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宝厳寺:上人坂をのぼった先で出会う、一遍上人ゆかりの再生の寺

愛媛観光の3日目に松山市・道後の宝厳寺(ほうごんじ)を訪ねました。 朝から子規記念博物館や道後温泉を歩いた流れで、そのまま「上人坂」を上っていくと、街の賑わいが少しずつ背中の方へ遠ざかり、かわりに空気が静かになっていくのが分かります。坂の入口には「宝厳寺」と刻まれた石碑が立っていて、ここから先は“お寺へ向かう道”だと気持ちが切り替わりました。 数分ほどの緩やかな上り坂の先に境内が見えてきます。入口の石碑に「HOGONZI」とローマ字が併記されているのを見たとき、寺社もまた旅人を迎える場として国際化しているのだな、と少し面白く感じました。道後は温泉街として海外の方の姿も多いので、こういう表示ひとつにも土地の今が表れるのだと思います。 宝厳寺は、時宗の開祖・一遍上人の生誕地として知られ、松山市の案内でも「その地は現在、時宗宝厳寺となっている」と説明されています。 さらに寺の由緒としては、天智天皇4年(665年)の創建と伝わる古い歴史もあり、道後の華やかな観光のすぐそばに、時間の層が厚く積もった場所があることにあらためて驚かされます。  ただ、この場所の歴史は「古い」だけでは終わりません。2013年8月の火災で本堂や庫裡が全焼し、多くが失われたという出来事がありました。 実際に境内に立つと、その喪失と再生の気配が同居しているのが伝わってきます。焼失を免れた数少ない建物のひとつとされる山門には、木の質感や年月のしみ込み方に「残ったもの」の重みがあり、そこをくぐるだけで自然と背筋が伸びました。 一方で、本堂をはじめ境内の中心部は再建された新しい姿で、特に石造部分の磨かれ方が印象的でした。表面が光を返すほど整えられていて、火災は痛ましい出来事でありながら、ここからまた歴史を積み重ね直していくのだ、という意志のようなものを感じます。再建は2016年に行われ、一遍上人堂も新たに建立されたとされています。 堂内では、黄金の仏像や装飾のきらめきがまず目に飛び込んできました。新しい一遍上人像が黄金に飾られた台に据えられている一方で、質素な一遍上人像と対照的に見えました。ひとつの境内の中に、失われた過去への悼みと、いまこの時代の表現で受け継ごうとする熱意が並び立っていて、参拝というより「時間の断層を見学している」ような感覚がありました。 境内には一遍上人にまつわる歌碑などもあり、た...

圓満寺:道後の湯を見守る白い大地蔵尊

愛媛観光の2日目に、松山市道後湯月町にある圓満寺を訪れました。この日は朝から松山市立子規記念博物館を見学し、その後、道後温泉の周辺を歩いていました。道後温泉というと、どうしても温泉街の華やかさや本館周辺のにぎわいに目が向きますが、少し歩くと寺社や古い信仰の気配が残る場所に出会えるのも、この町の面白さだと感じます。圓満寺も、そうした道後の歴史と信仰を静かに伝える場所でした。 圓満寺は、弘仁3年、つまり812年の建立とされる寺院で、本尊は阿弥陀如来とされています。道後温泉の近くにありながら、温泉街の観光施設とは少し違う、落ち着いた空気をまとっていました。本堂は扉が閉じていたため、中の様子までは分かりませんでしたが、境内に入ってまず印象に残ったのは、本堂の手前にある地蔵堂でした。そこには「湯の大地蔵尊」と呼ばれる大きな地蔵尊が祀られています。高さは一丈二尺、約3.67メートルあるとされ、奈良時代の僧・行基の作と伝えられています。 実際に目の前に立つと、その大きさだけでなく、白い色合いが強く印象に残りました。仏像というと、木の色や金色、あるいは年月を経た渋い色を思い浮かべることが多いですが、この大地蔵尊は白さが際立っており、どこか現代的な造形物のようにも見えました。もちろん、信仰の対象として長く守られてきたものですが、第一印象としては、古い寺院の中に突然モダンアートのような存在が現れたような、不思議な感覚がありました。 この大地蔵尊が「湯の大地蔵尊」と呼ばれる背景には、道後温泉と深く結びついた伝承があります。安政2年、1855年の大地震で道後温泉の湯が止まった際、この地蔵尊に祈願したところ、再び湯が湧き出たと伝えられています。そのため、道後の湯を守る存在として信仰されるようになり、延命長寿や火除けの地蔵としても親しまれてきたようです。 道後温泉は、日本最古級の温泉として知られ、夏目漱石の『坊っちゃん』や子規ゆかりの地として語られることも多い場所です。しかし、温泉というものは単なる観光資源ではなく、人々の暮らしや信仰と結びついてきたものでもあります。湯が止まるという出来事は、現在の感覚で考えても大きな不安ですが、かつての地域社会にとっては生活や信仰の根幹に関わる重大な出来事だったのだと思います。そのように考えると、この白い大地蔵尊は、ただ珍しい仏像というだけでなく、道後の湯を...

