スキップしてメイン コンテンツに移動

タナロット寺院:渡れそうで渡れない海の向こうの聖地を眺めて

バリ島で新年を迎えたあとに訪れたタナロット寺院は、印象の強い場所でした。海沿いの参道をしばらく歩き、視界がひらけた瞬間に現れる青い海と、その沖合の岩の上に乗った寺院の姿は、事前に写真で見ていてもやはり別格に感じます。

タナロット寺院は、バリ島南西部タバナン県の海沿いにある、ヒンドゥー教の海の寺院です。「タナ・ロット」はバリ語で「海の中の大地」「海に浮かぶ土地」といった意味があり、その名の通り、海に突き出した大きな岩の上に本堂が建てられています。15〜16世紀ごろ、ジャワ島からやって来た高僧ダン・ハヤン・ニラルタ(Dang Hyang Nirartha)が、この岩を海の神々を祀るのにふさわしい聖地と考え、寺院を創建したと伝えられています。現在も海の神・バトゥラ・セガラ(デワ・ブルナ)を祀る重要な海岸寺院であり、バリ島の海岸線に点在する「海の寺院群」の一つとして島を守っていると言われています。

敷地に入り、土産物屋が並ぶ道を抜けてしばらく歩くと、視界の先に海が広がり、黒い岩の上にタナロット寺院のシルエットが見えてきました。遠目には小さく見えていた建物も、海岸まで下りていくと、思った以上に高さのある岩の上にしっかりと立っていることが分かります。ガイドさんからは「寺院の中には観光客は入れません」と説明を受けていたので、最初から外から眺めるつもりではありましたが、いざ近くまで行ってみると、岩の手前には海水がたまり、小さな湾のようになっていて、「これは入れないというより、そもそも渡れないですよね」と同じツアーのお客さんと笑いながら話していました。

後から聞いたところによると、波の合間をぬって、浅いところを渡っていく人の姿もあったようです。寺院関係者とおぼしき人が、足元を確かめながら海を渡って岩に上がっていく様子を見た方もいたそうで、一見すると波が強く危険そうに見えますが、潮の具合や足場を知っていれば、きちんと渡れるようになっているのかもしれません。満ち潮と引き潮で、寺院へ続く道が現れたり消えたりする光景自体が、この寺院の「海の聖域」という性格をよく表しているように感じました。

このときは30分ほど自由時間があり、それぞれ思い思いに過ごしました。

寺院の建つ岩の正面だけでなく、少し高台になっている他の建物のあたりを歩いてみると、タナロット寺院を見下ろすような角度から写真を撮ることができます。さらに、岩の裏側に回り込むようにして岸を歩くと、先ほどとは違う横からのシルエットや、岩肌に打ち付ける波の様子など、また別の表情が見えてきます。同じ寺院でも、見る位置を少し変えるだけで、海と岩と建物のバランスが変わり、写真にもバリエーションが出るのが楽しかったです。

歴史的には、タナロット寺院はバリ島でも特に人気の高い観光地であると同時に、今も現役の信仰の場です。創建者とされるニラルタは、バリ各地に多くの寺院を築いた宗教改革者として知られており、タナロットもその一つです。寺院の周辺には、海の神をたたえる祭礼や、ニラルタの功績を伝える儀式が今も続いていて、地元の人々にとっては、観光写真の名所以上に、暮らしと結びついた信仰の場になっています。

一方で、外から眺めている旅行者の目には、海と寺院と空がつくり出す風景が、どうしても強く印象に残ります。潮風に吹かれながら、岩の上の小さな寺院を眺めていると、長い時間をかけて岩を削り出してきた波と、その上に建てられた人間の信仰の象徴が、ここで静かに同居しているように感じられました。バリ島で新年を迎えた翌日にこの場所を訪れたことで、自分自身の一年の始まりにも、少し特別な幕が開いたような気持ちになりました。

旅程

ホテル

↓(観光バス)

タマン・アユン寺院

↓(観光バス)

タナロット寺院

↓(観光バス)

Coffee luwak bukit sar

↓(観光バス)

ウルワツ寺院

↓(観光バス)

