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日蓮大聖人 御廟所:霊山橋を渡って出会う身延山の深い信仰

本日は身延山久遠寺を訪れ、日蓮大聖人 御廟所に足を運びました。 身延山の清々しい朝の空気を感じながら、霊山橋を渡ると、厳かな雰囲気が漂う祖廟拝殿が目の前に現れます。ここは、日蓮聖人を慕う多くの人々が訪れる場所であり、私も静かに手を合わせ、拝礼をしました。 拝殿を抜けた先には、さらに格式高い祖廟塔があります。日蓮大聖人の御廟所として知られるこの場所には、長い歴史が刻まれています。鎌倉時代の末期、日蓮聖人は身延山に入山し、多くの門弟たちとともに教えを広め、1274年からこの地で晩年を過ごされました。そして、1282年に入滅された後、聖人の遺骨はこの地に納められ、以来、身延山は日蓮宗の聖地となっています。 御廟所では、参拝者が訪れ、みな真摯な思いで祈りを捧げていました。私も改めて日蓮聖人の教えと、その信仰を守り続けてきた多くの人々の歴史に思いを馳せました。法界堂などの建物もあり、それぞれが深い信仰と伝統に彩られています。 身延山の静寂の中、歴史と信仰が息づく御廟所に立つと、自分自身と向き合う時間が自然と生まれます。古から現代に至るまで、人々の思いが受け継がれてきたこの場所は、ただの観光地ではなく、心を整える特別な空間だと感じました。身延山を訪れる機会があれば、ぜひ一度、日蓮大聖人 御廟所でその空気を感じてみてはいかがでしょうか。 旅程 東京 ↓(JR) 身延駅 ↓(バス) 身延山バス停 ↓(徒歩) 身延山久遠寺 ↓(徒歩) 日蓮大聖人 御廟所 ↓(徒歩 約1時間) 身延駅 関連イベント 周辺のスポット 身延山久遠寺 地域の名物 関連スポット リンク 御廟所(日蓮聖人御墓・御草庵跡) | 境内案内 | 身延山久遠寺オフィシャルウェブサイト 日蓮大聖人御廟所(にちれんだいしょうにん ごびょうしょ)|みのぶ道 > 祈りの地・身延山の起源と継承 | やまなし歴史の道ツーリズム Yamanashi Historical road Tourism 身延山御廟所案内~➀~| 身延山久遠寺 御廟法務所|日蓮宗 寺院ページ 御廟所・御草庵跡:THEパワースポット|みのぶガール 日蓮聖人の魂が棲む身延山久遠寺/山梨の歴史を旅するサイト

身延山久遠寺:三門と菩提梯の先に待つ歴史と自然、青空に映える五重塔と富士川の清流

本日は、東京から山梨県の身延山(みのぶさん)久遠寺(くおんじ)へと訪れました。朝から晴れ渡り、絶好の旅行日和でした。 東京から電車に揺られ、身延駅に到着した後、そこからバスで身延山の麓へ移動しました。バスを降りて山道を進むと、目の前には巨大な三門が現れます。ところが私は正面からではなく、横の道から三門に向かったため、その巨大さに気付かず、交通整理をしていた方に「久遠寺はどこですか?」と尋ねたところ、「これですよ」と上を指され、あまりの自分の視野の狭さに思わず一人で笑ってしまいました。 三門をくぐると、身延山久遠寺の名物でもある長い菩提梯が待っています。この石段を登るのはかなり大変で、息を切らしながらも、登り切った先には堂々とした本堂が待っていました。 静謐な雰囲気に包まれた本堂で手を合わせ、心静かなひとときを過ごした後、本堂の内部をゆっくり見学しました。 外に出ると、朱色が鮮やかな五重塔が青空に映え、その美しさにしばらく目を奪われました。祖師堂や拝殿、仏殿、大客殿といった建物もそれぞれ歴史を感じさせる荘厳な姿を見せていました。 その後はロープウェイで身延山の奥之院、思親閣へ向かいました。思親閣は日蓮聖人が両親を偲んだ場所とされ、仁王門を通り、祖師堂などを見学しました。ここでは身延山を取り巻く雄大な自然も満喫でき、心が洗われるような思いでした。 ロープウェイで本堂付近に戻り、日蓮大聖人の御廟所周辺をゆっくりと歩きながら見学しました。日蓮宗の開祖である日蓮聖人が最後の9年間を過ごしたこの地は、穏やかな時間が流れ、深い歴史を静かに伝えていました。 帰りはバスを使わず、身延駅まで徒歩で戻りました。1時間ほどの道のりでしたが、山々や富士川の清らかな景色を楽しみながらの散策は心地よく、久遠寺で感じた荘厳さとはまた違った山梨の自然の魅力を味わうことができました。心地よい疲れとともに、充実した一日を締めくくりました。 旅程 東京 ↓(JR) 身延駅 ↓(バス) 身延山バス停 ↓(徒歩) 身延山久遠寺 ↓(徒歩) 日蓮大聖人 御廟所 ↓(徒歩 約1時間) 身延駅 関連イベント 周辺のスポット 日蓮大聖人 御廟所 地域の名物 関連スポット リンク 身延山久遠寺オフィシャルウェブサイト 身延山久遠寺のしだれ桜|山梨県身延町 身延山久遠寺/富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報 身...

