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帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館):戦後は終わりではなく「過程」だった

朝から雨が降り、できれば外に出ずに行ける場所を探していたところ、戦後80年の節目のうちに訪ねたいと思っていた「帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館)」に向かいました。都営大江戸線の都庁前駅に隣接する新宿住友ビル33階にあり、しかも無料ということもあって、当初はビル内の小さな展示を想像していました。しかし実際には想像以上に充実しており、映像鑑賞も含めて気がつけば3時間ほど滞在していました。雨に煙る都心の眺望を背景に、静かに戦後史と向き合う時間になりました。

展示はまず出兵の場面から始まり、軍服や携行品、かばんなどの道具類、そして背中を押すように託された千人針や寄せ書きの旗が並びます。他の戦争資料館で見かける品もありますが、ここでは個々の持ち物が語る「生活の手触り」に焦点が当たり、前線へ向かう人びとの日常が立ち上がってくるようでした。

続くのは終戦後の拘留、なかでもソ連による抑留の章です。ラーゲリ(収容所)の生活、極寒の地での強制労働が、手仕事の遺物とともに伝えられていました。食べ物と引き換えに袖を手放したため片袖のない外套、スプーンをはじめとする手作りの道具──厳しい環境の中で命をつなぐための選択と工夫が、無言のまま来館者に迫ります。引揚が途中3年半中断し、最終的に1956年まで、戦後11年にも及んだことを示す年表は、数字の重み以上に長い待ち時間の感覚を想像させました。

過酷さばかりではありません。現地の女医から寄せられた人形、拘留者が結成した劇団の旗など、限られた自由の中でも人と人がつながり、文化や娯楽を介して心を守ろうとした痕跡も丁寧に紹介されていました。

著名人の体験に触れるコーナーでは、漫画家の赤塚不二夫さんやちばてつやさんの引揚の記憶が展示され、今年51歳の自分にとっても「遠い昔」ではなく、すぐ上の世代の現実だったのだと実感します。

映像コーナーでは、ちばてつやさんの満州からの引揚体験が語られていました。食べ物と引き換えに子どもが売られていく場面、飢えのあまり馬のふんを口にしたという証言は、言葉を失うほど壮絶で、スクリーンの暗がりの中でしばし身動きが取れませんでした。歴史は数字や地名の羅列ではなく、一人ひとりの身体と感情に刻まれた出来事なのだと改めて思います。

訪問時の特別展は「苦難の道程 朝鮮引揚げの記憶と記録」。朝鮮半島には非常に多くの日本人が暮らしていたため、京城(現在のソウル)では自治会が組織され、満州から北部に流入した人びとが封鎖や拘留の対象となった過程が、多面的な資料で示されていました。ソ連による封鎖には、伝染病の拡大を懸念したアメリカ側の要請が作用したという説明もあり、占領、冷戦、衛生政策といった要素が複雑に絡み合っていたことがうかがえます。単純な善悪や加害・被害の枠に収まらない、戦後直後の混沌と現実が、静かな展示空間に重なっていました。

雨天の避難先として選んだ場所は、結果的に「避けて通らないほうがよい記憶」と向き合わせてくれました。ビル直結でアクセスがよく、無料でありながら内容は濃密です。道具一つ一つが語る声に耳を澄ませていると、帰還や引揚は「終わり」ではなく、長い時間をかけて社会や家族に編み直される「過程」なのだと気づかされます。展示室を出てエレベーターから降りると、新宿の街はいつも通りに動いていました。その日常の背後に、あの長い道のりの記憶が静かに流れ続けていることを、忘れずにいたいと思います。

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帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館)

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