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小田原市郷土文化館:城のふもとで巡る小田原の文化遺産

小田原城の観光を終えたあと、そのまま足を運んだのが小田原市郷土文化館でした。小田原城の敷地内にあるこの文化館は、城の歴史的な雰囲気の中に溶け込みながらも、独自の静けさと落ち着きを感じさせてくれます。 館内に足を踏み入れると、まず目を引いたのが縄文時代の土器でした。土の匂いが漂ってきそうなほど生々しいその造形から、遠い昔の人々の営みを想像することができます。時代を下るにつれて、銀象嵌到卵形鐔付大刀(ぎんぞうがんとうらんがたつばつきたち)や金銅装大刀(こんどうそうたち)など、古代を象徴する美しい刀剣が展示されており、小田原が歴史の要衝として栄えたことを改めて実感しました。 また、小田原は戦国時代の北条氏の本拠地としても有名ですが、館内の資料からは、その後の近世・近代に至るまで、この地が様々な文化と交流の舞台であったことが伝わってきます。近代の展示コーナーでは、地域の人々の暮らしや産業の移り変わりも丁寧に紹介されていました。 古代から現代まで、小田原という土地に積み重ねられてきた人々の歴史や文化を身近に感じることができ、とても充実したひとときとなりました。歴史好きの方はもちろんですが、普段あまり歴史に親しみがない方にもおすすめできる場所です。小田原城を訪れた際には、ぜひ郷土文化館にも足を運んでみてはいかがでしょうか。 旅程 東京 ↓(新幹線) 三島駅 ↓(バス) 三島スカイウォーク ↓(バス) 山中城跡 ↓(バス) 箱根峠 ↓(徒歩) 箱根関所 ↓(バス) 小田原城 ↓(徒歩) 小田原市郷土文化館 ↓(徒歩) 小田原駅 ↓(新幹線) 東京 周辺のスポット 小田原城 リンク 小田原市 | 郷土文化館

小田原城:天守の風、街と海を一望した日

小田原の町に着いたのは、箱根の山並みを越えてきた午後2時ごろでした。雲ひとつない冬晴れで、空の青さが石垣の白と松の緑をくっきりと縁取り、歩いているだけで気持ちが軽くなるような日でした。 南側から城址公園に入り、まずは復元された銅門をくぐります。扉金具の意匠や枡形の空間がきりっと引き締まっていて、門を抜ける瞬間に「城内へ踏み入れる」という感覚が一段深まります。今回は時間の都合でNINJA館やSAMURAI館は見送り、まっすぐ天守閣を目指しました。 天守前の広場に出ると、視界が一気に開け、白壁と黒い下見板をまとった天守が空に浮かぶように立っていました。広場のゆったりとした余白が、建物のプロポーションとよく合い、写真を撮るにも全体を眺めるにも心地よい距離感です。ここでしばらく天守の各層の重なりや破風の形を眺め、石垣の積み方にも目を凝らしました。野面積みが残る箇所や打ち込み接ぎの面など、時代や改修の痕跡が折り重なって見えてくるのが興味深いところです。 小田原城といえば、戦国末期に関東を治めた北条氏の本拠として知られます。とりわけ豊臣秀吉の小田原攻めは、広大な総構(そうがまえ)をめぐる天下分け目の大包囲として語られてきました。城下町を丸ごと取り込むように張り巡らされた外郭は、単なる“城”の防備を超えた「地域の守り」の発想を感じさせます。やがて江戸時代に入ると小田原は東海道の要衝として整えられ、参勤交代の行き交う町の顔も持つようになりました。明治以降、多くの城と同様に天守は失われましたが、現在の天守は昭和期に外観復元され、展示も改められて近年さらに見やすくなっています。過去の機能をいまの学びへつなぐ“器”としての役割を果たしているのだと感じます。 天守の階段を上り、最上階の展望へ出ると、冬の澄んだ空気が遠景までをくっきり見せてくれました。眼下に広がる城下の街並み、その向こうにひろがる相模湾のきらめき、ふり返れば箱根の稜線。戦の時代にここから物見をした人々は何を思ったのか、そして平和な観光地となった今、海と山に抱かれたこの地の地理的な恵みがどれほど大きいかを実感します。風に当たりながら、総構の外へと広がっていたかつての防御線のスケールを頭の中でなぞってみると、城が“点”ではなく“面”であり、暮らしと不可分だったことがすっと腑に落ちました。 下城の道すがら、小田原市郷土文化館に立ち...