国立西洋美術館:憧憬の地 ブルターニュ ―モネ、ゴーガン、黒田清輝らが見た異郷

本日は、以前から気になっていた国立西洋美術館を訪れました。美術に詳しいわけではありませんが、この美術館が世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」に登録されていると知ってから、建築や空間そのものに惹かれて、一度は行ってみたいと思っていたのです。国立西洋美術館は、松方正義(まつかた まさよし)の息子の松方幸次郎(こうじろう)が蒐集した松方コレクションを基礎として、1959年(昭和34年)に開館しました。 上野の緑に囲まれた敷地に、静かに佇む美術館。外にはロダンの「地獄の門」が据えられていて、圧倒的な存在感を放っていました。人間の苦悩や情熱が鋳込まれたようなその姿は、ただ眺めているだけで時間を忘れてしまうほどです。 館内では、特別展「憧憬の地 ブルターニュ」が開催されていました。19世紀末から20世紀初頭にかけて、多くの画家たちがブルターニュに魅せられ、その風景や人々を描いた作品が並びます。 クロード・モネの「嵐のベリール」や「ポール=ドモワの洞窟」では、荒々しい自然が色彩と筆致で生き生きと描かれていて、モネがブルターニュの海に何を見ていたのかを感じることができました。 クロード・モネ「嵐のベリール」 クロード・モネ 「ポール=ドモワの洞窟」 ポール・ゴーギャンの「ブルターニュの農婦たち」や「海辺に立つブルターニュの少女たち」は、素朴で力強い線と色づかいが印象的で、画家の眼差しの優しさが伝わってくるようでした。 ポール・ゴーギャン「ブルターニュの農婦たち」 ポール・ゴーギャン 「海辺に立つブルターニュの少女たち」 他にもモーリス・ドニ、シャルル・コッテ、リュシアン・シモンなどの展示がありました。 モーリス・ドニ 「若い母」 モーリス・ドニ「 花飾りの舟」 シャルル・コッテ:「悲嘆、海の犠牲者」 リュシアン・シモン「庭の集い」 リュシアン・シモン「ブルターニュの祭り」 日本の画家たちの作品にも心を動かされました。久米桂一郎の「ブレア島」や「林檎拾い」、そして小杉未醒の「ブルターニュの村の八月」、どれも異国の土地を日本人ならではの感性でとらえていて、異文化へのまなざしの温かさが感じられました。 久米桂一郎「ブレア島」 久米桂一郎 「林檎拾い」 小杉未醒「ブルターニュの村の八月」 黒田清輝の「プレハの少女」は、少し寂しげな表情が印象に残っています。 ...

宮坂考古館:前田慶次の鎧に戦国の息吹を感じる米沢の隠れた名所

お昼に米沢牛を食べつつ、米沢市上杉博物館や上杉神社、春日山林泉寺などの観光スポットをまわって米沢駅に着いたところ、新幹線まで1時間ほど余りました。 いつもならスマホを見て適当に時間をつぶすのですが、Google Mapを見ると宮坂考古館というのが近くにあることが分かり、さっと向かってみました。 宮坂善助さんが蒐集した考古、歴史、民俗資料を700点が収蔵されています。鎧は非常に見応えのあるものばかりでした。上杉景勝、直江兼続、前田慶次郎といった有名な武将のものもあります。銃、槍、刀などの武器、屏風などの美術品なども展示されています。こういった、個人の博物館はコロナの時期に維持がたいへんだったと思います。駅から近いのでもっと知識がついたときに再度訪れたいと思います。 米沢市にある宮坂考古館は、戦国時代の歴史や武将たちの遺品に触れることができる貴重な場所です。歴史が好きな人にとっては、戦国武将たちの足跡を感じられる魅力的なスポットです。 宮坂考古館は、宮坂善助氏が80年以上の歳月をかけて収集した考古資料や歴史的遺物を展示する施設です。特に注目すべきは、戦国武将たちの甲冑や武具のコレクションです。上杉謙信が関東管領・上杉憲政から拝領したと伝えられる「素懸白綾威黒皺韋包板物腹巻」や、直江兼続の「浅葱糸威錆色塗切付札二枚胴具足」など、歴史の教科書でしか見たことのない貴重な品々を間近で見ることができます。 また、戦国武将として知られる前田慶次の「朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式」も展示されており、彼の波乱万丈な人生を思い浮かべながら見学することができます。前田慶次をモデルにした小説や漫画が館内で自由に閲覧できるコーナーもあり、彼の人物像についてより深く知ることができるのも魅力です。 宮坂考古館は、米沢駅から徒歩約7分というアクセスの良さもあり、観光の合間に立ち寄るのにちょうど良い場所です。米沢には上杉神社や上杉博物館など、戦国時代の歴史を感じられる名所が多くありますが、宮坂考古館はそうしたスポットと合わせて訪れることで、より深い歴史の理解につながります。 戦国時代に興味がある方や、武将たちの生き様を感じたい方にとって、宮坂考古館は見逃せない場所です。実際に足を運び、歴史の息吹を感じてみてはいかがでしょうか。 旅程 東京 ↓(新幹線) 米沢駅 ↓ (中略) ↓ 米沢市上杉博物館 ...

