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山梨近代人物館(山梨県庁舎別館):旧県庁舎で感じる、山梨の近代化と歴史の息吹

秋晴れの爽やかな一日、私は山梨県甲府市を訪れました。午前中に昇仙峡の雄大な自然を堪能した後、山梨近代人物館を見学するため、バスで甲府市中心部へ移動しました。 偶然にも、その日は「信玄公祭り」の期間中。街のあちこちで武者姿の人々が華やかな行列の準備を進めており、通りにはお祭りらしい活気が満ちていました。 特に今年は、信玄役を初めて女性が務めるとのことで、モデルの冨永愛さんが話題になっていました。私もその行列を一目見たい気持ちはありましたが、残念ながら電車の時間が迫っていたため、後ろ髪を引かれつつ山梨近代人物館へ向かうことにしました。 山梨近代人物館は、甲府城跡に位置する歴史ある建物で、かつて県庁として使用されていました。館内では、山梨県にゆかりのある偉人たちの功績や生涯を詳しく知ることができます。展示室には文学者や実業家、政治家など、さまざまな分野で活躍した人物たちの貴重な資料や遺品が展示されており、彼らが山梨の近代化にどのように貢献したかが丁寧に紹介されていました。 また、旧知事室や政庁を見学できるのも魅力です。当時の内装が残された空間に足を踏み入れると、往時の雰囲気が色濃く漂い、明治から昭和にかけての山梨の歴史を肌で感じることができました。 信玄公祭りと重なったこの日の甲府市は、歴史を感じさせると同時に現代の活気に溢れていました。祭りの熱気と、静かな人物館でのひととき。偶然と予定が重なり合った、とても印象的な一日となりました。 旅程 東京 ↓(JR) 甲府駅 ↓(バス) 昇仙峡滝上バス停 ↓(昇仙峡ロープウェイ) 昇仙峡頂上/展望台 ↓(昇仙峡ロープウェイ) 影絵の森美術館 ↓(徒歩) 昇仙峡/長潭橋 ↓(バス) 山梨近代人物館 ↓(徒歩) 甲府駅 ↓(JR) 東京 関連イベント 【公式】信玄公祭り~世界最大の武者行列~ 周辺のスポット 甲府城跡 甲府市藤村記念館(旧睦沢学校校舎) 長禅寺 地域の名物 関連スポット リンク 山梨近代人物館/ホーム 山梨県/山梨近代人物館 山梨近代人物館/富士の国やまなし観光ネット 山梨県公式観光情報

昇仙峡:奇岩と滝に癒やされる、自然と芸術の旅路

秋晴れの一日を利用して山梨県甲府市の昇仙峡を訪れました。昇仙峡といえば、日本有数の渓谷美で知られ、特に紅葉の時期には多くの観光客で賑わうスポットです。 私は電車とバスを乗り継いで、昇仙峡ロープウェイの乗り場まで向かい、そこからロープウェイで山頂へと一気に上りました。ロープウェイの車窓からは、渓谷の深い緑と奇岩が広がり、日常の喧騒を忘れさせてくれます。 山頂に到着すると、まず目に飛び込んでくるのは、岩場に設けられた展望台です。見下ろすと足元がすくむほどの高さですが、その分だけ素晴らしい眺望が広がっています。遠くには南アルプスの山並みが見え、昇仙峡の自然の雄大さを肌で感じることができました。展望台をあとにして、八雲神社や和合権現、そして龍の松など、歴史と自然が調和した山頂の見どころを歩いて巡りました。八雲神社は古くから地域の人々の信仰を集めてきた場所であり、参拝しながらこの地の長い歴史にも思いを馳せました。 再びロープウェイで麓に戻ると、そこには水晶やクリスタルを扱うお店が軒を連ねていました。昇仙峡周辺は古くから水晶の産地として知られ、かつては多くの鉱山があったそうです。美しく輝く水晶は、今もこの地の大きな魅力のひとつです。 続いて、夫婦木神社を訪れました。この神社は縁結びや安産のご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れています。静かな境内で手を合わせると、自然と心が穏やかになる気がしました。次に足を運んだのは、影絵の森美術館です。ここでは、光と影で表現された幻想的な世界を堪能し、普段なかなか味わえない芸術体験を楽しみました。 昼食には、山梨名物のほうとうをいただきました。もちもちした太い麺と、たっぷりの野菜が煮込まれた素朴な味は、旅の疲れをほっと癒してくれます。 食後は、渓谷沿いを歩いて長潭橋を目指しました。10月末とは思えないほど心地よい気温で、仙娥滝や覚円峰、羅漢寺、天鼓林、寒山拾得岩といった昇仙峡の名所を一つひとつ巡りながら、ゆっくりと散策を楽しみました。仙娥滝の轟音や、覚円峰の堂々たる姿は、まさに自然の造形美を感じさせます。 長潭橋に着いた頃には、すっかり足も疲れていましたが、バスの時間まで近くの喫茶店で一息つくことができました。その後、バスに乗って甲府駅へ戻り、充実した一日を締めくくりました。 昇仙峡は、壮大な自然だけでなく、歴史や文化、そして地元の人々の暮ら...

