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敦賀シンボルロード:新幹線開業前夜の敦賀で、銀河鉄道とヤマトに出会う散歩

気比の松原を目的に福井県敦賀市へ向かい、駅から「敦賀シンボルロード」を歩きました。

ちょうどこの頃の敦賀駅には、北陸新幹線の延伸開業を告げる横断幕が出ていて、「いま街が変わる途中なんだな」という空気がありました。なお、北陸新幹線(金沢―敦賀間)はその後、2024年3月16日に開業しています。

駅前でまず目に入ったのが、古代の鎧姿の「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」像です。聞き慣れない名前でしたが、敦賀という地名の由来に関わる人物として『日本書紀』などに伝承が残り、敦賀が古くから対外的な門戸(港=津)として機能してきたことを連想させる存在でもあります。

そこから少し歩くと、今度は一気に世界観が変わります。商店街沿いの通りに、松本零士作品の「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」の名場面を再現したモニュメントが点在していて、散歩がそのまま“作品の回廊”になります。これらのモニュメントは、敦賀駅から氣比神宮へ向かう商店街(シンボルロード)沿いに設置されており、街の中心部を歩きながら自然に巡れるのが面白いところです。 

最初に出会ったのは「銀河鉄道999」の車掌の像でした。子どものころにアニメで見た記憶はあるものの、正直なところ全キャラクターや細かな場面までは思い出せません。それでも、メーテルや鉄郎のように「名前と輪郭だけは覚えている」存在が目の前に現れると、記憶の引き出しが少しずつ開いていく感じがありました。像のそばには簡単な説明も添えられていて、覚えていない部分があっても“置いていかれない”つくりになっています。

この日は気比の松原や氣比神宮なども回ったあと、帰り道は行きとは反対側のルートで駅へ戻りました。すると今度は「宇宙戦艦ヤマト」側のモニュメントが続きます。こちらも、私の記憶に残っていたのは「宇宙船」くらいでしたが、銅像と説明を追ううちに、点だった知識が線になって「たぶんこういう全体像なのだろう」という理解の気配が立ち上がってきます。子どものころには難しく感じたであろう物語が、“街の展示”として再編集されているのが印象的でした。

歩き終えてから調べると、このシンボルロードのモニュメントは1999年、敦賀港の開港100周年を記念して設置されたものだと知りました。さらに敦賀は、かつて国際連絡の結節点として鉄道と港が結びついた歴史を持ち、東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」にも触れられることがあります。港町として“外とつながってきた街”が、今度は松本零士の物語を媒介にして“宇宙につながる街”を演出している──そう考えると、この記念事業の選択が急にしっくりきました。 

そして何より、20年以上前に作られた屋外モニュメントが、いまもきれいに保たれていることに驚きます。通りの賑わいを支える“街の資産”として、丁寧に手入れされてきたのでしょう。新幹線開業で敦賀を訪れる人が増えた今(そしてこれからも)、駅から歩いて楽しめる名所として、さらに存在感を増していくのだろうと思いました。

旅程

東京

↓(新幹線/特急)

敦賀駅

↓(徒歩)

敦賀シンボルロード

↓(徒歩)

敦賀城跡

↓(徒歩)

(略)

↓(徒歩)

人道の港 敦賀ムゼウム

↓(徒歩)

(略)

↓(徒歩)

敦賀駅

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  • 敦賀鉄道資料館

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