国立公文書館で開かれている令和7年度第2回企画展、内閣文庫140周年記念「世界へのまなざし―江戸時代の海外知識―」を観るために出かけました。皇居のお堀を眺めながら建物に近づいていくと、ここには「日本の公的な記憶」が集まっているのだという静かな重みを改めて感じます。今回は、そのなかでも江戸時代の人びとがどのように世界を見ていたのかをたどる展示ということで、期待しながら中に入りました。
最初に迎えてくれたのは、内閣文庫140年の歩みを紹介するパネルでした。太政官正院歴史課の図書掛から始まり、太政官文庫、内閣文庫へと姿を変え、やがて国立公文書館の一部門として受け継がれていく流れがわかりやすくまとめられていました。明治以降の政治や行政の変化とともに、公的な書物や記録をどう守り、どう受け継いできたのかという、日本近代の裏側の歴史を、静かな年表のようにたどる導入でした。
そこからいよいよ本題の企画展「世界へのまなざし―江戸時代の海外知識―」が始まります。プロローグでは、「鎖国」と言われる時代であっても、日本が完全に外界から切り離されていたわけではないことが強調されていました。アイヌ、朝鮮、清、オランダ、琉球といった限られた相手とのあいだでは、貿易や使節の往来を通じて人とモノの交流が続いており、そのなかで海外の知識が少しずつ日本に入ってきたことが紹介されていました。
特に印象に残ったのが、世界地理書「増補華夷通商考」です。六大州が描かれた地図には、現在の世界地図には存在しない「メガラニカ」という架空の大陸が描かれていました。まだ世界の姿が完全にはわかっていなかった時代、人々が限られた情報をもとに「世界」を想像して描いた跡が、紙の上にそのまま残っているようで、思わず見入ってしまいました。間違いも含めて、その時代の「世界像」がそこに可視化されているのだと感じます。
第1章は「来訪する人とモノ」です。ここでは、海外から日本にやってきた人びとと、その姿を記録した書物や絵巻が並んでいました。「朝鮮人来朝物語」では、朝鮮通信使の行列や儀礼の様子が、絵と文字で生き生きと描かれています。整然と並ぶ行列、異国風の装束、沿道で見守る人びとの様子までが細かく描写されていて、江戸の人たちにとって、朝鮮通信使がどれほど大きな「見世物」であり、同時に外交の象徴であったかが伝わってきます。
琉球の使節について描いた「宝永七年寅十一月十八日琉球中山王両使者登城行列」も、長い絵巻物として展示されていました。琉球の衣装や行列の構成などが丹念に描かれ、異国性とともに、その格式ある儀礼の雰囲気も感じ取れます。
また、「松前志」にはアイヌのマキリ(小刀)が、絵と文章を併用しながら紹介されており、道具の形状だけでなく、その使い方や意味合いまでも伝えようとする工夫が見て取れました。
第2章は「徳川吉宗と世界の和」です。ここでは、八代将軍・吉宗が海外の書物の輸入に積極的であったこと、その知識を国内で活かそうとした姿勢がさまざまな資料を通じて示されていました。重要文化財の「御書物方日記」は、将軍の図書館である紅葉山文庫を管理した書物奉行の業務記録で、清国の法律書「大清会典」141冊の出納が記録されています。こうした記録から、吉宗の時代に紅葉山文庫の蔵書が急増し、海外からの知識が集中的に取り込まれていった様子がうかがえました。
また、朝鮮人参の国産化に取り組んだ田村藍水の業績も紹介されていました。「人参博士」と呼ばれた藍水が書いた「朝鮮人参耕作記」には、朝鮮人参の栽培方法が、やはり絵と文章で丁寧に記されています。ここで、以前訪れた世界遺産・田島弥平旧宅で聞いた話を思い出しました。養蚕など当時の農業向けの書物は、文字を読み慣れていない人でも理解できるよう、絵と文章を組み合わせて書かれていたという説明です。今回改めて当時の農書や技術書を目にしてみると、まさに同じ工夫がここにも見られ、知識人だけでなく職人や農民も書物を通じて新しい技術を学んでいたことが実感できました。
中国の巨大叢書である「欽定古今図書集成」には、西洋風の風車の絵が含まれており、東アジアの書物を経由して西洋の機械技術の情報が伝わっていたこともわかります。日本の知識人たちは、漢文資料やオランダ語の書物を通じて、西洋の技術や制度を丹念に読み解き、自分たちの社会にどう活かせるかを考えていたのだと思うと、地道な知的営みの積み重ねに頭が下がる思いでした。
第3章は「異国を調べる・考える」です。ここでは、海外の社会や自然をより主体的に理解しようとする試みが、さまざまな形で展示されていました。重要文化財の「北夷分界余話」には、アイヌの舟を挽く犬の姿や、子どもが紐を使って鳥を捕まえる様子などが、細かい絵で描かれていました。単に「北方の人々」とひとくくりにするのではなく、その生活の具体的な技術や身体の動きまで観察しようとしている点が印象的でした。
「西洋銭譜」には、海外の金銀銅貨の図柄が、とても丁寧に模写されていました。貨幣の図面だけを見ていると、一見地味なようですが、そこには異国の王や紋章、文字が刻まれており、それぞれの国の政治や文化の象徴が凝縮されています。江戸時代の人びとは、こうした小さな金属片から異国の権力や経済の姿を想像していたのかもしれません。
エピローグでは、ロシアや欧米列強のアジア進出が進むなかで、日本側もオランダ語だけでなく、英語など他の言語を学び始めたことが紹介されていました。泰西の世界を描いた「泰西図説」の世界地図や、「寛政暦書」に収められた天体観測器「垂揺球儀」の精密な図は、もはや単なる外国趣味ではなく、近代科学を理解しようとする必然的な努力の一部として見ることができます。こうした知識の蓄積と変化の延長線上に、幕末から明治維新への転換があるのだと感じました。
今回の展示全体を振り返ると、「鎖国」という言葉から想像する閉ざされた世界とはかなり異なる姿が見えてきます。確かにキリスト教の流入などには細心の注意を払いながらも、漢書を通じて、あるいはオランダ人や中国人から直接情報を得る形で、江戸時代の日本は海外の技術や知識を選び取り、巧みに取り入れていました。外から来るものをそのまま受け入れるのではなく、自分たちの社会に合う形を探りながら、必要な部分だけを翻訳し、加工していく。その知的な「フィルタリング」の姿勢が、展示のあちこちに感じられました。
展示されていた書物の多くは、残念ながら今の私には文字をすらすら読める力がありませんでしたが、それでも絵の緻密さには圧倒されました。衣装の模様、道具の構造、行列の配置、風景の細部まで描き込まれており、文章もきっと同じくらいの密度で世界を描写しているのだろうと想像します。いつかは、この時代の文字も、自分の力で追えるようになりたいと、静かな憧れのような気持ちも生まれました。
国立公文書館の企画展は、単に貴重な史料を見せる場にとどまらず、過去の人びとが世界をどう理解しようとしていたのかを、現代の私たちに問いかけてくれます。情報があふれる今の時代にこそ、限られた情報のなかで世界を描こうとした江戸時代の「まなざし」に触れることには、大きな意味があるように思いました。海外の知識をどう受けとめ、自分たちの社会にどう位置づけるのか。江戸の人々の試行錯誤をたどりながら、現代の私たち自身の「世界へのまなざし」も、少し立ち止まって見直してみたくなる展示でした。
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