河崎川の駅:舟運の音が聞こえる、勢田川沿いレトロ散策

伊勢神宮を中心に街歩きを楽しんだ本日の夕方、勢田川沿いの河崎地区に足を延ばし、「河崎川の駅」に立ち寄りました。周辺の町並みに溶け込む外観で、黒い塗りの蔵や商家が続く河崎の風景にすっと馴染んで見えます。入口は土蔵の戸のように重厚で、通りから一歩入ると川風が抜け、旅の終盤にちょうどよい静けさでした。2階には簡単な資料展示があり、町の成り立ちや川と商いの関係を写真やパネルでたどることができました。勢田川に向かって開かれた窓から外を眺めると、川を背に栄えた町の呼吸が、今もゆっくりと続いているように感じられます。 河崎は、伊勢市の中心を流れる勢田川の水運を生かして問屋街として発達し、「お伊勢さんの台所」と呼ばれた商いの町です。江戸時代から残る蔵や商家の並びは、川とともに築かれた生活の記憶をいまに伝えています。川沿いに石段が残り、荷の上げ下ろしや船の出入りを支えた景観が、ところどころに読み取れます。観光でにぎわう内宮・外宮の界隈から少し離れるだけで、伊勢の台所を支えた裏方の時間が見えてくるのが河崎の面白さだと思います。 「河崎川の駅」そのものは古建築ではなく、勢田川に面した“駅舎風”の建物で、かつて伊勢市内を走っていた路面電車の駅舎をイメージして造られています。写真映えする外観に寄せつつ、内部では河崎の歴史をパネルで紹介していて、地区散策の起点にちょうどよい案内所のような役割を担っていました。私が見た土蔵風の重い扉も、この“駅舎風”デザインと河崎らしい蔵の意匠が交わった表情なのだと腑に落ちました。 勢田川の水面がゆっくり色を変える黄昏時、商家の軒と蔵の壁が柔らかく影を落とし、昼間の伊勢の華やぎとはまた違う落ち着きが広がっていました。伊勢参りの表舞台を楽しんだあとに、台所を支えた“裏方の町”で一息つく。そんなリズムで歩くと、伊勢という土地の立体感がぐっと増して感じられます。次に訪れるときは、川の駅を起点に周辺の蔵や商家をもう少し丁寧にめぐり、商人館などの施設にも腰を据えて触れてみたいと思いました。 帰り際、勢田川を渡る風に背中を押されながら、伊勢の「表」と「裏」が川でつながっていることを改めて実感しました。旅の一日の終わりにふさわしい、静かな寄り道になりました。 旅程 東京 ↓(新幹線/近鉄名古屋線) 伊勢市駅 ↓(バス) 内宮前 ↓(徒歩) 伊勢神宮内宮 ↓(徒歩) 倭姫宮 ↓...

