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ティルタウンプル寺院:清めの水と南国の雨音に包まれた、バリ最後の午後

今年の年末年始は、ツアーでインドネシアを巡る旅に出ています。あっという間の5日間でしたが、最終日の5日目もバリ島で観光が続き、その締めくくりとして訪れたのがティルタ ウンプル寺院でした。午前中はウブドの町を歩き、その後、緑に広がるテガララン ライステラスを眺めながら昼食をとり、いよいよこの旅の最後の目的地として、聖なる水の寺として知られるティルタ ウンプル寺院に向かいました。

ここまでの旅程では、幸いにもほとんど雨に降られず、「やっぱり自分は晴れ男だな」と、少し自信を深めていたところでした。しかしティルタ ウンプルに到着するころ、空が少しずつ暗くなり、細かな雨が落ち始めました。それでも本降りというほどではなく、ときどき傘を差しながら、ゆっくりと寺院を見学していきました。

他のバリ島の寺院と同じように、入口では腰巻のサロンを貸してくれました。腰に布を巻くと、観光客でありながらも、この土地の信仰の場に少しだけ受け入れられたような、不思議な気持ちになります。いくつかの門をくぐりながら奥に進んでいくと、やがてプールのような大きさの沐浴場にたどり着きました。

ティルタ ウンプル寺院は、古くから聖なる湧き水の場所として信仰を集めてきた寺院で、バリ・ヒンドゥー教の人々にとって、ここでの沐浴は心身を清める大切な宗教儀礼です。沐浴場では、石造りの吐水口から絶えず水が流れ落ち、その下には東洋系の人も西洋系の人も、さまざまな国から訪れた人々が列を作っていました。一人一人が順番に湧き出る水を頭から浴び、胸元に手を合わせて祈りを捧げている様子は、観光地というよりも、宗教的な時間が流れている聖域そのものでした。

ガイドの説明によると、すべての湧き水が同じ役割を持っているわけではなく、何番目かの湧き水は葬送の儀礼など特別な意味を持つため、一般の参拝者はそこでは沐浴しないのだそうです。人々はその湧き口を避けるようにして順番に水を浴びており、単に「水に入ってみる」という体験ではなく、それぞれの水に込められた意味を意識しながら儀式を行っていることが伝わってきました。奥の方の吐水口には、さらに長い行列ができていて、最後まで順番を待っている人たちの姿から、この場所の信仰の厚さが感じられました。


今回のツアーでは、残念ながら沐浴自体は行程に含まれておらず、私たちはあくまで見学のみでしたが、湧き出る水の音や、人々が祈りを捧げる静かな緊張感に包まれていると、こちらまで少し背筋が伸びるような気持ちになります。観光写真を撮るだけでは見えてこない、バリの人々の信仰の深さに、ほんの少し触れられたように思いました。

沐浴場を後にしてさらに奥へと進むと、いくつかの寺院建築が並ぶエリアに出ました。茅葺屋根が印象的な建物や、土台部分にびっしりと精巧な彫刻が施された石造りの建物など、どれもじっくり眺めていたくなるものばかりです。彫刻には神々や守護の存在がモチーフとして刻まれており、雨に濡れた石の表面がしっとりと光って、一層重厚な雰囲気を醸し出していました。

一番奥の方まで歩いていったあたりで、空模様が急に変わり、雨脚が一気に強くなりました。さきほどまでの小雨とは違い、まさにスコールのような勢いで降り始めたため、私たちは一時的に屋根のある建物の下に避難することにしました。屋根を打つ雨音がどんどん大きくなり、境内全体が白いカーテンで覆われたように見えましたが、こうした激しい雨もまた、南国の寺院らしい風景の一部なのかもしれません。

少し雨が弱まったところで、ツアーの集合時間も近づいてきたため、バスに戻ることになりました。しかし戻る途中で、再び雨がスコールのような強さに変わり、視界がかすむほどの大雨になりました。傘を差していても、足元や服の裾はすぐに濡れてしまいます。雨の中を急ぎ足で歩くうちに、ツアーの列もところどころで切れてしまい、参加者それぞれが自分のペースでバスを目指す形になりました。

私自身、これまでの旅行ではあまり雨に悩まされることがなく、「自分は晴れ男だ」と半ば本気で思っていたところもありましたが、今回ばかりはその力が少し足りなかったのかもしれません。それでも、少し時間はかかったものの、最終的には全員が無事にバスに戻ることができ、ホッと一安心しました。そのままバスは空港へと向かい、インドネシアの旅もいよいよ終わりが近づいてきたのだと実感しました。

ティルタ ウンプル寺院は、聖なる水の湧く場所として古くから人々を惹きつけてきた寺院ですが、今回の訪問では、歴史や信仰だけでなく、突然のスコールに翻弄されながら境内を歩いた体験も含めて、強く印象に残りました。静かに祈る人々の姿と、激しい雨音に包まれた寺院の風景は、年末年始の旅の締めくくりとして、忘れがたい記憶になりそうです。

旅程

ホテル

↓(観光バス)

Arnadi’s silver and gold and silver class

↓(観光バス)

ウブド王宮

↓(徒歩)

ウブド市場

↓(徒歩)

サラスワティー寺院

↓(観光バス)

テガララン ライステラス

↓(観光バス)

ティルタ ウンプル寺院

↓(観光バス)

ングラ・ライ国際空港(DPS)

↓(ガルーダ・インドネシア航空)

成田空港(NRT)

地域の名物

  • ナシゴレン:焼き飯
  • ケチャ:ダンス

関連スポット

  • バリ州の文化的景観 : トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム
    • ウルン・ダヌ・バトゥール寺院
    • バトゥール湖
    • ペクリサン川流域のスバック景観
    • バトゥカル山のスバック景観
    • タマン・アユン寺院

リンク

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