ホテル

地域の名物

  • ナシゴレン

リンク

コメント

このブログの人気の投稿

寺田倉庫G1ビル:NAKED meets ガウディ展:“作品鑑賞”ではなく“思考体験”としてのガウディ

東京都品川区の寺田倉庫G1ビルで開催された「NAKED meets ガウディ展」に行きました。2月11日の午後に一度訪れたときは、想像以上の人気で入場が3時間待ちになってしまい、その日は予定を変更して引き返しました。せっかくなので仕切り直し、別の日の朝10時少し前に再訪すると、この時間でもすでに人が多く、入口を抜けた先のエレベーター前でしばらく待つことになりました。展覧会が始まる前から熱量が伝わってきて、「ガウディは“作品”というより“体験”として見られているのかもしれない」と思いながら列に並びました。 会場に入ると、まずガウディの生涯が簡潔に紹介されます。19世紀後半から20世紀初頭のバルセロナは、産業の発展とともに都市が急速に膨張し、同時にカタルーニャ独自の文化が芸術へと結晶していった時代でした。いわゆるモデルニスモ(カタルーニャ・モダニズム)の潮流の中で、ガウディは歴史主義や装飾の流行に回収されない、自然の秩序そのものを建築へ翻訳するような道を選びます。その入口として、この展覧会は「自然から得た造形美」を前面に出していました。 印象的だったのは、自然物と建築部位を並べて見せる導入です。「小麦」とサグラダ・ファミリア上部の塔、「にんにく」とカサ・バトリョの換気塔、「糸杉の円錐」とベリュスグアルドの塔、「キノコ」とグエル公園の煙突、「樹の柱」とサグラダ・ファミリア内部の柱、「ハチの巣」とカサ・カルベットの覗き穴といった対応関係が、説明とレプリカ展示で示されていました。ここで面白いのは、自然を“模倣”するというより、自然の形が生まれる理屈や強度のあり方を“借りている”ように感じられる点です。曲線は気まぐれな装飾ではなく、重さを受け流し、光を導き、空間を育てるための構造そのものなのだと、最初のコーナーだけでも伝わってきました。 次のコーナーでは、バルセロナ来訪後のガウディの作品が、少し変わった見せ方で並びます。壁面にエル・カプリチョ、カサ・ビセンス、グエル邸、アストルガ司教館、カサ・ボティネスなどのファサードが立体的に配置され、そこにプロジェクションマッピングのような映像が流れていました。建物を単体で鑑賞するというより、街の中で呼吸し、時間とともに表情を変える“都市の一部”として体感させる構成で、バルセロナの通りを歩きながら次々に建築に出会う感覚がうまく再現されている...

桐生市の歴史的な建造物群:西桐生駅、蒲焼 泉新、矢野園、有鄰館、まちなか交流館、平田家住宅旧店舗、森合資会社事務所・店蔵・石蔵(旧穀蔵)、一の湯、旧桐生高等染織学校講堂、無鄰館、旧曽我織物工場、金善ビル、桐生倶楽部

