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護国寺(文京区):仁王門から始まる、江戸の面影をたどる小さな旅

昼休みの散歩の延長で、東京都文京区の護国寺を訪ねました。当時はコロナ禍の最中で、遠出は控えつつも、都内を歩いて気分転換をするのが日課になっていました。以前、新大塚駅の近くに住んでいたにもかかわらず、こんなにも大きなお寺があることに当時は気づいていなかったので、境内に足を踏み入れた瞬間、その広さにまず驚かされました。

護国寺は、五代将軍・徳川綱吉が生母・桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建したと伝わり、江戸の都心にありながら“江戸の面影”を今に残す寺として親しまれてきたそうです。火災で堂宇の多くを失った時代もありましたが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を大きく変えず、保存・再建を重ねながら現在の伽藍が形づくられています。

入口の仁王門をくぐると、参道の途中に手洗水盤が置かれていました。由緒書きによれば、綱吉の生母・桂昌院の寄進とされる蓮の葉形の水盤で、元禄十年(1697)頃の鋳造とも伝わります。 

石段を上り、不老門をくぐると視界がふっと開け、伽藍が点在する境内のスケールがより実感として迫ってきました。不老門は昭和13年(1938)に建立されたもので、仁王門と本堂の中間に置かれている門です。 ここを境に、街の生活音が遠のいていく感覚があり、都内を歩いているはずなのに、空気の層が一枚切り替わるようでした。

中心となる観音堂(本堂)は、元禄10年(1697)に幕命で造営が進められ、同年に落慶したとされます。) 堂々とした姿には、江戸期に将軍家の祈願寺として整えられていった重みがそのまま残っているようで、ただ目の前に立つだけで背筋が伸びました。大師堂は元禄期の堂を後世に大修理・移築して大師堂としたものだといい、簡素さの中に格式を感じさせます。 また、薬師堂は元禄4年(1691)の建立とされ、小規模ながら元禄期の建築の特徴を伝える建物として紹介されています。

境内を歩いていると、大仏や観音堂とは別の堂宇が視線を引き、自然と「次はあちらへ」と足が向きます。多宝塔は昭和13年(1938)に建立され、石山寺の多宝塔(国宝)の模写として造られたと説明されています。 さらに月光殿は、近江の三井寺の塔頭から昭和3年に移築された桃山時代の建物で、書院様式を伝える貴重な存在だそうです。  江戸の寺でありながら、桃山の建築美が不意に現れることで、境内の時間軸が一気に伸びる感覚がありました。

霊廟や鐘楼も巡り、最後は少し立ち止まって境内全体を眺めました。鐘楼は江戸時代中期の建立とされ、梵鐘は天和2年(1682)に寄進されたもので、護国寺が幕府の厚い庇護を受けていたことを示す史料的価値も語られています。  こうした説明を頭に入れたうえで歩くと、建物が「古い」だけではなく、当時の政治や信仰、都市の構造そのものを映す存在として立ち上がってくるのが面白いところです。

コロナ禍の昼休みという短い時間でも、護国寺は十分に“旅”の感覚を与えてくれました。都心のすぐそばに、江戸以来の祈願寺としての骨格を残し、時代ごとの再建や移築を受け止めながら続いてきた場所がある。そう思うと、次に訪れるときは、季節や行事のタイミングを合わせて、もう少しゆっくりと境内の空気を味わってみたくなります。

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