道後温泉本館:千年の湯に癒されて、漱石も愛した温泉地

子規記念博物館から北へ道後温泉に向かいました。 昨晩、高知から愛媛に移動したあとにも道後温泉本館には来ていて、温泉に入る場合は、朝6時ぐらいから並んで予約を取るそうです。 並んで予約を取ろうかとも思いましたが、昨晩のうちに飛鳥乃湯泉の方に入って本館の方はあきらめることにしました。次に来るときには、本館近くにホテルを取って、朝食前に並ぼうかと思います。 道後温泉の近くの冠山(かんむりやま)からは、3000年前の縄文の土器が出てきており、3000年前から使われていた日本最古の温泉と言われています。 また、伊予国(いよのくに)風土記には、神話の時代に、大国主命(おおくにぬしのかみ)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、少彦名命が病気になり、大国主命は大分の「速見の湯」を海底に管を通して道後に導き温泉にしたという話が残っています。 同じく、伊予国風土記に、596年(法興6年)に聖徳太子が道後温泉に来浴し、温泉に感動し石碑を残しました。現在、石碑は発見されていませんが、飛鳥乃湯泉にレプリカがあります。 1894年(明治27年)に、道後温泉本館が落成されました。 そのころに、夏目漱石が松山中学の英語教師として松山市に赴任し、「坊ちゃん」の中で道後温泉のことを絶賛しています。 道後温泉駅からは、坊ちゃん列車も出ています。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) 圓満寺 ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 飛鳥乃湯泉 松山市立子規記念博物館 伊佐爾波神社 宝厳寺 圓満寺 湯築城資料館 石手寺 松山城 愛媛県美術館 子規堂 伊丹十三記念館 松山市考古館 地域の名物 伊予かすり リンク 【公式サイト】道後温泉 道後温泉本館・飛鳥乃湯泉・椿の湯 入浴料金・営業時間|道後温泉物語|道後温泉旅館協同組合(道後温泉観光協会) 道後温泉物語|道後温泉旅館協同組合(道後温泉観光協会) 道後温泉 松山市公式ホームページ PCサイト

松山市立子規記念博物館:俳句の革新者をたどる文学の旅路、近代短詩の夜明け

高知・愛媛旅行の2日目、ホテルから松山市立子規記念博物館に向かいしました。 ちょうど愛媛マラソンととぶつかり、道が広範囲に封鎖されていました。特に知り合いがいるわけではないですが、お祭り気分で人に混ざって応援しました。 松山市立子規記念博物館は道後温泉の近くの道後公園内にあります。(現在、改装中。入館はできます) 子規記念博物館は正岡子規(まさおか しき)の文学や松山の歴史を学ぶことができる博物館です。 正岡子規は明治時代の俳人、歌人で国語学の研究者でもあり、近代文学に多大な影響を及ぼしました。 日清戦争からの帰国途中に病気になり、その後闘病生活中も精力的に作品を作り続けました。夏目漱石の下宿先に同宿したりと交友がありました。 研究者としては、与謝蕪村、芭薫、古今和歌集などについて研究しました。 1902年(明治35年)、34歳の若さで亡くなり、東京の大龍寺に埋葬されました。 また、野球好きでもあり、「野球」という日本語が生まれる前に「野球(の・ボール)」という雅号を用いたこともあります。道後温泉の近くにも野球のユニホーム姿の子規の像があります。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) 圓満寺 ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 道後温泉 伊佐爾波神社 宝厳寺 圓満寺 湯築城資料館 石手寺 松山城 愛媛県美術館 子規堂 伊丹十三記念館 松山市考古館 地域の名物 伊予かすり 関連スポット 大龍寺 (東京都) リンク 松山市立子規記念博物館 The Shiki Museum 松山市立子規記念博物館 松山市公式ホームページ PCサイト 松山市立子規記念博物館デジタルアーカイブ

