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ウルワツ寺院:疲労も眠気も吹き飛んだ、満員の円形劇場で味わうケチャの迫力

今年の年末年始は、ツアーでインドネシアを巡り、年末のツアー3日目の午後にジャワ島からバリ島へ移動して、新年はバリ島で迎えました。4日目はタマン・アユン寺院、タナロット寺院と巡り、その締めくくりとして、夕方にウルワツ寺院を訪れました。バリ島を代表する寺院を一日で三つ巡る、かなりぜいたくな行程です。

ウルワツ寺院(プラ・ルフール・ウルワツ)は、バリ島南端の断崖絶壁の上に建つ海の寺院で、高さ約70メートルの石灰岩の崖の上からインド洋を見下ろすように建っています。もともとの起源は11世紀頃とされ、ジャワから来た高僧・ムプ・クトゥランがこの地に寺院を整えたことが始まりだと言われています。のちに16世紀には、東ジャワ出身の高僧ダン・ハヤン・ニラルタがこの地で瞑想を行い、最後にはここで解脱(モクシャ)に至ったと信じられており、その霊が祀られているとも伝えられます。

バリ島には、島全体の霊的なバランスを守るために配置された「方位寺院」や「六大寺院(サッド・カヒヤンガン)」と呼ばれる重要な寺院群がありますが、ウルワツ寺院もその一つで、島の南西を守護する寺として位置づけられています。海から押し寄せる負の力を防ぐ「海の守り神」のような役割を担っていると言われ、まさに「世界の端にある寺」という雰囲気を漂わせています。

本来なら、断崖と海、沈みゆく夕日がつくり出す大パノラマをじっくり眺めたいところですが、この日は少し事情がありました。

ウルワツ寺院に着いたのは、夕方の少し日が傾き始めた頃でした。入口で腰巻(サロン)を巻き、いよいよ中へ…というところで、ガイドさんから「ここは猿が眼鏡やスマホを盗むので、本当に危ないです」と念を押されました。

スマホはストラップ付きで落下防止もしていたのでまだ安心ですが、問題は眼鏡です。近視が強いため、眼鏡を外すと、世界が一気にぼやけてしまいます。それでも、「ここで猿に眼鏡を持って行かれたら旅どころではなくなる」と思い、覚悟を決めて眼鏡をケースにしまいました。

当然ながら、そこから先はほとんど何も見えません。崖の縁を歩いているのか、寺院の石垣のそばなのか、自分ではよく分からない状態でしたが、同じツアーの参加者の方が話をしながら歩いてくださり、そのおかげで安心して進むことができました。

皆が写真を撮っている気配を感じると、とりあえず自分もカメラを取り出して、何が写っているのか分からないままシャッターを切りました。後で写真を見返すと、崖と海、夕焼けの残光などが思った以上にしっかり写っていて、視力の代わりをカメラに任せた不思議な見学になりました。

途中では、本当に猿にお菓子や帽子を奪われている観光客(ツアーとは別のグループ)を目撃しました。袋菓子をひったくられたり、帽子を持っていかれたりする様子を、ぼんやりした視界の中でもはっきりと感じ取ることができ、「やっぱり眼鏡を鞄にしまっておいて良かった」と心底ほっとしました。

日が沈む少し前になると、ケチャックダンス鑑賞のために会場へ移動しました。ウルワツ寺院のケチャックダンスは野外の円形劇場で行われ、ちょうど夕日とともに始まるように時間が設定されています。この日はかなり混雑しており、私たちは開演の約1時間前に会場へ入りましたが、それでも始まる頃には立ち見が出るほどの満員になっていました。

ケチャックダンス自体は、古代から続くというより、1930年代にバリ人の舞踊家ワヤン・リンバと、ドイツ人画家ヴァルター・シュピースが協力して形を整えた、比較的新しい舞踊です。元々バリにあった「サンヒャン」と呼ばれるトランス儀礼の要素をもとに、ヒンドゥー叙事詩『ラーマーヤナ』の物語を取り入れ、観光客にも分かりやすいストーリーダンスとして構成されたと言われています。


