2024年元日の夕方、ロンドン観光の2日目の締めくくりに、セント・ジョンズ・ウッド駅から坂を下ってアビー・ロード方面へ歩きました。地図の「Abbey Road Pedestrian Crossing」を目指して、Grove End Roadを抜けていく王道ルートです。小雨まじりでしたが、幸い強くは降らず、歩いているうちにむしろ街灯と濡れた路面のきらめきが年始の街の空気を引き締めてくれるようでした。
横断歩道に着くと、想像以上に交通量の多い三叉路で、あのアルバム・ジャケットの舞台そのものが、いまも現役の生活道路の一部であることを実感します。信号機のないゼブラ柄の横断歩道を、“あの歩き方”を再現したい旅行者と先へ進みたい車がせめぎ合い、クラクションも混じって少しカオス――でも、それもまたこの場所の日常風景。英国のゼブラ・クロッシングらしくベリシャ・ビーコンが立つ現場感が、伝説の舞台を単なる“記念碑”にしないのだと感じました。
最近は日本でもオーバーツーリズムやマナーが話題になりますが、この交差点はきっと昔から地域の人の辛抱と観光客の憧れが同居してきたのでしょう。私は一人旅だったので、あえて人が途切れた一瞬を狙って横断歩道だけを撮影しました。すぐそばのアビー・ロード・スタジオの外観も写真に収め、雨粒に濡れた白い壁と黒いサインが浮かぶように見えたのが印象的でした。
この横断歩道が世界的な“聖地”になったのは、1969年8月8日。写真家イアン・マクミランが脚立に上がり、警察官が数分だけ交通を止めるあいだに、ビーートルズの4人が何度か行き来して撮られた数カットのうちの一枚が、アルバム『Abbey Road』のカバーになりました。現場に立つと、レンズが切り取った一瞬と、今も流れ続ける日常との重なりが不思議と腑に落ちます。
スタジオ自体の歴史も古く、1931年に開業して以来、クラシックからポップス、映画音楽まで無数の録音を生んできました。アルバムの成功で地名が世界語になった後、スタジオは1976年に正式に「Abbey Road Studios」と改称され、名前も場所も音の都として定着していきます。2010年には建物がグレードII(特別な建造物で、保護が必要な建造物)に指定され、同年、横断歩道そのものも異例のグレードIIに登録。音楽史と都市の暮らしをつなぐ風景が、公的にも“守るべき文化”として位置づけられました。
雨のアビー・ロードは、観光名所の喧騒の向こうに、音の記憶と生活のリズムが同居する街の素顔を見せてくれました。わずかな小雨とクラクション、そして白線のにじみ――そのどれもが、ジャケット写真の“続き”として、私の旅ノートの一頁に静かに重なっていきました。
旅程
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(略)
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ロンドン大火記念塔
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地域の名物
- フィッシュ・アンド・チップス
- 紅茶(ブリティッシュ・ティー)
- スコーン&クロテッドクリーム
- エール
- ジン
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