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コンスタンティヌスの円柱:斑岩の柱と、失われた広場の中心


トルコ・イスタンブールに到着した初日の午後、アヤソフィアやスルタンアフメット広場(Sultanahmet Square)を巡った流れで、コンスタンティヌスの円柱(Çemberlitaş Sütunu)まで歩きました。いわゆる「観光初日」は、時差と移動の疲れが残ったまま気持ちだけが先行しがちですが、この日はまさにそれで、歴史の大きさに圧倒されながらも、足はどんどん前へ進んでいきました。

円柱は、想像していたよりもずっと街の生活圏に溶け込むように立っていて、遺跡というより「今も交通の流れの中にある古代」のように見えます。もともとここは、コンスタンティヌス帝が新しい都コンスタンティノープル(当時)を象徴する都市空間として整備したフォルム(広場)の中心で、円柱自体は概ね328年頃に建てられ、330年5月11日の奉献(都市の公式な祝祭)と結びつく記念碑でした。頂上には、光の神ヘリオス/アポロンを思わせる姿で表現されたコンスタンティヌス帝の巨像が据えられていたとされ、槍や宝珠、光条冠といった意匠が語られています。

現地で目を引くのが、柱の胴体をぐるぐると締める「鉄の枠(帯)」です。これは、石材(ポルフィリィ=斑岩)の巨大な円筒ブロックをつなぎとめ、亀裂や崩落リスクを抑えるための補強として取り付けられてきたもので、文献上は古い時期からの金属補強の言及がある一方、オスマン期(16世紀頃)に鉄の輪を加えるかたちで補修が行われ、「輪のある石」という意味のÇemberlitaşの名で呼ばれるようになった、という説明が広く見られます。つまり、見えている帯は「飾り」ではなく、長い時間を生き延びるための実務的な補強の痕跡でもあります。

スルタンアフメット広場からここへ向かう途中、イスタンブールでは日本語で話しかけてくる人が想像以上に多いことにも気づきました。基本的に相手にしないでいると引いてくれることが多いのですが、この日は、広場あたりからずっとついてくる人がいて、何かを売りたいのだろうなと思いながら歩いていました。ところが、こちらが「食事でもどうですか」と返してみると、相手が意外なほど素直に乗ってきて、結果として一緒に夕食を取ることになりました。

そこで相手が飲み始めたのが、水を入れると白く濁る、あの不思議なお酒です。後から知ったのですが、これはトルコの代表的な蒸留酒ラク(rakı)で、アニス由来の香り成分がアルコールには溶けても水には溶けにくいため、水を加えると微小な油滴が分散して光を散乱し、ミルキーに白濁します。いわゆる「ウーゾ効果(louche)」として知られる現象で、ラクが“ライオンのミルク”と呼ばれる所以でもあります。

到着初日でさすがに疲れていたので、私は飲まずに眺めるだけにしましたが、今思うと少しだけでも試しておけばよかったかもしれません。会話自体は思いのほか面白く、観光客向けの定型文ではなく、生活者としての目線が混ざる話が聞けたのも印象に残りました。現地の食事をとり、面白い酒の文化も目の前で見られたので、食事代はこちらが払って、互いに気分よく別れました。

その後、日が暮れた街を歩いてホテルへ戻る道すがら、昼に見た遺跡の輪郭が、夜の気配の中で別の表情に変わっていくのを感じました。コンスタンティヌスの円柱は、ただ「古いものが残っている」だけではなく、補強の鉄輪も、傷も、街の現在形も全部込みで、都市の時間の厚みを見せてくれる場所でした。初日の疲れと高揚が混じったまま、それでも「来てよかった」と思いながら、静かに一日を閉じました。

旅程

(略)

↓(徒歩)

シルケジ駅

↓(徒歩)

アヤソフィア(ハギア・ソフィア)

↓(徒歩)

スルタンアフメット広場(ドイツの泉/テオドシウス1世のオベリスク/蛇の柱)

↓(徒歩)

コンスタンティヌスの円柱

↓(徒歩)

ホテル

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