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12月, 2025の投稿を表示しています

お札と切手の博物館:触れてわかる信用の設計、紙幣の偽造防止を覗く

東京都北区にある「お札と切手の博物館」を訪れました。名前から、どこか懐かしい紙ものの展示を想像していましたが、実際に足を運ぶと、そこは「紙に刷られた歴史」だけでなく、「国家が信用を守るための技術史」まで体感できる場所でした。お札や切手は日常的に目にする存在ですが、当たり前すぎて、その背後にある工夫や積み重ねを意識する機会はあまりありません。今回は、紙片のように見えるものが、どれほどの知恵と手間で支えられているかを改めて感じました。 まず一階の展示は、現在のお札を入口にして、偽造防止技術を具体的に学べる構成になっていました。実物のお札を使いながら、マイクロ文字やホログラム、潜像模様、すき入れ(すかし)、凹版印刷、特殊発光インキなどが、どの位置に、どのような意図で組み込まれているのかが分かるように示されていました。知識として聞いたことのある言葉でも、実際に目を近づけたり、角度を変えて眺めたりすることで、「なるほど、こうやって見分けるのか」と腑に落ちます。さらに、識別マークのように、視覚に頼らない配慮が組み込まれている点も印象的で、お札がただの印刷物ではなく、多様な利用者を想定した公共インフラであることを実感しました。 偽造防止の展示は「現代の技術紹介」で終わらず、歴史と連続して語られていたところが良かったです。偽造という“攻撃”がある以上、通貨の側は常に“防御”を更新し続ける必要があります。原版製作の直刻彫刻から、機械彫刻へと精度と再現性が高まっていく流れや、製版技術における転写法や電胎法といった手法の変遷は、「信用を刷る」行為が、職人技と工業技術の両方に支えられてきたことを示していました。凹版印刷のように、触れることで分かる立体感を生む技術は、見た目だけではなく触覚も検証に利用する発想で、単に複雑にすれば良いのではなく、人が確認できる形で複雑さを設計している点に説得力がありました。 また、日本最古の近代印刷機の一つとされるスタンホープ印刷機の実物展示も、目を引く存在でした。お札や切手の世界は、つい「図柄」や「人物」に意識が向きがちですが、実際にはそれらを大量に、同じ品質で、そして安全に刷るための機械が不可欠です。印刷機の存在を目の前にすると、お札や切手は美術品でもあり工業製品でもある、という二面性がはっきりと見えてきました。 二階に上がると、展示は一気に時間をさかのぼ...

民音音楽博物館:古典ピアノにオルゴールとオートマタ、実演による音の時間旅行

東京都新宿区の民音音楽博物館を訪ねました。入口を入ってすぐ、ちょうど2階で古典ピアノの演奏があると案内され、まずはその“生きた展示”から鑑賞することにしました。目の前で紹介されたのは、1840年のシュヴァイクホーファー、1800年のヨハン・フリッツ、1834年のコンラート・グラーフといった、19世紀前後の楽器です。いずれも同じ「ピアノ」という名前で括られてはいても、構造や響きの設計思想は時代とともに大きく変化してきたことが、解説を聞くうちに実感として伝わってきました。由来や特徴を説明したうえで、その楽器が活躍した時代の作曲家の音楽を実際に演奏してくださるため、文字情報だけでは掴みにくい「音の輪郭」や「余韻の質感」が、耳と身体で理解できるのが印象的でした。 その後、一階で自動演奏装置による演奏があると聞き、展示室を移動しました。自動演奏装置といっても、ここではオルゴールやからくり人形(オートマタ)といった、機械仕掛けで音楽を奏でる装置を指しています。オルゴールの「キング・オブ・レジナ」をはじめ、道化師と椅子のオートマタなど、多様な仕組みの“自動の音楽”を聴き比べる時間は、音の歴史が「作曲家と楽器」だけでなく、「技術と娯楽」「都市文化と家庭の楽しみ」とも強く結びついてきたことを思い出させます。人の手を介さずに音が立ち上がる瞬間には、便利さとは別の、どこか魔術めいた魅力が残っていて、当時の人々がこの装置に熱狂した理由が少しわかる気がしました。 再び2階に戻ってからは、企画展「日本のオーケストラのあゆみ」を見学しました。西洋音楽が日本に本格的に入ってきた近代以降、教育や軍楽、放送、劇場文化といった社会の変化とともに、オーケストラがどのように根づき、広がっていったのかを、資料を通じて辿れる構成になっています。楽団という“集団の表現”は、優れた演奏技術だけで成立するものではなく、聴衆の形成や支援の仕組み、演奏会文化の成熟といった土壌が必要です。展示を眺めていると、音楽史が社会史でもあることが、自然と腑に落ちてきました。 館内には民族楽器のコーナーもあり、弦鳴楽器(げんめいがっき)、気鳴楽器(きめいがっき)、膜鳴楽器(まくめいがっき)、体鳴楽器(たいめいがっき)という分類に沿って解説と展示が並びます。分類の枠組みがあることで、遠い地域の未知の楽器でも「どうやって音が生まれるのか」...

