奈良国立博物館の正倉院展を目当てに奈良を訪れました。奈良に来るのはコロナ直後の2020年3月以来で、実に5年ぶりになります。東京・京都・九州の三つの国立博物館は既に足を運んでいたので、奈良だけはいつか必ずと心に留めていました。広々とした奈良公園のなか、白い外観が印象的な仏像館が遠目にもよく映え、あらためて「奈良に来た」という実感がわきました。
正倉院展の会場である新館へ向かうと、予約必須にもかかわらず長い行列ができていました。朝の冷え込みがやわらぎ、日が昇るにつれて少し汗ばむほどで、しばし気が滅入りましたが、スタッフの手際がよく列は意外なほどスムーズに進み、ほどなく入場できました。ところが中はまさにすし詰めで、その人気ぶりに圧倒されます。館内アナウンスも「順路にこだわらず、空いているところからご覧ください」と促すほどで、普段のように解説を読み込みながら丁寧に見て回るのは難しく、今回は展示そのものを目で味わい、細かな学びは目録で補う作戦に切り替えました。
木画紫檀双六局や平螺鈿背八角鏡など、奈良時代の宮廷文化の洗練を物語る品々が次々と現れます。材や技法の異国性と、天平美術の端正さが一つの場で交わる様子は、東西交流の結節点としての正倉院の性格をそのまま示しているようで、短い滞在でも十分に伝わってきました。終盤には今回の目玉の一つ、深い青が目を引く瑠璃坏が登場します。ここはさらに人が厚く、少しずつ前へ進んでようやく実物に対面できました。光を受けてわずかに揺れる青の奥行きに、千年以上を生き延びた素材と技術の奇跡を感じます。
ひと通り見終えると、まだ1時間も経っていないのに、人いきれでどっと疲労を覚えました。休憩を兼ねて目録を買い求めようと売り場に向かいましたが、人気のあまり売り切れとのこと。後日オンラインで再販されると案内があり、帰宅後に落ち着いて学び直す楽しみができました。
同じチケットで仏像館にも入れるので、その足で見学しました。特別展示の法華寺十一面観音立像や、金峯山寺仁王門の金剛力士立像をはじめ、時代や地域の異なる仏像が一堂に会しています。堂内の照明に浮かび上がる木肌や彩色の名残は、造像当時の祈りの温度をいまに伝えるようで、正倉院の雅と呼応しながらも、また別の静けさをもたらしてくれました。
途中には坂本コレクションの中国古代青銅器の展示もありました。爵、觚、罍、鼎、鬲――用途やかたちの違いによってさまざまな名で呼び分けられる器群は、造形の精緻さだけでなく、礼制や酒宴の文化史そのものを背負っていることを教えてくれます。東アジアにおける器物と儀礼の体系が、日本の宗教美術と同じ空間に置かれることで、素材・技法・観念の往還がより立体的に感じられました。
年に一度、短期間での開催で、初出の品も並ぶ正倉院展は、混雑もまた「季節の風物詩」と受け止めるべきなのかもしれません。前回訪れたときの奈良は静かでしたが、今回は多くの人々が文化財を楽しもうと集まっていました。その活気にありがたさを覚えつつ、次は目録を片手に、もう少し時間に余裕をもって向き合ってみたいと思います。千年の時間をくぐり抜けてきた宝物と、いまを生きる私たちが同じ空間で出会う――その偶然を、今年も確かに味わうことができました。
旅程
東京
↓(新幹線/近鉄)
近鉄奈良駅
↓(徒歩)
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大和西大寺駅
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