奈良公園の木々が色づきはじめた朝、正倉院展の開場時刻までのひとときに、久しぶりの興福寺を歩きました。コロナ初期に訪れたときは静けさが印象的でしたが、今回は外国語も交じる賑わいが戻り、かつての門前の活気がよみがえったようでした。
まず足を向けたのは興福寺国宝館です。中央に凛と立つ千手観音菩薩立像に迎えられ、堂内から移された仏像や仏具とじっくり向き合います。阿形・吽形の金剛力士像は、吽形の口元に吸い込まれるような静けさ、阿形の踏み込みに生まれる躍動が対をなし、木から命が立ち上がる瞬間を見せてくれるようでした。展示室の空気はしっとりとしていて、時代を重ねた木肌の色艶が、ただ“古い”のではなく“生きてきた”ことを語りかけます。
境内に出ると、まず東金堂へ参拝しました。薬師系の尊像を安置してきた歴史を思い、病や祈りの記憶がこの堂に幾度となく積み重なってきたことに思いを馳せます。
続いて中金堂へ。再建なってからの大屋根と鮮やかな朱が、奈良の空にくっきりと輪郭を描いていました。幾度もの兵火と震災で焼失・再建を繰り返してきた興福寺にあって、中心伽藍の復原は、単なる復古ではなく「都の記憶」を現在に結び直す仕事なのだと感じます。
南円堂へ向かう途中、視界を大きく遮る白い仮囲いに出会いました。五重塔の令和大修理が進行中との掲示。2034年までの長丁場と知り、荘厳な姿をしばらく拝めない寂しさと、千年単位で塔を未来へ手渡す“時間の工事”に立ち会っている喜びが交じります。奈良時代に始まり、藤原氏の氏寺として栄え、幾度も失っては立ち上がってきた寺の歴史の只中に、自分も一瞬だけ紛れ込んだような感覚でした。
次に八角円堂の南円堂を参拝しました。
さらに三重塔へ。
北円堂は静謐そのもので、堂宇を包む空気の密度がわずかに濃くなるように感じます。立ち並ぶ塔や堂は、それぞれが時代の層を抱えながら、全体としてはひとつの“都市の記憶装置”になっている——興福寺を歩くといつもそんな気分になります。
今回の奈良は、正倉院展という宮廷文化の粋をのぞく旅の合間に、興福寺の伽藍を順にたどる時間が加わった形になりました。観光客の笑い声、修学旅行生のざわめき、そして工事現場のかすかな機械音。どれもが寺の長い時間に刻まれる“今日”の音です。かつて藤原氏の氏寺として政治と文化の中心にあり、南都の学問や美術を育んだこの寺は、今も変わらず人を受け入れ、未来へと橋をかけていました。
五重塔の姿と再会できるのはもう少し先になりそうですが、その日までにわたしたちがどんな時間を重ね、どんな祈りを持ち寄るのか——また訪れる理由が、ひとつ増えたように思います。
旅程
東京
↓(新幹線/近鉄)
近鉄奈良駅
↓(徒歩)
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↓(徒歩)
大和西大寺駅
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