酒造資料館 東光の酒蔵:上杉の城下で出会った「美しい仕事」、蔵に宿る職人の手跡

米沢観光の合間に立ち寄った「東光の酒蔵」は、町家の静けさと蔵の迫力が同居する、不思議に落ち着く空間でした。 入口の部屋には、低い帳場机にそろばん、壁掛け電話やレジといった道具が並び、商家の営みがそのまま切り取られたように展示されています。 外には小さな庭も配され、ここがかつて大きな商家であったことを物語っていました。 酒蔵に入ると、巨大な木桶が何列にも連なり、ほの暗い蔵の空気と相まって圧巻です。 台所のかまどは行き届いた設えで、客間の座布団や壺にも洒脱さが漂い、いかにも財を成した酒造家の趣を感じました。 ここを営む小嶋総本店は、安土桃山期の慶長2年(1597年)創業という古参の蔵で、米沢藩主・上杉家の御用酒屋を務めた歴史を持ちます。創業年や上杉家との関わりは、蔵の案内や各種紹介でも繰り返し語られる核となる物語で、米沢の文化史の一頁をなしています。 銘柄名「東光」は「米沢城の東側、朝日が昇る方角の酒」に由来し、城下町の地理と日の出の象徴性を重ねた名付けが粋です。名は体を表すという通り、蔵の中にも「朝(あした)」の清々しさを思わせる凛とした気配が漂っていました。 資料館として整えられた現在の酒蔵は、東北でも最大級の展示規模を誇り、明治期の造り酒屋の風情を体感できるつくりです。冷やりとした蔵気、梁や大黒柱の質感、自在鉤にかかる鉄瓶まで、時間を巻き戻す仕掛けがそこかしこに置かれており、見学後に併設の売店で利き酒まで楽しめる導線もよく考えられていました。 午前中に上杉神社を参拝してから訪れたこともあり、城下の信仰と産業が歴史のなかで結びついてきたことを改めて実感しました。上杉鷹山の資料を併設展示で目にすると、質素倹約と殖産興業の思想が、米沢の酒を支えてきた背景に自然と重なって見えてきます。 古道具から大桶、台所のかまどに至るまで、展示は派手さよりも「本物の手触り」を大切にしている印象でした。米沢の町で積み重ねられた時間が、蔵の木目や道具の擦り跡に宿り、それが一杯の酒になるまでの物語を静かに語ってくれます。歴史の記憶に触れながら、職人の技と町の誇りを五感で味わえる場所でした。 旅程 東京 ↓(新幹線) 米沢駅 ↓ (中略) ↓ 米沢市上杉博物館 ↓(徒歩) 上杉神社 ↓(徒歩) 上杉家廟所 ↓ (中略) ↓ 林泉寺 ↓(徒歩) 餐霞館(さんかかん)遺跡 ↓(徒歩) 上杉伯爵邸(...

