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11月, 2007の投稿を表示しています

横浜ランドマークタワー:煉瓦色と海風が交わる場所で、街の時間を味わう

海外からの友人を案内して横浜を巡り、仕上げにランドマークタワーの展望台へ上りました。少し曇っていましたが、港も街もくっきりと見渡せ、これまで歩いた道のりを空からたどり直すような時間になりました。ガラスの向こうに広がる横浜港の水面には、水上バスの白い航跡が細い線を引き、私たちがさっきまで乗っていた揺れの穏やかな時間を思い出させてくれます。 視線を左に送ると、赤レンガ倉庫の一帯が落ち着いた煉瓦色でまとまっていました。友人は、先ほど、自動車のイベントを楽しんだ赤レンガ倉庫が、明治末から大正期にかけて築かれたことに感心していました。港の向こうに広がる埠頭や倉庫群、そこを行き交う船の動きも、展望台から眺めると街の呼吸のように見えてきます。 山下公園方向に目をやれば、中華街の屋根が密集するエリアが霞むように見えました。通りを歩いていたときは、湯気と香辛料の香りがまっすぐ鼻に届きましたが、上から見ると、碁盤の目のような街路の中に人の流れがゆっくりと生まれては消えていく様子がわかります。「下では香り、上ではかたち」と言うと、友人は笑いながら頷き、街は五感で覚えるものだと話が弾みました。 ここ、ランドマークタワーは1993年に開業し、みなとみらい21の象徴として横浜のスカイラインに立ち続けています。かつて造船や鉄道の施設が集まっていたこの一帯は、港町の産業の歴史を土台にしながら、オフィスや商業施設、文化施設が並ぶ新しい都心へと姿を変えました。展望台から足元を見下ろすと、ドックヤードの石造構造が庭として残され、過去と現在が自然につながっているのがよくわかります。 港の青、煉瓦の赤、街路の白い線、そして遠くの海へ伸びる水平線。見下ろす景色のそれぞれに、この日たどった記憶が重なっていきました。観光名所を順番に消化するのではなく、下から歩き、上から俯瞰して、同じ街を二度味わう。友人に横浜を紹介するつもりが、気づけば自分自身があらためてこの街の成り立ちを学び直していました。夕暮れの色が少しずつ港に降りてくるのを眺めながら、横浜の「今」を支えている長い時間の積み重ねを感じ、また別の季節にも同じ場所から見てみたいと思いました。 旅程 東京 ↓(JR) 横浜駅 ↓(シーバス) 山下公園のりば ↓(徒歩) 中華街 ↓(徒歩) 横浜赤レンガ倉庫 ↓(徒歩) 横浜ランドマークタワー ↓(徒歩) 横浜駅 周...

横浜中華街:青い門から赤い廟へ、友人とめぐる異国情緒

現在、横浜に住んでおり、フランスから友人が遊びに来てくれました。東京観光だけではもったいないと感じて、港町らしい風景を楽しんでもらおうと横浜を案内し、その流れで中華街へ足を伸ばしました。 横浜駅からシーバスで山下公園へ移動しました。海を振り返りながら歩き、道路の向こうに青い門が見えてくると、そこが中華街の北側の入口、朝陽門でした。東西南北に色の異なる門が立つ中華街で、青い柱と屋根を持つこの門は、朝日と繁栄を象徴する「東の門」とされています。異国から来た友人にとっても、日本の港町の中に突然現れる中国の街並みは不思議な光景に映ったようで、門の下でしばらく写真を撮りながら、そのきらびやかな装飾を見上げていました。 門をくぐると、ふわっと湯気と香辛料の匂いが混じった空気に包まれます。大通り沿いには、肉まんやゴマ団子、小籠包などを売る店がずらりと並び、店先からはせいろが積み重なった蒸し器が顔をのぞかせていました。せっかくだからと、僕たちも肉まんを買い、熱々を頬張りながら散策を続けました。中華街が形成されたのは、幕末に横浜港が開港し、外国人居留地としてこの周辺に多くの外国人や華僑が住むようになったことが始まりと言われています。明治以降の発展と、関東大震災や戦災からの復興を経て、現在では日本最大の中華街として、年間数多くの観光客を迎える一大観光地になりました。 歩くにつれて、街の中心部にある横浜関帝廟の屋根が見えてきます。ここは『三国志』でおなじみの関羽を祀る廟で、商売繁盛や勝負事の神様として多くの人々の信仰を集めています。きらびやかな赤い柱と金色の装飾、龍が絡み合うように彫られた柱は、まさに「東アジアの神殿」といった趣で、友人もカメラのシャッターを何度も切っていました。関帝廟は、明治初期に小さな祠から始まり、火災や空襲で何度も焼失しながらも、そのたびに地元の華僑たちの力で再建されてきた歴史を持っています。中華街の成り立ちと同じく、この廟にも移民たちの信仰とコミュニティの歴史が刻まれているのだと感じました。 さらに少し歩くと、比較的新しい横濱媽祖廟にも立ち寄りました。ここには、航海や旅の守り神として知られる媽祖が祀られています。媽祖信仰は、かつて航海技術が未発達だった時代、危険な海を渡る人々にとって大きな心の支えだったと伝えられています。横浜港のすぐそばにこの廟が建てられたのも、...