アテネ2日目の午前、リシクラテス記念碑からゼウス神殿へと歩く途中、通りの先に白い石肌がすっと立ち上がる門が見えました。ハドリアヌスの凱旋門です。近づくにつれて、上部が枠だけのように抜け、空を額縁にしているのが分かりました。装飾は最小限で、直線と陰影だけで姿を保つその均整に、二千年という時間の厚みを忘れてしまうほどの清新さを感じました。崩れたのではなく、もともとこのような構成だったのだろうかと想像しつつ、石の継ぎ目や柱頭の彫りをしばらく眺めていました。
この門は、ローマ皇帝ハドリアヌスの治世に、彼がもたらした都市整備を記念して建てられたと伝えられています。アテネの古い市域と、ハドリアヌスによって拡張された新しい地区の境に置かれ、片側には「ここから先はテーセウスの街アテネではない」、反対側には「ここからはハドリアヌスの街である」といった趣旨の碑文が刻まれていたそうです。いわゆる軍事的勝利をたたえるローマ的な“凱旋”というより、都市の新旧を分かつ象徴の門であり、アテネが古典古代の記憶をたずさえたままローマ帝国の時代へと連続していく、その節目を示す建造物だったのだと思います。
素材は、アテネの名峰ペンテリコンから切り出された大理石といわれます。光を受けると白さが冴え、雲が流れると表情を変えるので、写真で見るより軽やかに感じました。高さは見上げるほどですが、巨大建築の威圧感はありません。むしろ、周囲の遺跡や現代の街並みと呼吸を合わせるように、すっきりとした比率で立っています。アーチをくぐって振り返ると、背後にはゼウス神殿の列柱が透け、その向こうに行き交う車と人。古代と現代の時間が一本の視線の上に重なり、門という装置の意味がふっと腑に落ちました。
考えてみれば、二千年も前に、これほど高く、しかも装飾に頼りすぎない端正さを持つ門が、都市の入り口として据えられていたこと自体が驚きです。技術の粋だけでなく、街をどう見せ、どう歩かせるかという「都市の体験設計」への感性がなければ、この軽やかさは生まれないはずです。アテネの石はただ遺るのではなく、今も人の視線や足取りをやわらかく導いているのだと感じました。
この日は、プラカの明るい街角から遺跡へと抜ける散策が心地よく、門の前でも観光客が交代で写真を撮っていました。私は少し離れて、上部の「枠」の向こうを流れる雲をしばらく見送りました。リシクラテス記念碑から続く古代の余韻を、ゼウス神殿の壮大さへとつなぐ、その中継点としての門。名所を結ぶ単なる通過点のはずが、アテネという都市そのものの“見え方”を切り替えるスイッチのように思え、短い滞在の中でも特に印象に残る場所になりました。
門を後にしてゼウス神殿へ向かう道すがら、アテネの空はますます高く、光は大理石の白をいっそう際立たせていました。古いものと新しいものの境目に立ち、今の自分の旅もまた、過去へ線を引きつつ次の場所へ踏み出していく一本の通路なのだと、門に教えられた気がします。
旅程
(略)
↓(徒歩)
リシクラテス記念碑
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
ザッペイオン/アテネ国立庭園
↓(徒歩)
ギリシャ議会議事堂
↓(徒歩)
↓(徒歩)
プニュクス
↓(徒歩)
アテネ国立天文台
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩/ケーブルカー)
ホテル
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