本日、佐倉市観光の一日を始める最初の目的地として、佐倉駅からひよどり坂へ向かいました。
駅前の現代的な風景から少しずつ住宅街に入り、歩みを進めていくと、城下町だったころの面影がところどころににじむエリアへと変わっていきます。その最初の「予告編」のように現れたのが、小沼児童公園でした。
公園の一角には、正岡子規の俳句「霜枯の佐倉見上ぐる野道かな」が刻まれた石碑があります。「霜枯れ」の言葉どおり、子規が詠んだのは冬枯れの景色ですが、訪れた春の佐倉でこの句を読むと、当時の旅人が城下町を見上げた視線がふっと重なるように感じられます。総武鉄道が開通したばかりの時代に、子規も新しい鉄道で佐倉を訪れたと伝えられており、句碑の前で足を止めると、近代の俳人と自分の旅が静かに交差したような、不思議な時間を味わいます。
小沼児童公園を後にしてさらに歩くと、やがて竹林に囲まれた坂道の入口にたどり着きます。ここが、佐倉が誇る「ひよどり坂」です。武家屋敷通りに隣接するこの古い坂道は、江戸時代からほとんど変わらない姿で残っているといわれ、「サムライの古径」とも呼ばれています。両側から高く伸びる竹が頭上で大きなアーチをつくり、視界のほとんどが柔らかな緑色に染まります。
坂道には、竹で組まれた四ツ目垣や御簾垣、鉄砲垣など、いくつかの意匠の異なる垣が効率よく配置されていると紹介されていますが、実際に歩いてみると「景観を整える工夫」というよりも、「武家の町を守るための道づくりの知恵」がそのまま残っているように感じられます。石段はきれいに掃き清められていて、落ち葉ひとつも無駄に散らばっていない印象でした。静かな竹林の中で、足音と自分の呼吸だけがはっきりと聞こえ、掃除の行き届いた坂道を一段一段上がっていくと、背筋も自然と伸びていきます。
途中には腰掛けられる縁台も置かれており、そこで一息つくと、竹の葉が風に揺れるかすかな音が耳に届きます。車の走行音からも遠く、まるで時代劇のセットに迷い込んだような静けさですが、セットではなく、ここで本当に佐倉藩士たちが行き来していたのだと思うと、空気の重さが少し変わって感じられます。
ひよどり坂を抜けると、その先には土塁と生垣が続く武家屋敷通りが待っています。通りに面して公開されているのは、旧河原家住宅、旧但馬家住宅、旧武居家住宅の三棟で、いずれも江戸時代後期に建てられ、佐倉藩士が暮らしていた屋敷です。なかでも旧河原家住宅は、市内に残る武家住宅の中で最も古いものとされており、調度品の展示から当時の武士の暮らしぶりを垣間見ることができます。
こうして振り返ってみると、この日の佐倉散策は、正岡子規の句碑から始まり、ひよどり坂の竹林を抜けて武家屋敷に向かうという、時間軸の異なる「佐倉の歴史」を順番になぞるようなコースになっていました。明治の俳人が見上げた「霜枯の佐倉」と、江戸時代から続く竹林の古径、そして武家の暮らしが残る屋敷。そのいずれもが、現代の佐倉駅から歩いて行ける範囲に静かに共存しているのだと実感します。
観光地らしいにぎやかさよりも、ささやかな生活の気配と歴史の余韻を味わいたいとき、佐倉駅からひよどり坂へ向かうこの散策路は、とても良い入口になると感じました。次に訪れるときは、別の季節の光の中で、竹林の色合いや坂道の表情がどう変わるのかを確かめてみたいと思います。
旅程
東京
↓(JR総武線)
佐倉駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
大手門跡碑
↓(徒歩)
佐倉城址公園
↓(徒歩)
↓(徒歩)
京成佐倉駅
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