私は新潟県上越市の春日山神社を訪ねました。この日は朝から上越市内を歩いて観光しており、春日山城跡へ向かう流れの中で、まず春日神社、そして林泉寺へと参拝を重ね、いよいよ城跡のふもとにある春日山神社へと足を進めました。城の名を冠する土地を歩いていると、現在の街の穏やかさの中に、かつての軍事拠点としての緊張感が重なって見えてくる瞬間があります。
春日山神社の入口には、思わず足を止めてしまうほどの長い階段が構えていました。城へ向かう道の途中にある神社らしく、参拝そのものが小さな登城のようでもあります。一段ずつ上がっていくと、周囲の空気が少しずつ澄んでいき、日常の延長線が静かに切り替わっていく感覚がありました。
境内に入ると、季節はちょうど晩秋で、紅葉が見事でした。赤や黄に染まった葉が、神域の落ち着いた雰囲気に華やかさを添え、歴史の舞台を訪ねているという高揚感と、自然に包まれる安心感が同時に押し寄せてきます。
本殿で手を合わせた後、境内に掲示された春日山城の案内図に目を留めました。そこで意外に感じたのが、春日山神社が思っていた以上に山の中腹あたりに位置していることでした。ここまでの道のりでは、それほど急な坂を上った実感が少なかったため、地図を見て初めて「自分はもう、城に近い高さまで来ているのだ」と気づかされたのです。城跡めぐりは、目で追う地形と体で感じる地形が必ずしも一致しないところが面白く、当時の人々がどのようにこの山を使いこなしていたのか、想像がふくらみます。
春日山城は、戦国時代に越後を治めた上杉氏、とりわけ上杉謙信の居城として知られています。謙信は武勇だけでなく、領国統治や信仰にも厚い人物として語られ、毘沙門天への帰依を象徴する逸話が数多く残ります。春日山という山城は、そうした上杉氏の権威と実務の両方を支える拠点であり、尾根筋や曲輪を利用した広大な城域の中に、家臣団の屋敷や政務の機能が配置されていました。山全体を城として用いる発想は、守りの堅固さと同時に、日々の生活と政治が山の地形と不可分だったことを物語っているように思えます。
参拝を終えると、私は春日山城の本丸跡を目指して歩き出しました。最初の目的地は直江屋敷跡です。直江といえば、後に上杉家の重臣として名高い直江兼続を連想しますが、春日山の城下・城内には、上杉氏を支えた多くの家臣たちの痕跡が点在しています。神社の静けさを背に、城跡へ続く道へ踏み入れると、旅の性格が少し変わります。今度は祈りの場所から、政と戦の舞台へと足を運ぶ時間です。秋の木々の色づきと、山の起伏に沿った道の感触が、当時の人々の息づかいを遠くから伝えてくれるようでした。
春日山神社は、単に「城跡の近くの神社」という位置づけではなく、春日山という歴史の地に入っていくための扉のように感じられました。紅葉の美しさに目を奪われながらも、案内図が示す地形の大きさに驚き、そして自分の足で城の構造へ近づいていく流れの中で、過去と現在が静かにつながっていきます。春日山城跡を訪ねるなら、まずここで手を合わせ、山の空気を吸い込み、これから辿る歴史の輪郭を心に描いてから歩き出すのが、いちばん自然な順序なのかもしれません。
旅程
東京
↓(新幹線/えちごトキめき鉄道)
春日山駅
↓(徒歩)
春日神社
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↓(徒歩)
↓(徒歩)
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春日山駅
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高田駅
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平出修の旧居
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高田駅
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東京
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