スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

妙福寺:冬の境内、薄紫を思い描いて、銚子駅前で出会う古刹の時間

銚子電鉄の外川駅から海風を感じながら北へ歩き、夕刻近くにたどり着いたのが銚子駅近くの妙福寺(みょうふくじ)でした。北から回り込んだため裏門から境内に入り、静かな空気の中でまず大本堂に参拝しました。旅の締めくくりにふさわしい落ち着きがあり、歩き続けた一日の体の疲れがふっと和らいだ気がします。 妙福寺は日蓮宗の古刹で、房総一帯に色濃く残る妙見信仰とも結びついてきました。妙見は北極星・北斗七星を神格化した守護神で、中世にこの地を治めた千葉氏の庇護のもと広まったと伝えられます。境内に妙見宮拝殿が置かれているのは、その歴史的背景を今に伝える象徴だと感じました。 本堂ののち、妙見宮拝殿に手を合わせ、さらに妙福稲荷堂へ。商都・港町として栄えた銚子らしく、海上安全や商売繁盛への祈りが積み重ねられてきた場所だと思うと、一つひとつの奉納札や狐像の表情にも親しみが湧きます。稲荷堂の赤と周囲の木立の緑がよく映え、冬の淡い光にも心が温まりました。 境内の奥には「龍神瀧」と呼ばれる水の場があり、しぶきの音が旅の余韻を静かに締めてくれます。漁の町と結びつく水の信仰はこの地の暮らしと直結しており、龍神に海の穏やかさと道中の無事を願う人々の思いが重なって聞こえるようでした。 妙福寺といえば藤の名所として知られ、見頃は例年四月下旬から五月上旬ごろです。訪れたのは十二月で花期から外れていましたが、枝ぶりの堂々たる藤棚を眺めていると、満開の季節の香りと薄紫の陰影が想像でき、次は藤のころに必ず戻って来ようという気持ちになりました。 外川駅からの町歩きの終点に妙福寺を選んだことで、銚子の歴史と信仰、そして港町の時間の流れに自然と触れられた一日でした。季節を変えればまた表情を変えるであろう境内を思い浮かべつつ、次の参拝では藤の花の下でゆっくりと時間を過ごしたいと願っています。 旅程 東京 ↓(電車) 銚子駅 ↓( 銚子電鉄 ) 外川駅(とかわえき) ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 地球の丸く見える丘展望館 ↓(徒歩) 補陀洛山満願寺 ↓(徒歩) 犬吠駅 ↓(徒歩) 犬吠埼 ↓(徒歩) 銚子ポートタワー/ウオッセ21 ↓(徒歩) 圓福寺 ↓(徒歩) 銚子セレクト市場 ↓(徒歩) 妙福寺 ↓(徒歩) 銚子駅 ↓(JR) 東京 周辺のスポット 銚子セレクト市場 圓福寺 地域の名物 ぬれ煎餅 リンク 妙福寺 – 祈りの...

