上野の東京都美術館で開催中の「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」を見ました。ファン・ゴッホという一人の天才を、家族の歩みと重ねてたどる構成で、作品と人の歴史が自然に結びついていきます。弟テオ、その妻ヨー、そして二人の息子フィンセント・ウィレムへ――家族が受け継いだ志が、どのように画家の名声と作品の命を支えていったのかが明快に伝わってきました。
第一章は、ゴッホの死の直後から物語が始まります。兄の死から間もなく病に倒れたテオのあと、残された作品と書簡を前に立ち上がったのが妻のヨーでした。彼女は素人から近代美術と美術市場を学び、散逸しかねない遺産を守りながら適切な相手に作品を託していきます。その営みは息子フィンセント・ウィレムに受け継がれ、ファン・ゴッホ財団とファン・ゴッホ美術館の設立へと実を結びました。展示冒頭で、こうした全体像が見通せるのがよかったです。
第二章では、生前のネットワークとコレクションが焦点でした。兄弟がかつて働いたグーピル商会での経験は、作品の目利きや流通の知に直結していたのだと感じます。テオは支店長として活躍し、画家としてのゴッホはゴーガン、ピーター・ラッセル、エミール・ベルナールらと作品を交換するかたちで自らの周縁にコレクションを築きました。さらに浮世絵への傾倒が収集へと結びつき、日本の版画が彼の色彩観や構図に与えた影響を、実物を前に実感できます。会場にはゴーガンの《クレオパトラの壺》や数々の浮世絵が並び、19世紀末ヨーロッパの前衛と日本美術の交差点が立体的に見えてきます。
第三章は、画家ゴッホの軌跡そのもの。二十代後半に画家を志し、オランダで素描と油彩の基礎を固めたのち、パリでそれまでの重い陰影を脱ぎ棄て、現代的な色と光をつかみとっていく過程が作品で語られます。南仏での短い時間に生まれた、強烈な筆致と色の響きはやはり圧巻でした。そしてオーヴェール=シュル=オワーズの麦畑での最期へ至る時間の速さと密度を思うと、展示室に漂う静けさがいっそう重く感じられます。自画像の前では、画家が自分を見つめ返す視線に、見る側の時間が止まるようでした。
第四章はふたたびヨーの物語に戻ります。家計のための売却という切実な事情と、作品の価値をより広く正しく伝えるという使命感が、彼女の中で矛盾なく結びついていく過程が伝わりました。会場に展示された家計簿には、どの作品を誰に、いくらで、どのような意図で手放したのかという痕跡が残されています。ロンドン・ナショナル・ギャラリーへ《ひまわり》を託した決断は、単なる売買ではなく、ゴッホという画家を世界に位置づけるための戦略だったのだと腑に落ちました。
第五章では、財団と美術館のコレクションが、寄贈や移管、公共の支援によって厚みを増していく歩みが紹介されます。ヨーの兄アンドリース・ボルゲルのコレクション移管や宝くじ収益の活用など、個人の情熱と公共の仕組みが結びつくことで、文化資本が社会の共有財産へと変わっていくダイナミズムを感じました。作品が「生き続ける」ために必要なのは、作者の才能だけでなく、受け継ぎ、見せ、守る人々の連携なのだと実感します。
正直、美術についてはまだ理解の浅いところが多く、これまでは有名な作品をなんとなく眺めて終わってしまうことがありました。しかし今回、家族の物語と市場・制度の歴史を手がかりに作品を見ることで、絵が置かれてきた時間と文脈が急に近く感じられました。浮世絵から受けた刺激、友人たちとの作品交換、ヨーの記録に刻まれた判断の重み――その一つひとつがキャンバスの色の奥に響いてきます。苦手意識のあった美術も、こうした歴史の入り口から学び直すと、作品との距離がぐっと縮まるのだと分かりました。次にゴッホの絵の前に立つとき、私はきっと、彼とそれを支えた家族、そして作品を未来へ渡してきた人々の顔を思い浮かべながら見ることになりそうです。
旅程
鶯谷駅
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