ガムランの楽器を使わず、男性たちの声だけで「チャッチャッチャッ」というリズムを刻み続ける独特のスタイルは、こうした背景から生まれたものだそうです。ケチャックダンスはその後、海外公演を通じて世界中に知られるようになり、今では「バリといえばケチャ」と言ってもよいほど代表的な舞踊になっています。

ケチャの会場に入った頃には、さすがに旅行4日目ということもあり、疲労もたまっていました。炎天下での観光が続いたこともあり、「始まったら寝てしまうかもしれませんね」とツアーの参加者どうしで笑いながら話していました。

ところが、いざ日が沈みかけ、中央に火が灯され、輪になって座った男性たちが「チャッチャッチャッ」と声を上げ始めると、そんな眠気は一気に吹き飛びました。規則的でありながら、少しずつ変化をつけてくるリズム、身体全体を使った揺れ、声の強弱のつけ方が絶妙で、気づけば舞台中央に視線と意識が完全に集中していました。

物語が進むにつれて、王子ラーマと王女シータ、魔王ラーワナに相当する人物たちが登場し、それぞれの役を表す衣装と動きで物語世界へと誘ってくれます。ガルーダや猿(ハヌマーンやその仲間)を演じるダンサーの動きは特に印象的で、腰を低く落とし、手先や足先まで動物らしいニュアンスが込められていました。

とりわけ猿の役のダンサーは、ただ舞台の上で跳ねるだけではなく、満員の観客席の中にずんずんと入り込んできます。観客同士の肩が触れ合うほどぎっしりと埋まった座席のすき間を、器用に、しかもとても素早く通り抜けていく様子は、本物の猿そのもののようでした。偶然にも私のすぐ横を通り過ぎていったのですが、その瞬間の気配やスピード感は、はっきり感じ取ることができ、思わず息をのみました。

炎の明かりと夕闇、何十人分もの「チャッ」という声、そしてダンサーたちの気迫が重なり合い、気がつくと時間の感覚を忘れてしまうほど舞台に没入していました。「途中で寝てしまうかも」と話していたことを、終わる頃にはすっかり忘れていたほどです。

今回のウルワツ寺院訪問は、眼鏡を外していたこともあり、旅のガイドブックが勧めるような「断崖絶壁と海の夕焼けの絶景」を、その場ではほとんど視覚的に味わうことができませんでした。その代わりに、潮風の匂いや、崖に打ちつける波の音、周囲の人々のざわめき、猿が何かをひったくっていく気配、そしてケチャの掛け声が、いつも以上に強く印象に残りました。

後になってカメラの写真を見返すと、自分がそのときどこに立っていて、どんな景色を「見ていたはず」なのかが、ようやく輪郭を持って立ち上がってきます。崖の上に建つ寺院のシルエットや、海へと沈む夕日、赤く染まる空と観客席の様子を写真で追いながら、「あのとき耳で聴いていた音や、肌で感じていた空気は、こういう景色の中で生まれていたのだな」と後追いで理解する、少し変わった体験になりました。

ウルワツ寺院は、海と空と断崖の狭間に立つ「境界の寺」のような場所です。古くから海からの災いを防ぐ守りの寺として信仰を集めてきたことを思うと、今回のように視覚よりも五感全体を通してこの場所を「感じる」ことになったのも、何か象徴的な巡り合わせだったのかもしれません。

タマン・アユン寺院とタナロット寺院を巡った一日の締めくくりとして、ウルワツ寺院でケチャックダンスに心を奪われた体験は、年末年始のインドネシア旅行の中でも、ひときわ強く記憶に残る時間になりました。今度もし再訪する機会があれば、そのときはしっかり眼鏡をかけたまま、断崖と海の絶景もあわせて味わってみたいと思います。

旅程

ホテル

↓(観光バス)

タマン・アユン寺院

↓(観光バス)

タナロット寺院

↓(観光バス)

Coffee luwak bukit sar

↓(観光バス)

ウルワツ寺院

↓(観光バス)

ホテル

地域の名物

  • ナシゴレン:焼き飯
  • ケチャ:ダンス

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