伊勢河崎商人館:勢田川のほとりで、旧家に囲まれた静かな時間

本日、伊勢神宮の内宮と外宮をお参りしたあと、まだ少し時間があったので、足を延ばして伊勢市河崎(かわさき)に向かいました。参拝を終えたあとのほどよい疲れと高揚感を抱えながら、今度は「伊勢の台所」と呼ばれたまちの記憶に触れようという、小さな寄り道でした。勢田川沿いに広がる河崎は、江戸時代から水運を生かした問屋街として栄え、伊勢神宮への参宮客に食料や雑貨を供給する拠点として発展した地域です。 河崎の通りを歩いていると、「古本屋ぽらん」や「大長」と書かれた店など、昔ながらの佇まいを残した建物がぽつぽつと現れました。観光地として整えられた町並みというより、今も生活の気配が残る中に、古い商家が静かに息づいているような雰囲気です。伊勢市街の中心からそう遠くないのに、歩くにつれて時間の流れが少しずつゆっくりになっていくように感じました。その先に現れたのが、この日の目的地である伊勢河崎商人館でした。 伊勢河崎商人館(いせかわさきしょうにんかん)は、江戸時代中期に創業し、約三百年続いた老舗の酒問屋「小川酒店(旧小川酒造店)」の建物を修復し、歴史文化交流拠点として再生した施設です。勢田川の水運に支えられた河崎の繁栄を象徴する商家で、敷地内の蔵七棟と町家二棟など、十二棟の建物が国の登録有形文化財に指定されています。 かつてはここに全国から酒や物資が運び込まれ、伊勢のまちと参宮客の暮らしを支えてきたのだと思うと、建物に一歩足を踏み入れただけで、ふだん目にする「古い家」とは重みの違う空気を感じました。 外観は、黒い板壁に瓦屋根の、いかにも河崎らしい蔵と町家の混じり合った姿ですが、中に入ると印象が少し変わります。まず一階には暖炉のある洋間があり、和風の商家の中に突然現れる洋風の応接室に驚かされました。明治から昭和にかけて、取引先や来客を迎える場として洋間を設けたのでしょうか。和の建物に洋の家具や暖炉が収まっている様子は、単なる「和洋折衷」という言葉以上に、時代の移り変わりを受け止めながら商いを続けてきた商家の工夫と意気込みを感じさせました。 母屋の奥へ進むと、急な階段が現れます。そろそろと上りたくなるような角度で、その下には物入れがしっかり作られていました。この階段と物入れの組み合わせが、まさに古い家らしい部分で、生活の細部にまで「商いの現場」としての実用性がにじんでいます。 二階に上がると、そ...

倭姫宮:祈りの源流へ、御杖代の伝承をたどる、小さな参拝の旅

伊勢神宮に参拝に三重県の伊勢市に来ました。 まず、伊勢神宮内宮を参拝したあと、おかげ横丁やいくつかの博物館に寄りながら、倭姫宮(やまとひめのみや)に来ました。 今回は南から歩いて来ているので、南側から入りましたが、博物館がある北側から入ることもできます。 参道はとても静かな森できれいに手入れされています。 本殿は小さいですが、敷地の広さと手入れが行き届いていた森に囲まれているため、その小ささが神聖さを感じさせます。 横には遷宮用の土地があります。伊勢神宮関連はすべて式年遷宮があるのでしょうか。ここに来るまで、どの神社に行っても横に用意されていました。 倭姫宮は1923年(大正23年)に造られた、比較的新しい神社で、伊勢神宮の別宮(べつぐう)です。 天照大御神を祭る伊勢神宮を創建した倭姫命(やまとひめのみこと、倭比賣命、倭比売命)を祀っています。倭姫命は第11代垂仁天皇の四女で古代の皇族です。元々、天照大御神は皇居で祀られていましたが、皇居の外で祀られることになり、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の後を継いで倭姫宮が14か所をご巡幸され、現在の伊勢神宮の地に天照大御神を祀ることになりました。 倭姫宮や倭姫命については、近くの神宮徴古館などで学ぶことができます。 旅程 東京 ↓(新幹線/近鉄名古屋線) 伊勢市駅 ↓(バス) 内宮前 ↓(徒歩) 伊勢神宮内宮 ↓(徒歩) 倭姫宮 ↓(徒歩) 伊勢神宮 外宮 ↓(徒歩) 古本屋 ぽらん ↓(徒歩) 伊勢河崎商人館 ↓(徒歩) 河崎川の駅 ↓(徒歩) 伊勢市駅 周辺のスポット 神宮美術館 神宮農業館 神宮徴古館 神宮文庫 伊勢神宮 外宮 伊勢神宮 内宮 おかげ横丁 リンク 倭姫宮 (皇大神宮別宮) | 公益社団法人 伊勢市観光協会 皇大神宮別宮 倭姫宮(伊勢神宮 内宮) | スポット・体験 | 伊勢志摩観光ナビ - 伊勢志摩観光コンベンション機構公式サイト 倭姫宮(やまとひめのみや) 倭姫宮御杖代奉賛会/倭姫宮 伊勢神宮・内宮の別宮 倭姫宮 - 参宮の宿 宿屋五十鈴

