昼休みの散歩で新宿の住宅街を歩いていると、「須賀神社」と刻まれた石碑と、上へ伸びる長い石段が目に入りました。いつもは健康のために「少し遠回りして帰る」くらいの気持ちで歩いているのですが、この日は石段の存在感に背中を押され、吸い込まれるように一段ずつ登ってみることにしました。
石段を登り切ると、視界がぱっと開け、朱色の鳥居が迎えてくれます。車通りのある道からほんの少し離れただけなのに、空気が切り替わったように静かで、街の喧騒が遠のいていくのが印象的でした。鳥居の先には社殿が整い、素直に手を合わせて参拝しました。四谷の総鎮守として地域に親しまれてきた神社で、主祭神は須佐之男命(須賀大神)と宇迦能御魂命(稲荷大神)だとされています。古くは「天王様」とも呼ばれ、厄除け・疫病除け、五穀豊穣や商売繁盛など、人々の暮らしに寄り添う信仰を集めてきたことがうかがえます。
須賀神社の歴史をたどると、もともとは稲荷社と牛頭天王社という二つの社が背景にあり、江戸城外堀の普請に伴う遷座(寛永11年・1634年)や、参詣の増加を受けた合祀(寛永21年・1644年)を経て、明治維新後に「須賀神社」と改称したと説明されています。都市が拡張し、道や堀が整えられていく過程のなかで、信仰の場もまた場所や姿を変えながら受け継がれてきたのだと思うと、いま目の前にある境内が、単なる「都心の神社」ではなく、長い時間の積み重ねの上にあることが実感されます。
また、「須賀」という社名そのものも、須佐之男命が八岐大蛇を退治した後に「心須賀、須賀し」と言って宮居を定めたという故事に由来すると紹介されています。神社の名前が、神話の一節と結びついていると知ると、参拝の体験が少しだけ立体的になり、鳥居や社殿の朱がどこか物語の入口のようにも見えてきます。
境内で特に目を引いたのが、「三十六歌仙絵」に関する案内でした。須賀神社には、三十六歌仙を題材にした絵が伝わり、天保7年(1836年)に奉納されたものだとされています。戦災を免れて残った貴重な社宝で、区の指定文化財としても紹介されていました。散歩の延長でふと立ち寄った場所に、江戸の文化人たちの息遣いが確かに残っていることが、少し不思議で、同時にうれしく感じられました。
さらに、火消しのはしごのような鉄製のはしごが祀られていたのも印象的でした。「く組」と呼ばれる江戸の町火消しに関わる「梯子塚」とされ、町を守った人々の誇りや、地域との結びつきを今に伝えるものだという説明を見かけます。都心の神社でありながら、災いから暮らしを守るという切実な願いが、具体的な形として残っている点に、この土地の歴史の厚みを感じました。
こうして振り返ると、あの日の須賀神社は「目的地として訪れた場所」ではなく、「歩いている途中に見つけた場所」でした。しかし、石段を登った先に待っていたのは、四谷のまちが形づくられていく江戸期の記憶であり、和歌の文化であり、火消しの精神でした。昼休みの短い時間でも、ほんの少し視線を上げて寄り道をすると、東京の奥行きに触れられるのだと実感した散歩になりました。
旅程
東京
↓(徒歩)
↓(徒歩)
東京
コメント
コメントを投稿