、粘土板、甲骨、木板など、古代の書写材料が実物とともに紹介されていました。「紙がない世界」で人類が何に情報を刻んできたのかを眺めていると、書くという営み自体が、素材の制約と常に結びついていたことが分かります。重く割れやすい粘土板、貴重で加工に手間のかかる羊皮紙、素材が地域に依存する木板や甲骨。情報を残すことが、技術や資源の条件に縛られていた時代を思うと、紙の登場が持つ意味がより立体的に見えてきます。
展示では、紀元前2世紀の中国ですでに紙が発明され、日本には6世紀ごろ、ヨーロッパには12世紀ごろ伝わったことが紹介されていました。前漢時代の麻紙の復元展示もあり、紙が「突然完成形で現れた」のではなく、素材や製法の試行錯誤を経て育ってきたことが伝わってきます。
さらに、製作年代が明確な世界最古の印刷物として、日本の百万塔・陀羅尼が展示されていました。印刷物は情報の複製を可能にしますが、その前提には当然、書写材料としての紙があるわけで、紙と印刷が互いに呼び合うように文明を前に進めてきたことを、実物の存在感が静かに語っていました。
和紙の展示も充実していました。歴史や作り方、名産地、用途が一体として示されており、和紙が単なる「高級な紙」ではなく、生活・信仰・建築・芸術の各領域に深く入り込んだ素材であることが分かります。用途の広がりは、書物や箱といった身近なものだけにとどまらず、ふすまや屏風といった空間そのものを形づくる領域へも及んでいました。服の例として展示されていた東大寺修二会の白紙衣は、紙が「着るもの」になりうるという驚きとともに、儀礼や宗教行事の中で紙が担ってきた象徴性まで想像させてくれました。
最後に1階は記念碑コーナーでした。京都の製紙工場「パピールファブリック」に関連する資料として門などが保存・展示されており、博物館が単に“紙”という物質を集めるだけでなく、紙を生み出してきた産業と、その産業を支えた場所や記憶を残そうとしていることが伝わってきます。技術や製品だけでなく、場の歴史もまた保存の対象になるのだと気づかされました。
こうして一巡してみると、紙の博物館は「紙の展示」ではなく、「紙を通して人間の社会を読む場所」なのだと思いました。情報を残すという行為、産業として大量に作るという仕組み、生活や文化の中で使い分ける感覚、それらが一枚の紙の上に重なっています。4、5年前に興味を持てなかったのは、展示が退屈だったのではなく、私の側に受け取る準備がまだ足りなかったのかもしれません。紙は、あまりにも身近で、あまりにも当たり前です。だからこそ、その当たり前がどう作られ、どう広がり、どう支えられてきたのかを知る体験は、思っていた以上に豊かな時間になりました。
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