斎場御嶽:古代琉球の魂が宿る場所

だいたい木曜に週末の旅行計画を立てますが、今週末は日本中が雨で、飛行機や現地の滞在時間をざっと計算したところ、日帰りで沖縄に行くことにしました。 北海道と沖縄は地名や物の名前などから、日本国内でありながら、異なる文化を強く感じます。民族が違うので文化が異なるのは当然ですが、北海道が距離的にも縄文時代からの交流が強かったのに対して、沖縄(琉球)は距離もあるのか、完全に日本らしさがありません。勝手に中国に近いと思っていますが、中国から見たらまた違うもので、完全なオリジナルなのかもしれません。 普段は健康維持の目的も兼ねているので徒歩中心ですが、沖縄は観光スポットの間の距離もあるので、前半はタクシーを空港で貸し切りにして一気に回りました。 ひめゆりの塔、玉泉洞とまわって、斎場御嶽(せーふぁーうたき)に来ました。 ここは、旅行業取扱管理者の試験で学びましたが、斎場と書いてせーふぁーと読むところが、どこか中二っぽさがあり、異国感が強いです。もちろん、せーふぁーという発音が先にあって、漢字は後付けだと思います。斎場は「最高位」という意味、御嶽(うたき)は「聖地」、斎場御嶽で「最高位の聖地」。王族のための最高位の祈りの場所です。 斎場御嶽の入り口の建物に入ると、まずは映像をきちんと見ることを言われます。他の観光スポットのように見たい人だけ見たら良い感じではなく、全員が見る必要がありそうです。これは、斎場御嶽が非常に神聖な場所で、騒いだり、派手な服装で入ったり、足を踏み入れてはいけない場所を理解するためです。神社、お寺、教会、モスクのような宗教施設だと、他宗教の施設でも静かにしますが、自然の中にあると山や森にいるようにはしゃいでしまう可能性があるので、事前に学んでもらっているのではないでしょうか。オーストラリアのウルル(エアーズロック)が観光禁止になったのも似たような理由かと思います。 そもそも斎場御嶽は、男子禁制だったので、本来は私も入ってはいけないのかもしれません。かつては、斎場御嶽で力仕事など男性が必要な場合は、女装して入りました。 参道は森の中でとても静かです。昔は、ウローカーという井泉(せいせん)があり、そこで禊ぎ(みそぎ)を行ったあと、斎場御嶽の入り口の御門口(ウジュウグチ)に向かいしました。斎場御嶽の参道は、国王が巡拝するため、幅広の作りとなっています。 三角形の空間...

北海道大学

午前中は小樽を周り、午後札幌に移動して、北海道大学に来ました。 札幌に来ると、あちこちでクラーク(William Smith Clark)さんの展示や説明が出てきますが、北海道大学では、前身の札幌農学校の初代教頭(事実上の校長)がクラークさんです。 札幌農学校は、1876年(明治9年)に開校しました。 1907年(明治40年)に、東北帝国大学農科大学となりました。当初、仙台と札幌の分科大学として運営される予定でしたが、最初は札幌のみで東北帝国大学が運営されました。 1918年(大正7年)、東北帝国大学が都市ごとに分離し、東北帝国大学農科大学は北海道帝国大学となりました。 1947年(昭和22年)、北海道帝国大学は北海道大学になりました。 北海道大学は、観光客向けのインフォメーションセンターもあり、「エルムの森」で観光マップなどをもらうことができます。 非常に広く東京ドーム38個分の広さで、中には道路もあり、小さな町のようです。 古河講堂は、1909年(明治42年)の建物で、国の登録有形文化財です。もともと旧東北帝国大学農科大学の林学教室でした。1907年(明治40年)に、旧東北帝国大学農科大学となったときに、この講堂、予科行動、畜産学教室などが、古河家の寄付により新築されました。 旧昆虫学及び養蚕学教室は、1901年(明治34年)の建物で、国の登録有形文化財です。札幌キャンパス内の最古の校舎です。 旧札幌農学校図書館読書室・書庫は、1902年(明治35年)の建物で、国の登録有形文化財です。 北海道大学総合博物館では、北海道大学の各学科で研究されている内容が展示されています。化石、発掘した石器、ロケットなど多岐に渡ります。 マンモス。 礼文島の石器。 恐竜の化石。 ロケット。 札幌農学校第2農場は、1867年に開設され、国の重要文化財です。 かなりの数の建物が残っています。 中には、農業に関する多くの資料が展示されています。 旅程 羽田空港 ↓(飛行機) 千歳空港 ↓(鉄道) 小樽駅 ↓(徒歩) (小樽観光) ↓(徒歩) 小樽駅 ↓(鉄道) 札幌駅 ↓(徒歩) 北海道大学 ↓(徒歩) ホテル 関連イベント 周辺のスポット 北海道庁赤れんが庁舎 (旧本庁舎) 札幌市時計台 さっぽろテレビ塔 AOAO SAPPORO 札幌市資料館(旧札幌控訴院) 地域の名物 関連スポット...