高知城:土佐の歴史をたどる、城下町散策の午後

高知県高知市の高知城を訪れました。朝から高知観光をしており、午前中は桂浜や坂本龍馬記念館をまわり、午後になって高知市の中心街へ移動しました。はりまや橋などを見たあと、いよいよ高知城へ向かいました。 高知城は市街地の中にありながら、天守が周囲より一段高い場所に建っているため、少し離れた場所からでもよく目立ちます。高知の町を見守るように建つ姿には、現在の観光地としての華やかさだけでなく、かつて土佐藩の中心であった城としての存在感がありました。 高知城は、関ヶ原の戦いの後に土佐へ入国した山内一豊によって築かれた城です。江戸時代を通じて土佐藩山内家の居城となり、現在も天守や本丸御殿などが残っています。天守だけでなく、本丸御殿である懐徳館も現存しているところが大きな特徴で、城の建物の中で実際に藩政の中心がどのように営まれていたのかを想像しやすい場所でした。 今回は追手門から城内に入りました。門をくぐって少し進むと、板垣退助の銅像と山内一豊の妻の銅像がありました。高知城というと土佐藩の城ですが、幕末や明治維新、自由民権運動へとつながる高知の歴史も自然と思い出されます。高知は坂本龍馬だけでなく、中岡慎太郎、武市半平太、板垣退助など、多くの人物を生んだ土地でもあります。城の中を歩いていると、江戸時代の藩政から幕末、明治へと歴史が続いていくことを感じました。 本丸御殿の懐徳館に入ると、さまざまな部屋が維持されていました。城というと天守の印象が強いですが、御殿の部屋を見ていると、ここが単なる軍事施設ではなく、藩の政治や儀礼の場でもあったことが分かります。畳の部屋や襖、整えられた空間を見ていると、武士たちがここでどのように人と会い、判断を下し、日々の仕事をしていたのかを想像したくなりました。 天守の中では、高知城の全景や、くじら漁を再現したミニチュア展示もありました。土佐の海と暮らし、産業の姿が小さな模型の中に表現されていて、城だけでなく高知という地域全体の歴史を感じる展示でした。高知城は山の上にある城ではありませんが、天守の中を登っていくと少しずつ視界が高くなり、城下町を見下ろす感覚が強くなっていきます。 一番上の層まで登ると、高知市街を広く見渡すことができました。午前中に訪れた桂浜とはまた違い、ここから見えるのは城下町として発展してきた高知の姿です。海辺の開放感とは異なり、市街地の中...

