会津若松をめぐった本日、野口英世記念館や御薬園、鶴ヶ城と歩を重ねたあと、正覚山 十劫院 阿弥陀寺を訪ねました。山門前の石の門に刻まれた「阿弥陀寺」と「会津東軍墓地」の二つの文字が、寺が祈りの場であると同時に、会津戦争の記憶を抱く場所でもあることを静かに告げていました。
境内に入ると、まず目に留まったのは、本堂前ではなく徳川の葵紋を掲げた門前に据えられた狛犬でした。守護の獣が見守る先に広がるのは、東軍として戊辰の役で倒れた人々を弔う墓域です。会津は徳川譜代の松平家の城下町として知られ、維新期には新政府軍(西軍)に対する「東軍」の中核を担いました。石の戒名と小さな供花が並ぶ一角に立つと、史書に並ぶ年号よりも、静けさの中に残る息遣いのほうが切実に過去を語りかけてくるように感じます。
境内には葵の御紋を付した建物がほかにもあり、鶴ヶ城の小天守にあたる「御三階」がこちらに伝わっているとされます。戦乱と政体の転換を経ても、かつての城下文化と徳川ゆかりの記憶が寺に受け継がれていることを、意匠の一つ一つが物語っていました。寺社を歩くとき、建物の配置や紋章は単なる装飾ではなく、その土地が背負ってきた政治と信仰、誇りと悔恨の層を読み解く鍵になるのだとあらためて思います。
最後に本堂へ進み、旅の安全と先人への感謝を込めて手を合わせました。会津の春はやわらかな光に満ち、桜の季節を過ぎた境内には新緑が差し色のように映えていました。観光名所として知られる御薬園や鶴ヶ城の華やぎの先に、阿弥陀寺のように静かに歴史を伝える場所がある—その対比こそが会津らしさであり、歩く者の心に長く残る余韻なのだと感じながら寺を後にしました。
旅程
東京
↓(新幹線/JR磐越西線)
猪苗代駅
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会津若松駅
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