国立科学博物館:特別展「大絶滅展」

国立科学博物館の特別展「大絶滅展」に行ってきました。科博は何度も訪れていますが、今回は入場の列や待ち時間こそいつも通りだった一方で、会場に入ってからの進みが想像以上にゆっくりで、展示を一つひとつじっくり読む余裕がなかなか作れませんでした。中央に球形の巨大ディスプレイが据えられていて、そこで立ち止まって眺める人が多いことに加え、各テーマを見終わるたびに中央へ戻る導線になっているため、流れが滞留しやすい構造だったのかもしれません。巨大な博物館で「特別展」を成立させる設計の難しさを、混雑そのものから体感するような時間でした。 展示構成は、プロローグから始まり、エピソード1「O-S境界」、エピソード2「F-F境界」、エピソード3「P-T境界」、エピソード4「T-J境界」、エピソード5「K-Pg境界」、エピソード6「新生代に起きた生物の多様化」、そしてエピローグへと続き、いわゆるビッグファイブ(五回の大量絶滅)を軸に、地球史を順に歩かせる設計でした。プロローグでは、通常絶滅と大量絶滅の違いの説明に加え、「大酸化イベント」「全球凍結」など、絶滅や環境激変の文脈を広く押さえていたのが印象的です。さらに「農耕革命」という言葉が登場し、しかもそれが人類史の農耕ではなく、カンブリア紀に生物が海底を掘り返し始めた現象を指すという説明には、言葉の比喩の巧みさと、地球史のスケール感のズレが同時に立ち上がってきて面白く感じました。 エピソード1の「O-S境界」は、オルドビス紀(Ordovician)とシルル紀(Silurian)の境目で、海の環境が揺さぶられた時代です。約4億4500万年前と4億4400万年前の二段階で大量絶滅が起きたという説明を読むと、数億年単位の歴史では百万年が“誤差”のように扱われる感覚に、こちらの時間認識が追いつかなくなります。火山活動に伴う寒冷化が引き金となり、サンゴ礁や浮遊生物が大きな打撃を受け、三葉虫も属数が激減したという流れは、繁栄のピークがいかに脆いかを端的に示していました。 一方で、大量絶滅後のシルル紀には温暖化も重なって多様性が回復し、脊椎動物の登場や植物の上陸へとつながっていくという“復元”の物語が続きます。巨大なスキフォクリニテスの化石や、列を成すユーリプテルスの化石、アクティラムスの大型標本と模型などは、海が主役だった時代の迫力を、視覚で押し切ってく...

国立公文書館:令和7年度第2回企画展 内閣文庫140周年記念 「世界へのまなざし―江戸時代の海外知識―」

国立公文書館で開かれている令和7年度第2回企画展、内閣文庫140周年記念「世界へのまなざし―江戸時代の海外知識―」を観るために出かけました。皇居のお堀を眺めながら建物に近づいていくと、ここには「日本の公的な記憶」が集まっているのだという静かな重みを改めて感じます。今回は、そのなかでも江戸時代の人びとがどのように世界を見ていたのかをたどる展示ということで、期待しながら中に入りました。 最初に迎えてくれたのは、内閣文庫140年の歩みを紹介するパネルでした。太政官正院歴史課の図書掛から始まり、太政官文庫、内閣文庫へと姿を変え、やがて国立公文書館の一部門として受け継がれていく流れがわかりやすくまとめられていました。明治以降の政治や行政の変化とともに、公的な書物や記録をどう守り、どう受け継いできたのかという、日本近代の裏側の歴史を、静かな年表のようにたどる導入でした。 そこからいよいよ本題の企画展「世界へのまなざし―江戸時代の海外知識―」が始まります。プロローグでは、「鎖国」と言われる時代であっても、日本が完全に外界から切り離されていたわけではないことが強調されていました。アイヌ、朝鮮、清、オランダ、琉球といった限られた相手とのあいだでは、貿易や使節の往来を通じて人とモノの交流が続いており、そのなかで海外の知識が少しずつ日本に入ってきたことが紹介されていました。 特に印象に残ったのが、世界地理書「増補華夷通商考」です。六大州が描かれた地図には、現在の世界地図には存在しない「メガラニカ」という架空の大陸が描かれていました。まだ世界の姿が完全にはわかっていなかった時代、人々が限られた情報をもとに「世界」を想像して描いた跡が、紙の上にそのまま残っているようで、思わず見入ってしまいました。間違いも含めて、その時代の「世界像」がそこに可視化されているのだと感じます。 第1章は「来訪する人とモノ」です。ここでは、海外から日本にやってきた人びとと、その姿を記録した書物や絵巻が並んでいました。「朝鮮人来朝物語」では、朝鮮通信使の行列や儀礼の様子が、絵と文字で生き生きと描かれています。整然と並ぶ行列、異国風の装束、沿道で見守る人びとの様子までが細かく描写されていて、江戸の人たちにとって、朝鮮通信使がどれほど大きな「見世物」であり、同時に外交の象徴であったかが伝わってきます。 琉球の使節について...