桂浜:龍馬の視線の先へ、絶景と歴史が交差する場所

連休を利用して高知、愛媛観光の最初に坂本龍馬で有名な桂浜に向かいました。観光マップをもらいに行ったところ、ガイドしていただけることになりました。 桂浜は、高知県高知市に位置する美しい海岸で、特に坂本龍馬像が立つ場所として広く知られています。高台に立つこの銅像は、幕末の志士・坂本龍馬が力強く海を見つめる姿を表現しており、像の高さは台座を含めて約13.5メートルにも及びます。龍馬が見つめる先には、果てしなく続く太平洋の大海原が広がっており、彼の夢見た未来や志を感じ取ることができます。この像の前で写真を撮ったり、彼の視点に立って海を眺めたりすることで、歴史ロマンを存分に味わうことができるでしょう。 さらに、坂本龍馬に関する歴史を深く知りたい方には「高知県立坂本龍馬記念館」もおすすめです。この記念館では、龍馬の生涯や幕末維新の歴史に関する展示が豊富に揃っており、貴重な歴史資料や映像展示を通じて、当時の時代背景や龍馬の功績を学ぶことができます。歴史好きには見逃せないスポットです。 太平洋に面した桂浜は、弧を描く白い砂浜と青く広がる海、そして松林の緑が織りなす自然のコントラストが魅力的です。その風景は訪れる人々に深い印象を与え、四季折々で異なる表情を見せてくれます。今はきれいな砂浜ですが、昔は川から流れて来た五色の丸い石(五色石)で敷き詰められていたそうです。 桂浜はまた、古くから「月の名所」としても有名です。特に中秋の名月や満月の夜には、月明かりが海面に映り、幻想的な風景が広がります。波の音を聞きながら、静かに月を眺める時間は、日常の喧騒を忘れさせてくれる特別なひとときとなるでしょう。 昨年のらんまんブームで高知では牧野富太郎博士を推していて、ガイドの方も周辺の花や植物を説明できるように勉強されていました。 近くの桂浜水族館は私設の水族館で、現在の館長は女性の方だそうです。とても活躍されている方ということでガイドさんが誇らしげに説明してくれました。私設の観光地はコロナ期間は維持がたいへんだったと思います。今回は時間が無くていけなかったですが、次の機会には是非行きたいです。 旅程 高知空港 ↓(バス) 高知駅 ↓(タクシー) 桂浜 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) はりまや橋 ↓(徒歩) 高知城 ↓(徒歩) 高知駅 周辺のスポット 高知県立坂本龍馬記念館 桂浜水族館 地域の名物 ...

登呂遺跡:日本初の弥生時代の水田跡が発見された遺跡で弥生人の足跡をたどる

本日は、三保松原と登呂遺跡(とろいせき)を見学に静岡に来ました。同じ静岡市ですが、結構離れています。静岡駅で昼食をとったあと、登呂遺跡へ向かいました。 登呂遺跡は、静岡県静岡市駿河区にある弥生時代後期の集落遺跡です。日本の弥生時代を語る上で欠かせない遺跡のひとつとして知られています。発見されたのは1943年(昭和18年)のことで、当時、軍需工場の建設が進められている最中に偶然見つかりました。その後の発掘調査によって、弥生時代の人々が暮らしていた住居や、稲作を行っていた水田跡などが明らかになりました。 登呂遺跡の最大の特徴は、日本で初めて弥生時代の水田跡が発見されたことです。用水路や田植えの跡が残っており、稲作を中心とした人々の暮らしがうかがえます。また、集落内には竪穴住居や高床倉庫があり、弥生時代の生活様式を具体的に知ることができます。これらの発見は、当時の稲作文化がどのように広まり、発展していったのかを考える上で非常に重要な手がかりとなりました。 現在、登呂遺跡は「登呂遺跡公園」として整備されており、復元された住居や水田を見ることができます。弥生時代の風景をそのまま再現したような光景が広がっており、訪れる人々に当時の生活を想像させてくれます。また、遺跡の隣には「静岡市立登呂博物館」があり、発掘された土器や石器、農具などが展示されています。ここでは、弥生時代の暮らしに関する詳しい説明があり、知識を深めることができます。 博物館では、火起こしや土器作りなどの体験プログラムも用意されており、実際に弥生時代の生活を体験することができます。子どもから大人まで楽しめる内容となっており、歴史を身近に感じることができるのが魅力です。 静岡市を訪れる際には、登呂遺跡に立ち寄ってみるのもおすすめです。日本の古代史に触れ、弥生時代の人々の暮らしを体感することで、歴史の奥深さを改めて実感できるでしょう。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 地域の名物 おでん粉:おでんにかけてもご飯にかけてもおいしい リンク 静岡市立登呂博物館 国指定特別史跡 登呂遺跡:静岡市公式ホームページ 登呂遺跡|【公式】静岡のおすす...