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寺田倉庫G1ビル:NAKED meets ガウディ展:“作品鑑賞”ではなく“思考体験”としてのガウディ

東京都品川区の寺田倉庫G1ビルで開催された「NAKED meets ガウディ展」に行きました。2月11日の午後に一度訪れたときは、想像以上の人気で入場が3時間待ちになってしまい、その日は予定を変更して引き返しました。せっかくなので仕切り直し、別の日の朝10時少し前に再訪すると、この時間でもすでに人が多く、入口を抜けた先のエレベーター前でしばらく待つことになりました。展覧会が始まる前から熱量が伝わってきて、「ガウディは“作品”というより“体験”として見られているのかもしれない」と思いながら列に並びました。

会場に入ると、まずガウディの生涯が簡潔に紹介されます。19世紀後半から20世紀初頭のバルセロナは、産業の発展とともに都市が急速に膨張し、同時にカタルーニャ独自の文化が芸術へと結晶していった時代でした。いわゆるモデルニスモ(カタルーニャ・モダニズム)の潮流の中で、ガウディは歴史主義や装飾の流行に回収されない、自然の秩序そのものを建築へ翻訳するような道を選びます。その入口として、この展覧会は「自然から得た造形美」を前面に出していました。

印象的だったのは、自然物と建築部位を並べて見せる導入です。「小麦」とサグラダ・ファミリア上部の塔、「にんにく」とカサ・バトリョの換気塔、「糸杉の円錐」とベリュスグアルドの塔、「キノコ」とグエル公園の煙突、「樹の柱」とサグラダ・ファミリア内部の柱、「ハチの巣」とカサ・カルベットの覗き穴といった対応関係が、説明とレプリカ展示で示されていました。ここで面白いのは、自然を“模倣”するというより、自然の形が生まれる理屈や強度のあり方を“借りている”ように感じられる点です。曲線は気まぐれな装飾ではなく、重さを受け流し、光を導き、空間を育てるための構造そのものなのだと、最初のコーナーだけでも伝わってきました。

次のコーナーでは、バルセロナ来訪後のガウディの作品が、少し変わった見せ方で並びます。壁面にエル・カプリチョ、カサ・ビセンス、グエル邸、アストルガ司教館、カサ・ボティネスなどのファサードが立体的に配置され、そこにプロジェクションマッピングのような映像が流れていました。建物を単体で鑑賞するというより、街の中で呼吸し、時間とともに表情を変える“都市の一部”として体感させる構成で、バルセロナの通りを歩きながら次々に建築に出会う感覚がうまく再現されているように思いました。写真や図版で知っている建物でも、光や影、リズムが与えられると、急に「そこに人がいる」気配が立ち上がってきます。

工房のコーナーでは、ガウディの道具や幾何学的な設計技法が紹介されていました。ただ、ここはスペースがやや狭いのに対して人が集中していて、前半は後方から眺めるだけになりました。じっくり読みたい解説ほど前に進めないというのは人気展の宿命ですが、ガウディの場合、設計の論理を理解すると形の見え方が変わるので、ここが混み合ってしまうのは少し惜しいところでした。

その流れの中で特に記憶に残ったのが、ポリフニキュラー模型を使った設計の展示です。鎖や糸を垂らして重力の形を取り、その反転をアーチや天井の形に用いる発想は、いかにもガウディらしい「自然法則をそのまま設計装置にする」手つきです。デジタル版とアナログ版の両方がありましたが、デジタルの方は人が多く、私はアナログ版を選びました。結果的に、これについてはアナログの方がずっと分かりやすく感じました。実際に手で触れて、たわみや張力を身体で確かめると、曲線が“見た目”ではなく“力の経路”として理解できるからです。多くの人が混んでいる方に並びがちなのも分かりますが、この展示は、むしろ触れられる側に価値があると思いました。

さらに進むと、建物の部品そのものが並ぶコーナーに入ります。ガウディらしい曲線をもったドアの取っ手、ドア、全身鏡、瓦、ステンドグラスなど、意外なほど多種多様でした。建築は巨大な造形物として語られがちですが、最後に触れるのは手のひらのサイズの取っ手だったり、目の高さの窓だったりします。細部に宿る触感が積み重なって、あの圧倒的な空間体験が生まれているのだと、部品の展示を見ながら納得しました。

加えて、ガウディ直筆のノートも展示されており、思考が形になる前の“途中”を覗き込むような感覚がありました。筆跡心理学の観点からガウディを読み解く研究が添えられていたのも興味深く、建築史だけでなく人物像への好奇心がこの建築家の周囲に集まり続けていることを実感します。

サグラダ・ファミリアのコーナーでは、歴史や模型、設計図などがまとめられていました。サグラダ・ファミリアは、着工から長い時間をかけて現在も建設が続いていることで知られますが、そこには単なる工期の長さ以上に、都市や社会の変化を受け止めながら“建ち続ける建築”という特異な運命があります。ガウディの死後も、資料の散逸や時代の混乱を経ながら計画が継承されてきたことを思うと、ひとりの天才の作品というより、世代を超えて更新される思想の器のようにも見えてきました。

そして最後は「ガウディの思想の継承」、つまり未来の話です。もしガウディが生きていたらニューヨークにどのようなホテルを作ったか、という仮想の問いに対して、AIがデザインした模型が展示されていました。さらに、政情不安によって中断されたタンジール伝道所の予想図や、チリのランカグア礼拝堂の予備的スケッチを元にした模型など、“未完”や“断片”から未来を再構成する試みもありました。ここには賛否があり得ると思います。AIは便利な復元装置にもなりますが、復元の確からしさが増すほど、私たちは「本当にガウディなのか」「ガウディを口実にした別の創作ではないか」という問いを避けられません。ただ、少なくともこの展示が示していたのは、ガウディの価値が完成品だけにあるのではなく、自然法則・構造・光・装飾を一つの体系として組み上げる“考え方”にある、という点でした。その考え方が、時代の技術を借りてどこまで伸びていくのかを想像させる締めくくりになっていたと思います。

全体を通して、ガウディ展でありながら「ガウディの作品を並べる」よりも、「ガウディがどう見て、どう作ったか」を体験させる構成が強く、映像や立体、触れる展示がその意図を支えていました。混雑で諦めた部分もありましたが、朝の時間帯に再挑戦した価値は十分にありました。自然物のレプリカを見た直後に建築部品を見ると、曲線が急に現実味を帯び、サグラダ・ファミリアの模型を見ると、その現実味が“都市の時間”へと拡張していきます。帰り道、寺田倉庫の無機質な空間すら、少しだけ光の入り方や曲面の意味を探したくなっていたので、たぶん私は展示の狙い通りに、世界の見方を少しだけガウディ側へ寄せられてしまったのだと思います。

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