ブダペストのドハーニ街シナゴーグを訪れました。
ブダペスト観光の2日目で、この日はブダ城から英雄広場へと向かう途中に立ち寄りました。街の中心部にありながら、ひときわ印象的な建物で、遠くからでもすぐにそれと分かる存在感がありました。
シナゴーグの外観は、黄金色のレンガを基調とした壁面に、先端が球形の双塔が立ち並ぶ独特のデザインでした。近づいてよく見ると、窓の柵にはダビデの星があしらわれており、ユダヤ教の象徴であることがすぐに分かりました。当時は、仏教やキリスト教以外の宗教施設に自由に入ってよいものか分からず、結局、中には入らず外観だけ見て立ち去ってしまいました。今思えば、内部には礼拝堂や博物館も併設されていたようで、せっかくの機会を逃したのは少し心残りです。
シナゴーグの庭には、ホロコーストの犠牲者を追悼する記念碑がありました。銀色の柳の形をしたモニュメントで、枝の一つひとつには犠牲者の名前が刻まれているといいます。静かな空気が流れ、歴史の重みを感じる場所でした。
ドハーニ街シナゴーグは、ヨーロッパ最大規模のユダヤ教礼拝堂として知られ、19世紀半ばに建設された歴史的建造物です。ブダペストの多様な文化や宗教が共存してきた歴史を象徴する場所でもあり、今では観光客にも広く開かれています。次に訪れる機会があれば、今度こそ中に入り、その空間の静けさと祈りの重みを感じてみたいと思いました。
トーラー
トーラーという言葉を聞くと、多くの人は「旧約聖書の最初の五つの書物」というイメージを持つかもしれません。ユダヤ教の伝統では、それは単なる古い宗教書ではなく、世界の始まりから人間の歴史、掟、そして共同体の生き方を方向づける「教えそのもの」として、大切に読み継がれてきました。ここでは、その内容と成り立ち、さらにトーラーを取り巻くユダヤ教の学びの世界を、少しゆっくりめにたどってみたいと思います。
私たちがふつう「トーラー」と呼ぶとき、具体的には創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の五つの書物を指します。ヘブライ語では「モーセの五書」とまとめて呼ばれ、キリスト教世界では「ペンテチュ―ク(五巻)」とも言われます。創世記は天地創造から始まり、アブラハムやヤコブといった族長たちの物語を通じて、イスラエルという民がどのように形づくられるかを語ります。出エジプト記は、エジプトの奴隷状態からモーセに導かれて脱出するドラマと、シナイ山で契約を結ぶ場面が中心です。レビ記では、祭司や祭儀、清浄と不浄に関する細やかな規定が並び、民数記では荒れ野を旅する共同体の編成や道中の出来事が描かれます。最後の申命記は、約束の地を前にしたモーセが、これまでの道のりと掟を「聞き直し」させる長い説教のような形になっており、五書全体の締めくくりになっています。
ユダヤ教の伝統的な理解では、このトーラーは、モーセがシナイ山で神から授けられた啓示を土台としていると考えられています。出エジプトの物語のクライマックスで、雷鳴と稲妻、角笛の音の中、イスラエルの民が山のふもとに立ち、モーセが山に登って十戒と律法を受け取る場面は、ユダヤ教にとって「啓示の原点」と言える場面です。後のラビ的伝統では、このときに書かれたトーラーだけでなく、後に「口伝律法」と呼ばれる解釈や運用の知恵まで含めて、モーセに託されたと理解する立場もあります。
一方で、近代以降の聖書学は、トーラーの成り立ちを別の角度からも検討してきました。その代表的なものが、いわゆる「資料仮説」です。これは、いま私たちが読んでいるトーラーが、もともと四つの主要な原資料をもとに編集されたと考える学説です。慣例的に、神の呼び方や文体の特徴から、ヤハウィスト資料(J)、エロヒスト資料(E)、申命記資料(D)、祭司資料(P)の四つが区別されると言われます。たとえば、同じ物語なのに細部の違う「二つの版」が並んでいたり、神の呼び名が途中で変わったりする箇所を手掛かりに、もともと別の伝承が編み込まれているのではないかと考えるわけです。19世紀から20世紀にかけて、この四資料説は聖書学の標準的モデルとして大きな影響力を持ちましたが、近年はその内容や年代づけをめぐって、さまざまな修正や批判も出ています。
