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鹿島神宮:鹿が導く参道、ボールが躍る街、凶を結んで道ひらく

午前中に水郷潮来あやめ園の静かな水辺を歩き、午後は鹿嶋市へ移動して鹿島神宮に向かいました。

鹿島神宮駅から参道へ向かう途中、「塚原卜伝生誕の地」の案内と、凛々しい卜伝の銅像に出会います。戦国期の剣豪がこの地に生まれ、のちに“鹿島の武神”と結びついた剣術を大成したと思うと、参拝前から背筋が伸びました。

駅周辺にはアントラーズを思わせるサッカーボールの石像や鹿のモチーフも見かけ、街全体が神社とサッカーの気風でつながっていると感じます。

朱色の楼門をくぐると、空気が一段ひんやりと変わりました。鹿島神宮は東国随一の古社で、御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。古くから武の守護神として崇敬されてきました。 現在の社殿群は江戸初期の造営が核になっており、家康が関ヶ原戦勝の奉謝として1605年に造営(のち奥宮本殿へ)。続いて二代・秀忠が1619年に現在の本殿を再建、さらに水戸藩祖・徳川頼房が1634年に楼門を寄進しています。楼門は高さ約13メートル、日本三大楼門の一つで重要文化財です。

参道の砂が柔らかく、両脇の杉が高くそびえ、境内全体が森のように広がっていました。公式案内によれば、境内地は東京ドーム15個分に及び、御手洗池や鹿園など見どころが点在します。時間の流れがゆるむようで、都会の喧騒をすっかり忘れます。

まずは大きな鳥居をくぐっておみくじを。結果は人生初の「凶」。仕事も健康も順調な今こそ気を引き締めよう、と軽く笑いながら結び所に結びました。

拝殿で手を合わせ、さらに奥へ。静けさの中に人の往来が絶えず、古社ならではの息づかいを感じます。

奥宮のあたりは、江戸の将軍家の庇護を物語る建築が続き、歴史と信仰が重なり合う濃密な一角でした。

そこから林間の小道をたどって「要石(かなめいし)」へ。地中深くまで伸びるとされる霊石で、武甕槌が地震を起こす大鯰(なまず)を鎮めるという伝承で知られます。鹿島の要石は“凹”、対をなす香取神宮は“凸”という言い伝えもあり、東国の大地を押さえる要(かなめ)の物語に思いを馳せました。

境内では松尾芭蕉の句碑にも足を止めました。芭蕉は1687年に鹿島詣でを記し、『鹿島紀行』として残しています。森の匂いに混じって、旅の余韻のような静けさが漂っていました。

そして鹿園へ。奈良と縁の深い“神鹿”が今も大切に守られ、参道の喧騒から一歩離れた小さな聖域のように感じられます。森の気配と鹿のまなざしが、神域の時間をいっそう長くしてくれました。

最後は境内を反対側に抜け、次の目的地・鹿島サッカースタジアムの「カシマサッカーミュージアム」へ。地域の誇りであるアントラーズの歴史に触れ、武神の社から“現代の武”ともいえるスポーツの殿堂へ、一本の線で結ばれた一日になりました。

歴史の積層と森の深さ、そして現在進行形の熱気。鹿島神宮はそのすべてを抱えながら、参拝者それぞれに静かな余白を残してくれる場所でした。

旅程

(略)

↓(徒歩)

稲荷山古墳群

↓(徒歩)

水郷潮来あやめ園

↓(徒歩)

潮来駅

↓(JR鹿島線)

鹿島神宮駅

↓(徒歩)

塚原ト伝生誕の地

↓(徒歩)

鹿島神宮

↓(徒歩)

カシマサッカーミュージアム

↓(徒歩)

鹿島神宮駅

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