アテネ観光2日目の途中で「リシクラテス記念碑(リシクラテスのコラギコス記念碑)」にも立ち寄りました。朝から遺跡や史跡を巡っていると、どうしても大きな見どころに意識が引っ張られがちですが、この記念碑は「ふと寄り道した先に、都市の文化の芯が残っていた」というタイプの場所でした。プラカ周辺の小さな広場に、円筒形の大理石建築がすっと立っていて、規模は大きくないのに、視線を奪われる端正さがあります。
この記念碑が建てられたのは紀元前335/334年ごろで、ディオニューソスを讃える都市祭(シティ・ディオニューシア)で、合唱(ディテュランボス)の競技に優勝したことを記念して、リシクラテスという資力ある後援者(コレゴス)が奉納したものだとされています。つまり「芸能の勝利」を、個人の名とともに石に刻んで都市空間に残したわけで、紀元前に合唱のコンテストが制度として成立していたこと、その優勝を“記念碑”として建てる文化があったこと、そして誰が勝ち、誰が関わったのかまで記録が伝わっていることに、素直に驚かされました。祭礼と芸能と市民の誇りが、観光資源になる以前から都市の中心にあったのだと実感します。
建築としても見どころが多く、円形平面に6本のコリント式の柱が巡る姿は、優雅でありながら緊張感があります。外観にコリント式を本格的に用いた最初期の例として語られることも多く、細部の彫刻や全体のプロポーションが「小さくても一級品」である理由を納得させます。もともとは屋根の上に、優勝の象徴である青銅の三脚(トリポッド)が載っていたとされ、勝利の記憶が上へ上へと掲げられていた情景を想像すると、この場所の意味が一段立体的になります。さらにフリーズ(帯状浮彫)にはディオニューソスに関わる神話場面が彫られており、ここが単なる記録装置ではなく、祭礼の神に捧げられた造形でもあったことが伝わってきます。
立地も象徴的で、周辺は「トリポドン通り(トリポッドの通り)」と呼ばれ、かつては同種の記念碑が並んでいた道筋だといいます。いまは多くが失われ、この一基が際立って残っているからこそ、逆に当時のアテネで芸能競技がどれほど重要だったのか、想像力が刺激されました。後世には修道院の敷地に取り込まれて保存され、時代によって「ランタン(灯火)」のような愛称でも呼ばれたという逸話まで含めて、古代遺産が都市の生活の中で姿を変えながら生き延びてきたことが分かります。
アテネは、どうしてもアクロポリスやアゴラのような“大きな古代”が主役になります。しかし、リシクラテス記念碑の前に立つと、古代の人々が熱狂したのは戦いや政治だけではなく、歌い、踊り、競い合う芸能の場だったのだと、都市の別の顔が見えてきます。旅の途中でこういう小さな記念碑に足を止める時間があると、アテネの歴史が「遺跡の羅列」ではなく、「人間の営みの連続」として繋がって感じられました。
旅程
(略)
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Holy Church of Saint Catherine
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Roman Stoa
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ザッペイオン/アテネ国立庭園
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ギリシャ議会議事堂
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プニュクス
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アテネ国立天文台
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↓(徒歩/ケーブルカー)
ホテル
地域の名物
- ムサカ
- スブラキ
- ウゾ(ウーゾ)
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