箱根関所:雪残る旧街道と湖畔の歴史、江戸の旅路をたどる

本日は、箱根関所を訪れるため、晴れた冬の日に旅に出ました。 午前中は三島スカイウォークや山中城跡を巡り、バスで箱根峠まで移動しました。箱根峠からは、旧東海道を徒歩で下ることにしました。道中、部分的に昔の石畳が残り、ところどころには雪が積もっていました。現代の靴や装備でも足元が滑りやすく、慎重に歩を進めなければならず、江戸時代の人々がこの道を越えた苦労は、想像以上のものだったのだろうと実感しました。 道を進み、やがて芦ノ湖(あしのこ)が目の前に広がりました。湖面は澄み、冬の空気に包まれた景色がとても印象的でした。かつての旅人も、同じように湖を見下ろしながら、これまで歩んできた道のりやこれから先の旅を思い描いたのかもしれません。 箱根関所は、今では観光地として整備され、かつての厳重な雰囲気を再現した施設が立ち並んでいます。 関所の建物を歩くと、江戸時代の旅の緊張感や人々の往来を感じさせる展示が並び、当時の雰囲気を今に伝えています。関所は、江戸幕府が箱根を東西の要所として設けた交通と警備の拠点であり、特に「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まったことで知られています。旅人は関所を通るたびに身分証明や持ち物検査を受け、女性の通行には特に厳しい制限が設けられていました。 その後、箱根関所資料館を訪ね、当時の関所の仕組みや、実際に使用されていた道具、通行手形などを間近に見ることができました。資料館では、関所の歴史的な意義だけでなく、当時の人々の暮らしや旅路の厳しさも感じることができ、改めて江戸時代の交通制度の大切さや、その中で生きた人々の物語に思いを馳せました。 歴史の舞台となった場所を自分の足で歩き、当時の空気を少しでも感じることで、机上で学ぶ以上の気づきや感慨がありました。箱根の地に今も息づく歴史を、改めて身近に感じた一日となりました。 旅程 東京 ↓(新幹線) 三島駅 ↓(バス) 三島スカイウォーク ↓(バス) 山中城跡 ↓(バス) 箱根峠 ↓(徒歩) 箱根関所 ↓(バス) 小田原城 ↓(徒歩) 小田原市郷土文化館 ↓(徒歩) 小田原駅 ↓(新幹線) 東京 周辺のスポット 箱根駅伝ミュージアム リンク 箱根町 箱根関所『よみがえった箱根関所』 400年前の箱根関所を完全復元!芦ノ湖の穴場な歴史スポットを紹介 | たびらい観光情報 箱根関所 | 箱根ナビ 箱根関所 旅物語館|静...

箱根峠:雪の箱根峠から旧東海道へ、関所まで歩く小さな旅

朝から静岡県側の三島を起点に、三島スカイウォークと山中城跡を見学したあと、山中城からバスで箱根峠へ向かいました。県境をまたぐ箱根の稜線は、地図で見ている以上に「交通の要衝」という顔を強く持っていて、実際に降り立った箱根峠は、その印象をさらに確かなものにしてくれました。 いまの箱根峠は、整備された幅の大きい東海道(国道1号の流れを汲む幹線)が通り、芦ノ湖スカイラインとの分岐点として巨大な交差点になっています。車で走る人にとっては実に分かりやすい結節点ですが、徒歩で立ち止まって景色を味わうには少し落ち着かない場所でもありました。とはいえ、少し高い位置に上がると、芦ノ湖(あしのこ)の方向へ視界が抜けます。湖へ向かってシャッターを切った瞬間だけ、交通の音が遠のいて、箱根らしい大きな空気に触れられた気がしました。 当初はそのままバスで箱根関所方面へ下るつもりで、いったんバス停へ戻りました。ところが待っているあいだに、箱根関所まで旧東海道の「箱根旧街道(箱根旧道)」が続いていることに気づきます。地図で距離を測ると、感覚としては30分ほど。せっかく箱根に来たのだから、現代の道路ではなく、かつての旅人が通った道を自分の足で辿ってみたいと思い、バスをやめて徒歩で下ることにしました。 旧街道へ入る場所には、旧街道と挟石坂(はさみいしざか)の説明板が置かれていました。「遺構」ではなく、いまも通れる道として息づいていることが、こうした案内からも伝わってきます。江戸と京を結ぶ大動脈だった東海道は、五街道の中でもとりわけ往来が多く、箱根はその難所として知られていました。急峻な地形に加え、天候の厳しさもあり、旅人にとって箱根越えは体力だけでなく判断力も問われる区間だったはずです。 少し下ると、雪が詰まった石畳の道になりました。これが旧東海道が現役だったころのものかは分かりませんが、もし当時の整備を受け継ぐものだとしたら、山道としては驚くほど「道」としての意志を感じます。一方で、雪が積もる状況では石畳はよく滑ります。旅情よりも安全が優先ですので、石のない隅の土の部分を選びながら、慎重に足を運びました。古道を歩くとき、歴史を追体験しているようでいて、実際には「いまの自然条件の中で自分がどう歩くか」という現実の感覚も同時に突きつけられます。その両方が重なるところに、旧街道を歩く面白さがあるのだと思いま...

