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ネイサン・フィリップス・スクエア(年越しイベント):深夜の都心で迎えたトロントの新年

トロントの年越しイベントを目当てに、ネイサン・フィリップス・スクエアへ向かいました。トロント観光としては2日目で、目的は「イベントそのもの」と「カナダの真冬に深夜の寒さを体感すること」の二つでした。

ネイサン・フィリップス・スクエアは、トロント市庁舎(トロント・シティ・ホール)の正面に広がる、いわば“市民の前庭”のような広場です。1965年に整備され、1955〜1962年に市長を務めたネイサン・フィリップスにちなんで名付けられた場所でもあります。広場と市庁舎は、フィンランド出身の建築家ヴィルヨ・レヴェルの設計として知られ、現代的な意匠の市庁舎はトロントのランドマークの一つになっています。

この日はイベントに備えて、日本でヒートテックやブーツなどを準備してきました。正直なところ、昼間は屋内の暖房どころか、外でも少し暑いくらいで、むしろ「夜はもっと冷えるはず」と少し期待していたほどです。宿は市街地中心部にしていたので、会場へは年越しの1時間ほど前に出発しました。

ホテルの入口を出るところで、手首に巻くバンドを付けられました。大勢が集まる夜だからこその導線で、セキュリティや入場管理の意味合いが強いのだろうと感じます。外へ出ると、すでに人の波ができていて、ネイサン・フィリップス・スクエアに向かって少しずつ人が吸い寄せられるように進んでいました。時間的に遅かったかもしれないと不安になりましたが、結果的には無事に広場へ入ることができました。

会場ではバンド演奏が始まっていて、観客の熱気がじわじわ伝わってきます。寒さのせいか、音楽に合わせて軽く跳ねている人もあちこちに見え、寒さ対策が“運動”で成立しているのが面白いところでした。一方で、その夜は無風で天気も良く、防寒も効いていたのか、深夜でも「凍えるほどの寒さ」にはなりませんでした。カナダの冬を構えて迎えたぶん、少し拍子抜けするくらい穏やかに感じたのを覚えています。

バンドが一度終わり、年越しの瞬間に向けて、広場全体がいったん静かになる時間がありました。やがて0時の1分ほど前からカウントダウンが始まり、数字がゼロに近づくにつれて周囲の声量が上がっていきます。そしてカウントダウン直後、市庁舎側から花火が上がりました。ネイサン・フィリップス・スクエアの年越しでは、真夜中に市庁舎から花火が打ち上がる演出が定番として紹介されていますが、実際に目の前で見ると、建築のシルエットと花火が重なって「この街の中心で新年を迎えている」感覚が強くなります。

「Happy New Year!」という声や歓声が広がったあと、しばらくして再び演奏が始まりました。ただ、意外だったのはその後の人の動きです。みんな余韻に浸り続けるというより、思った以上にあっさり帰り始めました。もう少し前方へ行きたい気持ちもありましたが、帰宅の流れが強く、こちらも自然と流れに乗ることにしました。

年越し直後に一気に“帰りの導線”へ乗せられたような感覚はありましたが、それだけ人が多いということでもあります。進みは遅く、ホテルへ戻るころには結局3時になっていました。深夜の寒さを味わうつもりが、寒さよりも「大都市の年越しが持つ、人の流れそのもの」を体験した夜だった気がします。

ネイサン・フィリップス・スクエアは、普段はスケートリンクにもなるリフレクティング・プールを備え、市庁舎前の公共空間として日常とイベントが交差する場所です。1965年の完成以来、市民の集会や祝祭の舞台として使われてきたという背景を知ると、年越しの喧騒もまた、この広場の“役割”の延長なのだと納得できます。

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