興味深いのは、こうした学問的な仮説と、モーセがシナイ山でトーラーを授かったという宗教的伝統が、必ずしも一方が他方を完全に否定する形では語られていないことです。信仰の側から見ると、長い歴史の中で語り継がれ、書き継がれたテキストの背後に、神との契約体験があるという理解も成り立ちますし、学問の側は、そのテキストがどのような編集過程を経て現在の形になったかを、あくまで人間側の作業として探ろうとします。読者は、その二つの視点を行き来しながら、自分なりの受け止め方を探すことになるのかもしれません。
トーラーの歴史を考えるとき、書かれた五書だけでなく、「口で伝えられたトーラー」の存在を意識することも大切です。ユダヤ教では、モーセがシナイで授かったのは書かれた律法だけでなく、その解釈と実践の方法を伝える口伝も含まれるとされてきました。この口伝律法が、ローマ帝国支配下でユダヤ人社会が変動し、口伝だけに頼るのが難しくなってきた時代に、書き留められたものがミシュナーです。ミシュナーは紀元2〜3世紀ごろ、ユダ・ハ・ナシ(ユダ大公)によって編纂されたとされ、農業法から祭日、婚姻、民事・刑事法、神殿儀礼や清浄規定にいたるまで、日常生活を律する具体的な規定や議論が六つの「部」に整理されています。
その後、ミシュナーは各地の学院で繰り返し学ばれ、議論の対象となりました。このミシュナーをめぐる何世紀にもわたる討議の記録が、タルムードです。タルムードには二つの版があり、パレスチナ地方で編纂されたエルサレム・タルムードと、より詳しい議論が残されているバビロニア・タルムードがあります。ここでは、トーラーの条文が具体的な生活の場面にどう適用されるのかが、実例や仮想ケースを通して検討されます。タルムードのページを開くと、中央にミシュナーの短い文章が置かれ、その周りを取り囲むようにタルムード本文や中世以降の注釈が配置されていて、まさに「トーラーをどう生きるか」を多世代で対話し続けてきた跡が、そのまま紙面に可視化されているように感じられます。
こうして見ると、トーラーは単独で完結した一冊の本というよりも、むしろ「始まりの核」として働き続けてきたことが分かります。創世記から申命記までの物語と掟は、ミシュナーとタルムードの中で具体的な法律や慣習に姿を変え、さらにその後の注釈書や祈祷書、思想書の中で、時代ごとの問いに応じて読み直されてきました。ある意味で、トーラーの歴史とは、モーセがシナイ山で受け取ったと信じられている言葉が、世代を超えて問い直され続ける歴史でもあります。
現代の私たちは、信仰者であってもそうでなくても、トーラーを「遠い宗教の聖典」としてだけではなく、人間が神や世界との関係をどう言葉にし、どう共同体のルールに落とし込んできたかを知る、一つの貴重な記録として読むことができます。創世記の古い物語から出エジプトの解放のドラマ、レビ記や民数記の細かな規定、申命記の長い説教にいたるまで、一見ばらばらに見える要素が、長い時間をかけて一本の軸に束ねられてきたこと自体が、歴史の中で培われた知恵の厚みを物語っているように思います。
旅程
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Budavári Evangélikus Templom és Gyülekezet
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(略)
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ハンガリー国立博物館
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ドハーニ街シナゴーグ/ Raoul Wallenberg Holocaust Memorial Park
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市民公園 / ヴァイダフニャディ城 / Jaki Chapel
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