山中城跡:失われた天守、畝と格子が描く、防御の美学

静岡県の三島スカイウォーク~箱根関所~小田原城を観光してきました。 三島スカイウォーク~箱根関所の途中に山中城跡というのがあったので、バスから降りてみました。 山中城は、北条氏康によって築城され、豊臣氏の小田原征伐における防衛地点の一つでした。北条氏(後北条氏)の滅亡後、山中城も廃城となりました。 他の大名に使用されたり改築することなく廃城となったため、北条氏の特徴が強く残っています。 1930年(昭和9年)に国指定史跡となり、2006年(平成18年)には日本100名城にも選ばれました。 場所は東海道の箱根関所と三島宿の中間ぐらいになります。 山中城跡には、天守閣は復元されていませんが、特徴的な堀が再現されています。上からみると障子のようになっており、障子堀といいます。 城跡のさまざまな場所から富士山を見ることができます。 山中城の堀は石垣を用いずに土のみで造られ、水のない空堀でした。当時から同じような光景を見ていたと思います。 曲輪(くるわ)は土塁、石垣、堀などで城内を分割した区画で、日本では本丸(ほんまる)、二の丸(にのまる)、三の丸(さんのまる)などと名付けられています。山中城にも本丸などの曲輪がいくつかあります。 一番先端にあるすりばち曲輪は、すり鉢状になっており、防衛の拠点でした。 山中城跡のすぐ横には宗閑寺があり、北条軍、豊臣軍の武将たちのお墓があります。敵味方が同じお寺に、しかも陥落した城のすぐ横のお寺にお墓があるというのは、日本的な感じがします。 宗閑寺は副将の間宮康俊 (まみややすとし)の娘の於久の方(おひさのかた)が亡き父を弔うために創建しました。於久の方は後に徳川家康の側室となります。 山中城主の松田直長(まつだなおなが)のお墓には、クルス紋があり、キリシタンであった可能性があります。 他に、間宮康俊の兄弟や一族、多米長定、豊臣軍の一柳直末(ひとつやなぎ なおすえ)などのお墓があります。 旅程 東京 ↓(新幹線) 三島駅 ↓(バス) 三島スカイウォーク ↓(バス) 山中城跡 ↓(バス) 箱根峠 ↓(徒歩) 箱根関所 ↓(バス) 小田原城 ↓(徒歩) 小田原市郷土文化館 ↓(徒歩) 小田原駅 ↓(新幹線) 東京 周辺のスポット 三島スカイウォーク 箱根峠 関連スポット 箱根関所 三島宿 リンク 山中城跡公園 | 三島市観光Web 山中城跡(国指定...

川越まつり会館

川越まつり会館では山車(だし)などが展示され、川越まつりについて学ぶことができます。 川越まつりは、慶安元年(1648)に川越藩主松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し祭礼を奨励し、慶安4年(1651)から神輿が渡御(とぎょ)したのが始まりだそうです。 ユネスコ無形文化遺産に登録されています。 旅程 東京 ↓(電車) 川越駅 周辺のスポット 時の鐘 地域の名物 関連スポット リンク 川越まつり会館 川越まつり会館 川越市 川越まつり会館|埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉

富岡製糸場:世界遺産で感じる、近代日本の原点、静かに時を刻む糸を紡いだ少女たちの記憶

世界遺産の富岡製糸場(とみおかせいしじょう)を見学するため、群馬県の富岡市に来ました。 群馬県富岡市にある富岡製糸場は、日本が近代国家へと歩み始めた明治初期に建設された、日本初の本格的な器械製糸工場です。創設は1872年(明治5年)。日本がまだ西洋の技術に目を見張り、積極的に取り入れようとしていた時代に、明治政府が設立した国営工場でした。 この製糸場が特別なのは、当時の最先端技術をフランスから導入して、日本の生糸生産の品質と生産量を一気に高めようとしたところにあります。富岡製糸場では、フランス人技師のポール・ブリューナの指導のもと、大規模な製糸工場が建てられました。その象徴とも言えるのが、長さ約140メートルもある繰糸所です。フランス式の木骨レンガ造で建てられており、明治期の技術と美意識が見事に融合した建物です。 工場で働いていたのは主に若い女性たち、いわゆる工女と呼ばれる人々でした。彼女たちが暮らした寄宿舎(女工館 / じょこうかん)や、教育や医療体制など、当時としては先進的な職場環境が整えられていたことが、最近の研究でも明らかになってきています。一方で、後の時代に生まれた『女工哀史』のような文学が描いた過酷な労働のイメージもあり、富岡製糸場にはそうした歴史の複雑さも宿っています。 工場内には、繭の保管倉庫だった「西置繭所」や、フランス人技師が実際に暮らした「ブリュナ館(首長館)」も残っており、ただの産業施設ではなく、当時の生活や文化の痕跡を今に伝えてくれる貴重な場所です。 2014年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコの世界文化遺産に登録され、国内外から多くの観光客が訪れるようになりました。今も当時の建物の多くが良好な保存状態で残されており、敷地内を歩いていると、まるで明治の空気に触れているかのような感覚になります。 アクセスは、上信電鉄の上州富岡駅から徒歩で約15分ほど。入場料は大人で1,000円と、世界遺産としては比較的手頃で、ガイドツアーや音声ガイドなども用意されていますので、歴史に詳しくない方でも楽しめるようになっています。 近代日本の産業の原点に立ち返りたいとき、あるいは明治時代の息吹を感じてみたいとき、富岡製糸場は最良の訪問先のひとつだと思います。明治の夢が、今も赤レンガの壁の奥に静かに息づいています。 殖産興業 明治時代の日本は、幕末の開...