上杉伯爵邸(上杉記念館):堀に守られた静けさの中で、初夏の庭を歩く

朝から米沢の史跡をたどり、上杉神社や上杉家廟所、林泉寺を見学した流れで、上杉伯爵邸/上杉記念館へ足を運びました。松が岬公園の南側にたたずむこの建物は、かつて「鶴鳴館(かくめいかん)」とも呼ばれた旧上杉伯爵邸で、城下町の散策の締めくくりにふさわしい、落ち着いた気配をまとっています。 林泉寺から向かったため、堀に囲まれた敷地へ南西側の橋から入り、そのまま庭の方へ回り込みました。水面には蓮の葉が浮かび、初夏の気配がすでに庭に満ちていました。 視線を上げると、上杉鷹山の像があり、財政再建や民政で知られる名君の存在が、この場所の空気をさらに引き締めているように感じます。米沢の郷土料理の背景として鷹山公の「かてもの」に触れられるのも、この施設らしいところです。 上杉記念館の歴史を少し知ると、外から眺める時間にも奥行きが出てきます。旧上杉伯爵邸は、明治29年(1896年)に上杉家14代・最後の米沢藩主でもある上杉茂憲の本宅として、米沢城二の丸跡に造営されましたが、1919年(大正8年)の米沢大火で焼失しました。その後、1925年(大正14年)に純日本風の邸宅として再建され、現在に受け継がれています。 再建後の建物は、銅板葺の屋根をいただく端正な和風建築で、設計は建築家・中條精一郎が担当したことも知られています。また庭園は東京の浜離宮庭園を模して造られたとされ、堀と庭と建物が一体になって、城下町の記憶を静かに保っているようでした。こうした価値から、上杉記念館の建物群は国の登録有形文化財にも登録されています。  この日は建物が郷土料理をいただける料理屋として使われている雰囲気が強く、食事を済ませた直後だったこともあって中には入りませんでした。ただ、後で調べると館内見学ができる旨の案内もあり、食事の利用状況によっては見学が難しい場合もあるようなので、あのとき一言確認してみればよかったと少し悔いが残りました。次に訪れるときは、庭を眺めるだけで終わらせず、座敷の空気や建物の細部まで含めて味わってみたいです。  外観と庭の余韻を胸に、私は次の目的地である酒造資料館「東光の酒蔵」へ向かいました。米沢は、武家の歴史と暮らしの文化が歩ける距離に折り重なっていて、同じ一日でも場面が次々に切り替わっていきます。上杉伯爵邸/上杉記念館は、その切り替えの手前で一度足を止め、時間の流れを整...

上杉神社:上杉謙信と上杉鷹山の遺志を継ぐ米沢の聖地

上杉鷹山(うえすぎ ようざん)について学びたく米沢市に来ました。米沢市上杉博物館を見学したあと、上杉謙信を祀る上杉神社(うえすぎじんじゃ)に来ました。 山形県米沢市にある上杉神社は、戦国武将・上杉謙信(うえすぎ けんしん)を主祭神として祀る歴史ある神社です。かつて米沢城の本丸跡に建てられたこの神社は、今も米沢の象徴的な存在として、多くの参拝者や観光客を迎えています。 上杉神社の歴史は、1876年(明治9年)に遡ります。それ以前、上杉家の祖廟として御堂がありましたが、明治の廃藩置県後、上杉謙信公を正式に神として祀る神社が建立されました。その後、1919年(大正8年)に火災で社殿が焼失しましたが、1923年(大正12年)に再建され、現在の姿に至っています。 上杉神社の見どころの一つは、「義」の精神を体現する遺品の数々です。神社の境内には、上杉謙信の武具や書状などが展示された「稽照殿」があり、戦国時代を生きた彼の姿を垣間見ることができます。特に、直江兼続が使用したとされる「愛」の字が描かれた兜は、多くの歴史ファンの関心を集めています。 また、上杉神社の境内には、米沢藩の財政を立て直した名君・上杉鷹山を祀る摂社「松岬神社」もあります。上杉鷹山は、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」という名言を残し、現在でも多くの人々に影響を与えています。境内には、鷹山公の教えが刻まれた石碑もあり、その精神に触れることができます。 季節ごとに異なる表情を見せる上杉神社も魅力的です。春には、境内の桜が満開になり、訪れる人々を楽しませます。また、冬の2月には「上杉雪灯篭まつり」が開催され、雪と灯りが織りなす幻想的な光景を楽しむことができます。特に、雪に包まれた上杉神社は静寂に満ち、神秘的な雰囲気が漂います。 アクセスも便利で、JR米沢駅からバスやタクシーを利用すれば10分ほどで到着します。車で訪れる場合は、東北中央自動車道の米沢中央ICから15分ほどの距離にあります。 上杉神社は、歴史好きな人にはもちろん、義の精神を大切にしたいと考える人にもおすすめの場所です。戦国武将の遺志を感じながら、米沢の美しい景色を楽しめるこの神社を、ぜひ訪れてみてください。 旅程 東京 ↓(新幹線) 米沢駅 ↓ (中略) ↓ 米沢市上杉博物館 ↓(徒歩) 上杉神社 ↓(徒歩) 上杉家廟所 ↓ (中略) ↓ 林泉寺 ↓(...