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六孫王神社:旅の終わりの静寂と、源氏ゆかりの宮

本日は2泊3日の京都・奈良観光の最終日でした。この日は朝から奈良を歩き、夕食を終えてから東京に戻る新幹線まで少し時間があったので、京都駅の周辺を夜散歩することにしました。ところが、コロナ禍が始まったばかりの時期で、普段なら人の流れが途切れないはずの駅周辺が、驚くほど静かでした。大通りですら人影がほとんどなく、旅の終盤にして、京都の「夜の気配」そのものがいつもと違って感じられました。

そんな中でふと見つけたのが六孫王神社です。入口に「清和源氏発祥の宮」と書かれていて、歴史好きとしては素通りできず、吸い寄せられるように境内へ入りました。朱色の灯籠に明かりが点いていて、夜でも境内は思った以上に見通しが利きます。人がいないからこそ、足音や風の音が際立ち、京都駅のすぐ近くにいることを忘れるほど、空気がすっと切り替わった感覚がありました。

まずは本殿で参拝します。六孫王神社の主祭神は、清和源氏の祖とされる源経基(六孫王大神)で、清和天皇の六男・貞純親王の子であることから「六孫王」と称されたといいます。社伝では、経基の邸宅跡にあたる「八条亭」に、嫡子の源満仲が963年(応和3年)に墓所を築き、その前に社殿を造営したのが創建とされています。京都駅周辺の“今”の交通の中心地に、平安期の源氏の記憶が折り重なっていると思うと、旅の終わりにふさわしい発見でした。 

境内を歩いていると、由緒が点ではなく線でつながっていくのを感じます。六孫王神社は多田神社、壺井八幡宮と並んで「源氏三神社」の一つともされ、源氏ゆかりの信仰の拠点として語られてきました。さらに江戸時代には、元禄13年(1700年)から江戸幕府によって社殿の再興が進められ、1707年(宝永4年)に再建が完了したとされます。夜の参拝は一瞬でも、背後には千年単位の時間が流れているのだと実感します。

案内板で印象に残ったのが、誕生水弁財天社です。源満仲の誕生に際して、竹生島の弁財天を勧請し、安産を祈願して産湯に用いた、という由来が紹介されていました。境内の水の話は、戦乱や政権の興亡とは別の軸で、人々の暮らしの願いが積み重なってきたことを感じさせます。なお、満仲誕生水については、かつて境内に湧いていたものの、現在は場所の変遷もあり「二代目」とされ、初代の井戸は新幹線高架の下になって枯渇した、という説明もあります。旅の帰路に新幹線を待つ時間に立ち寄っている自分の状況と、こうした近代の都市インフラの歴史が、境内の一角で交差しているのが不思議でした。

もう一つ、六孫王神社が小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の『怪談』の舞台として紹介されていたのも意外でした。案内では「弁天の同情」という話が触れられていて、神社で拾った達筆の色紙をきっかけに、青年が祈りを重ね、やがて不思議な縁が結ばれていく、という筋立てが示されていました。怪談と聞くと恐ろしさを想像しがちですが、ここで語られるのは、どこか人の情や縁の機微に寄り添う物語として受け取れます。夜の境内でその紹介を読むと、灯籠の明かりが単なる照明ではなく、物語の背景光のようにも見えてきます。

こうして境内を一巡し、再び外へ出ると、京都駅周辺の静けさが戻ってきました。観光の締めくくりに、たまたま見つけた小さな寄り道だったはずなのに、「清和源氏発祥の宮」という言葉から平安の源氏へ、水の伝承から人々の祈りへ、さらに八雲の物語へと、思いがけず多層の京都に触れられた夜でした。人の少ない時期だったからこそ、街の音が薄まり、神社の気配だけがくっきり立ち上がっていたのかもしれません。旅の最後に、歴史の奥行きと、静かな灯りの温度を持ち帰れる散歩になりました。

旅程

(略)

↓(タクシー)

山背大兄王の墓所

↓(タクシー)

法隆寺

↓(タクシー)

薬師寺

↓(タクシー)

(略)

↓(タクシー)

平城宮跡歴史公園

↓(タクシー)

東大寺

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東大寺二月堂

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(略)

奈良駅

↓(JR)

京都駅

↓(徒歩)

六孫王神社

↓(徒歩)

京都駅

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