六本木の森アーツセンターギャラリーで開催されていた「マチュピチュ展」を見に行きました。入口のイントロダクションを抜けると、いきなり遺跡そのものの話へ突入するのではなく、まずアンデスの世界観から丁寧にほどいていく構成になっていて、「マチュピチュ=インカ」という単純な連想だけでは捉えきれない奥行きを感じました。
最初の「アンデスの世界」では、「三つの世界」が紹介されます。天空の世界(ハナン・パチャ)は鳥と太陽と神々の領域で、現実の世界(カイ・パチャ)は私たち人間が暮らす地上、そして内なる世界(地下世界、ウク・パチャ)は夜や死、見えない力に触れる領域です。アンデスの宇宙観は、上下が断絶しているのではなく、階段状につながって行き来できるものとして語られることが多いのですが、まさにそのイメージを支えるように、階段状の造形をもつ遺物が展示されていました。フクロウやネコを模った遺物も印象的で、フクロウが夜と結びつき、ネコ科の動物が強さや境界を越える力を象徴する、といった連想が自然に湧いてくる配置でした。
さらに驚いたのは、性を前面に出した遺物が思った以上に多かったことです。性交そのもの、ペニスやヴァギナを模した造形が並ぶ光景は、最初はぎょっとしますが、豊穣や再生を神話や儀礼の中心に据える文化では、性が隠すべきものではなく、世界を循環させる原理として扱われてきたのだろう、と見方が変わっていきました。生命を増やし、季節を回し、土地を実らせるという感覚が、造形の直球さにそのまま現れているようでした。
次のコーナーは「英雄アイ・アパエックの旅」です。犬とトカゲを従え、ヒメコンドル(アメリカハゲワシ)に乗って天空を目指す導入から、すでに神話のスケールが大きく、しかも“動物の仲間を連れて旅をする英雄”という型が、ふと桃太郎を連想させて面白く感じました。アイ・アパエックは太陽を救うために地下世界へ向かい、海岸という入口に立ちます。海でカニやウニ、フグから力を授かり、巨大な巻貝の内部を進んで供物を得る場面は、単なる冒険譚というより、自然現象や生命観を物語に織り込むアンデス的な比喩の連鎖に見えました。巻貝が命のサイクルを表すという説明を読んだとき、展示は遺物を「きれいなもの」「珍しいもの」として並べるだけでなく、世界の捉え方そのものを見せようとしているのだと腑に落ちました。
海深くでサメやエイと戦い、最後に英雄が死ぬ展開は、神話としては苛烈ですが、深海が夜を表し、英雄の死が死後の世界を示すという読み解きが付されることで、単なる残酷さではなく、闇を通過して再生する構造が立ち上がってきます。鳥たちにより祖先の住む島へ運ばれ、フクロウの力で男性としての力を取り戻し、豊穣の女神パチャママと契りを交わすという流れは、三つの世界が相互に接続しているという最初のテーマを、物語の形で繰り返し確認させるようでした。力を得たアイ・アパエックが太陽を救い出し、水を護る山の神に巻貝を献上し、最後に自らがトウモロコシになる結末に至ると、英雄が“個人”で終わらず、農耕と季節と共同体の糧へと変換されていくところが強く残ります。自然の循環が英雄譚として語られ、英雄譚がまた人々の生活の説明になっている、その往復がとても魅力的でした。
続く儀式のコーナーでは、生贄や戦士、司祭に関する遺物に加えて、音楽や踊りに関わる造形もあり、神話が「語られるもの」だけでなく、「演じられ、鳴らされ、身体で再現されるもの」だったのだろうと想像が広がりました。アンデスの歴史を振り返れば、インカ以前にも多様な文化が興亡し、やがて15世紀頃にインカが広域支配を築きますが、マチュピチュの背後には、そうした長い積層の上に育った宗教観や自然観が流れ込んでいるのだと思います。石の都市の精巧さだけでなく、その都市を必要とした思想の厚みまで見せようとする展示でした。
そして最後にキープが登場します。結び目で情報を記録する装置として有名なので、知っている人も多いのだと思いますが、展示ケースの前で、友達や恋人に得意げにキープを説明しているグループがいくつもいて、なぜかこちらまで微笑ましくなりました。古代の記録媒体を前にして、人が自然に「知っていることを語りたくなる」光景そのものが、展示の余韻として心に残りました。
マチュピチュという名前から始まった鑑賞が、いつの間にかアンデスの宇宙観と神話、儀礼、記録へとつながっていき、帰り道には「遺跡を見る」というより「世界の見方を借りた」ような気分になっていました。
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