群馬県桐生市は、江戸時代から続く織物の町として知られ、かつて「桐生新町(きりゅうしんまち)」と呼ばれた歴史ある地域です。市内には桐生明治館や桐生織物記念館、桐生天満宮、織物参考館・紫といった代表的な施設だけでなく、今もなお往時の面影を色濃く残す歴史的建造物が数多く点在しています。これらの建造物群は、伝統的な町並みや商家、蔵などが連なり、まるで時代を遡ったかのような雰囲気を味わうことができます。 特に「桐生新町」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、歴史と文化の香りを今に伝える貴重なエリアです。昔ながらの格子戸や石畳、重厚な蔵造りの家々が並ぶ風景は、歩くだけで桐生の長い歴史や人々の暮らしを感じさせてくれます。この記事では、そんな桐生新町の歴史的建造物群についてご紹介したいと思います。 西桐生駅 西桐生駅は、木造の趣ある駅舎が印象的な駅です。1928年(昭和3年)の開業以来、上毛電気鉄道の駅として、現在も多くの人々に利用されています。時代の移り変わりの中で、駅舎そのものは大きな改修を受けることなく、当時の面影を色濃く残しているため、歴史好きの方やレトロな雰囲気を味わいたい方にとって、心惹かれるスポットとなっています。 私が訪れた日は、真夏のような強い日差しが照りつける暑い日でした。ホームや駅舎の待合スペースでは、電車を待つ人々だけでなく、ベンチで休憩をとる方や、涼を求めて飲み物や軽食を楽しむ方の姿も見られました。昔ながらの木造駅舎にはどこか心地よい落ち着きがあり、旅の合間にほっと一息つくにはぴったりの空間です。 私も駅舎内の自動販売機でアイスクリームを買い、ベンチに腰掛けてしばし涼を取りました。外の暑さを忘れさせてくれるような、静かな時間が流れていたのが印象的です。長い歴史を持つ西桐生駅は、日常の中にそっと溶け込みつつ、訪れる人に昔懐かしい風景と、ひとときのやすらぎを与えてくれる場所だと感じました。 蒲焼 泉新 桐生の町を歩いていると、ふと香ばしいうなぎの香りが漂ってきました。そこにあるのが、天保元年(1829年)創業の老舗「蒲焼 泉新(いずしん)」です。長い歴史を持つうなぎ料理屋で、創業以来、地元の人々や旅人に親しまれてきました。建物自体がいつ建てられたものかははっきりとは分かりませんが、昭和61年に曳き移転されたという記録が残っており、それ以前からこの...

法隆寺:世界最古の木造建築と聖徳太子の遺産

京都・奈良観光に来ています。貸し切りのタクシーで刊行しており、法起寺と山背大兄王の墓所のあと、法隆寺に案内されました。 奈良県斑鳩町にある法隆寺(ほうりゅうじ)は、日本最古の仏教寺院の一つとして知られています。推古天皇15年(607年)に聖徳太子によって創建されたと伝えられ、1993年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。創建当時は、斑鳩寺(いかるがでら / 鵤寺)と呼ばれていました。歴史の重みを感じるこの寺院は、日本の仏教美術や建築を語る上で欠かせない存在です。 法隆寺の伽藍は、西院伽藍と東院伽藍の二つのエリアに分かれています。西院伽藍には、世界最古の木造建築群が立ち並び、特に金堂と五重塔が有名です。金堂には飛鳥時代の代表的な仏像である釈迦三尊像が安置され、その表情や姿勢からは深い歴史と信仰の重みを感じることができます。五重塔は仏教建築の粋を集めたもので、塔内部には釈迦の入滅や舎利信仰を表す塑像群が残されています。 東院伽藍には、聖徳太子を祀る夢殿が建っています。夢殿は八角形の美しい建築様式を持ち、太子信仰の中心となる場所です。内部には秘仏・救世観音像が安置され、特定の期間のみ御開帳されることで知られています。また、法隆寺には百済観音と呼ばれる国宝の仏像も所蔵されており、その優雅な姿は多くの参拝者を魅了しています。 法隆寺の歴史をひも解くと、670年(天智9年)に火災で焼失し、その後再建されたとされています。これを巡って「法隆寺再建非再建論争」と呼ばれる学術的な議論が行われましたが、現在の伽藍は7世紀後半のものと考えられています。そのため、再建されたものではあるものの、非常に古い建築物として世界的にも貴重な文化財とされています。 法隆寺は単なる歴史的建造物ではなく、日本の仏教文化がどのように根付いていったのかを知る手がかりとなる場所です。その荘厳な雰囲気の中で、飛鳥時代の人々が抱いていた信仰や仏教の広がりを感じ取ることができます。奈良を訪れる際には、ぜひ足を運び、悠久の時を超えて受け継がれてきた法隆寺の魅力に触れてみてください。 文化財保護法 日本には数多くの歴史的建物や美術工芸品、伝統芸能や美しい自然環境など、次世代へと引き継ぐべき貴重な文化財があります。これらの文化財を守り、次の世代にも伝えていくために制定されたのが、「文化財保護法(ぶんかざいほごほう)...