滋賀県彦根市の清凉寺(せいりょうじ)を訪ねました。
彦根駅から東へ向かう道すがら、山の斜面に「佐和山城跡」という大きな看板が現れ、まずはこの土地の歴史に迎えられた気持ちになりました。佐和山は関ヶ原前夜の緊張をはらんだ舞台で、石田三成の居城としてよく知られています。戦後、城は廃され、やがて井伊家が彦根城を築き近世の城下町が形づくられていきました。そんな時代の重なりを思いながら、清凉寺の参道へ足を踏み入れます。
門前は広く、白い砂利が隅々まで敷き詰められていて清々しい景観でした。参道の脇には堂々と枝を広げる松が立ち、風に揺れる葉の音が静けさを際立たせます。境内に入っても同じく砂利が行き届き、掃き清められた空間が続きました。派手さよりも手入れの良さが印象に残り、寺の姿勢がそのまま風景になっているように感じます。
石碑には井伊家菩提寺の文字。彦根藩主としてこの地を治めた井伊家は、関ヶ原後に佐和山から彦根へと時代の舵を切りました。清凉寺は、その一族の祈りと記憶を静かに受け止めてきた場所です。城や武家屋敷が語る政治の歴史に対して、菩提寺は人としての営みを伝える場だと実感します。勝敗と制度が表の歴史なら、弔いと祈りは裏側から時代を支える柱なのだろう、と。
本堂の前に立つと、お賽銭箱は見当たりませんでした。由緒や宗派によっては、賽銭箱を常時置かないお寺もあります。ここでは静かに手を合わせることがいちばんの礼儀だと受けとめ、合掌して日々の感謝を伝えました。広い砂利の反射光がやわらかく本堂の木肌を照らし、短い祈りの時間がいっそう落ち着いたものになりました。
その後、井伊家の墓所にも足を運び、同じように手を合わせました。家の歴史というと豪壮な城や甲冑を思い浮かべがちですが、墓前に立つと、為政者である前にひとりの人であったことが胸に迫ってきます。代々の当主たちが見てきた季節の移ろいも、ここでは砂利の白さや松の緑に静かに沈んでいるようでした。
清凉寺の境内は、観光の高揚をいったん落ち着かせ、土地の時間の流れに歩調を合わせてくれる場所でした。行きがけに見た「佐和山城跡」の看板は、合戦と政の記憶を呼び起こしますが、門前の砂利と松の風情は、それらを包み込む長い静けさを教えてくれます。城と寺、表の歴史と裏の祈り。その両方が重なり合う彦根という土地の輪郭が、ここで少しはっきりした気がしました。
帰り道、ふたたび砂利を踏む音に耳を澄ませながら、佐和山の斜面を振り返りました。看板の向こうにある城跡と、目の前にある菩提寺。どちらも過去を保存するだけでなく、今を生きる私たちが何を大切にするかを問う場所だと感じます。静かな合掌とともに過ごした短い時間が、彦根の歴史をより身近なものにしてくれました。
旅程
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