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丸尾滝:神話の山で出会う温泉の瀑布、風がさらう湯けむり

霧島の最終日は、朝からタクシーを貸し切って上野原縄文の森や霧島神宮を巡り、夕方、丸尾滝にたどり着きました。

陽はまだ傾ききらず、谷あいに柔らかな光が差し込む時間帯です。周辺は温泉地らしく、車を走らせているあいだも道路脇の岩肌や茂みのあいだから湯気が立ちのぼり、鼻先にははっきりと硫黄の香りが届きました。温泉地に来たという実感が、まず匂いでやって来ます。

丸尾滝は、霧島温泉郷を流れる温泉水が集まって落ちる、全国でも珍しい「温泉水の滝」として知られています。落差はおよそ二十数メートル、幅も十数メートルあり、正面に立つと、白い飛沫とともに独特の乳青色がかった水の色が目を引きます。この色合いは、硫黄や湯の花に由来するといわれ、火山と共に生きてきた霧島ならではの景観です。冬の風がやや強く、写真で見かけるような濃い湯けむりは長く留まらず、たちまち流されていきました。手を伸ばして温度を確かめることはできませんでしたが、落下の途中で空気に触れて冷やされ、また周囲の川水と混ざるため、滝壺では温度が下がっているのだろうと想像します。温泉が地表に湧き、谷を下り、やがて滝となって落ちるまでのあいだに、風や水や地形が少しずつ温度と色合いを変えていく。自然の「混ざり合い」のダイナミズムを、目の前で見ているようでした。

霧島の名は、古事記・日本書紀に語られる天孫降臨の地として知られ、霧島神宮はその神話世界を現在に伝える場所です。一方で、上野原縄文の森に立つと、はるかな縄文の生活が重なり、同じ山稜の別の時間層が見えてきます。丸尾滝のほとりに立ちながら、神話から先史、そして火山活動がもたらす温泉文化へと続く時間のレイヤーを、一日の観光の流れの中で手触りとして感じられました。

滝の轟音は力強いのに、立ち去りがたい静けさがありました。岩肌を濡らしながら広がる飛沫のきらめき、冷たい冬の風、そしてかすかな硫黄の残り香。霧島の温泉地では夜にライトアップされることもあるそうですが、日暮れ前の生の光が刻々と表情を変える滝もまた、見飽きません。しばし眺めたあと、タクシーに乗り込み、塩浸温泉龍馬公園へ向かいました。ここは坂本龍馬とお龍が1866年に逗留したことで知られる湯治場の跡で、「日本初の新婚旅行」の行路としてしばしば語られる場所です。火山の恵みが人を癒やし、歴史の登場人物の足跡を今に伝える点でも、霧島の温泉は物語に満ちています。

三日間の鹿児島旅の締めくくりに、火と水と湯が織りなす景観を前にできたことは幸運でした。丸尾滝は派手さよりも、霧島が積み重ねてきた時間と地熱の息づかいを静かに伝えてくれます。次に訪れるときは、風の弱い朝や、気温や湿度の違う季節にも立ち寄って、湯けむりの表情の移ろいを見てみたいと思います。

旅程

(略)

↓(タクシー)

坂元のくろず「壺畑」

↓(タクシー)

上野原縄文の森

↓(タクシー)

国分上野原テクノパーク

↓(タクシー)

(略)

↓(タクシー)

足湯の駅 えびの高原

↓(タクシー)

丸尾滝

↓(タクシー)

塩浸温泉龍馬公園

↓(タクシー)

嘉例川駅

↓(タクシー)

鹿児島空港

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