圓福寺 観音堂(飯沼観音):朱に染まる境内、銚子の風を聴く

外川の港町から歩いて銚子の町なかへ抜ける道すがら、旅の終盤に朱塗りの仁王門が視界に飛び込みました。門をくぐると、境内は五重塔も本堂(飯沼観音)も鮮やかな朱で統一され、冬の淡い光の下でいっそう際立って見えます。まずは本堂で手を合わせ、堂内も拝観しました。磨かれた床に差す光や、ご本尊へ向かう参詣の人の足音が静かに響き、海風の町にある寺とは思えないほど、しっとりとした時間が流れていました。 ここ圓福寺(えんぷくじ)はは坂東三十三観音霊場の第二十七番札所として知られ、古くから「銚子の観音さま」と親しまれてきました。寺伝では奈良時代の神亀五年(728年)、漁師の網に十一面観音像がかかり、これを祀ったのが起こりとされ、そののち弘法大師・空海が開眼供養を行ったと伝わります。海と観音の縁起が、港町の信仰を育んできたことがうかがえます。 門前の賑わいもまた歴史の一部です。坂東札所に数えられたことが銚子の発展を後押しし、観音堂を中心に門前町が形づくられました。海の安全や家内繁栄を願う人々が行き交い、信仰と交易が交差する場として栄えたことを思うと、境内の朱が単なる装飾以上の力を帯びて見えてきます。 戦禍により堂宇の多くは失われましたが、観音信仰は途絶えることなく受け継がれ、現在の建物は戦後に再建されたものです。境内にそびえる五重塔は平成21年(2009)の完成で、総高約33.55メートル。海風を受けながら、どっしりと町を見守る灯台のような存在感がありました。 外川からの長い散策を締めくくるように、朱の回廊を振り返ると、潮の香りと読経の声が混じり合い、銚子らしい音と匂いが胸に残ります。旅の途中でふと立ち寄っただけのつもりが、海から生まれた観音の物語と、門前に息づく人々の営みが静かに重なって、心にしっかり刻まれる訪問となりました。次は季節を変えて、朱の塔に朝日が当たる時間帯にも来てみたいと思います。 旅程 東京 ↓(電車) 銚子駅 ↓( 銚子電鉄 ) 外川駅(とかわえき) ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 地球の丸く見える丘展望館 ↓(徒歩) 補陀洛山満願寺 ↓(徒歩) 犬吠駅 ↓(徒歩) 犬吠埼 ↓(徒歩) 銚子ポートタワー/ウオッセ21 ↓(徒歩) 圓福寺 ↓(徒歩) 銚子セレクト市場 ↓(徒歩) 妙福寺 ↓(徒歩) 銚子駅 ↓(JR) 東京 周辺のスポット 銚子セレクト市場 妙福寺 地域...

銚子ポートタワー/ウオッセ21:岬の灯台から港のタワーへ、歩いて分かる銚子の距離感

冬の銚子を歩いていると、潮の匂いと海風の手触りが、町の輪郭をはっきりさせてくれます。この日は、朝から銚子市内を巡り、銚子電鉄で外川駅へ向かってから、外川町の路地や犬吠埼をたどりつつ、君ヶ浜沿いの道を北上して銚子ポートタワーへ歩きました。観光地同士を「地図の線」でつなぐのではなく、海岸線そのものを辿っていく移動は、銚子という土地が「海とともにある町」だという事実を、身体の感覚で納得させてくれます。 犬吠埼といえば、明治期に建設された灯台が有名です。犬吠埼灯台は1874年に完成した煉瓦造の灯台で、近代日本の海上交通を支えた遺産として重要文化財にも指定されています。 旅の序盤でこの近代化の象徴に触れておくと、同じ海を前にしても、海岸の景色が「眺め」だけではなく「人が築いてきた航路の歴史」と重なって見えてきます。 君ヶ浜を抜けて港の地区に入ると、遠くに銚子ポートタワーが見えてきました。海岸の開けた空に、鏡のようなガラスの塔が立っているのは、どこか未来的でもあり、港町の実務的な風景に一つのアクセントを添えています。銚子ポートタワーは千葉県の施策の一環として整備され、1991年に開業した高さ57.7メートルのタワーです。「水揚げの町」の日常が、観光という入口からも立ち上がるように設計された施設だと知ると、ただ展望を楽しむ場所以上の意味が見えてきます。 タワーの隣には魚市場のウオッセ21があり、まずはそちらから見学しました。市場の売り場に並ぶ魚介類の瑞々しさは、銚子の港が“現役”で動いていることを何より雄弁に語ります。ウオッセ21もタワーと同じく1991年にオープンした施設として紹介されています。 海鮮丼など食事を楽しめる場所もあり、観光客にとっては「港の恵みをその場で味わう」導線が整っていますが、この日は犬吠埼ですでに食事を済ませていたため、眺める楽しさに徹しました。食べられなかった悔しさよりも、「次はここで食べる理由ができた」という宿題が一つ増えた感覚の方が近かったです。 市場を一通り見たあと、銚子ポートタワーへ向かい展望階に上りました。高い場所から港を見下ろすと、銚子が関東の最東端で、利根川が太平洋に注ぐ地点に築かれてきた町だという地理がよく分かります。銚子という地名自体、河口の形が酒器の「銚子(提子)」に似ていることに由来する、という説明もあります。 こうした地形は、海か...

犬吠埼:明治の灯りと地層が語る海辺、レンズ越しに感じた航海の歴史

澄み渡る晴天の下、犬吠埼を訪れました。冬の冷たい空気の中、銚子電鉄に揺られて外川駅に降り立ち、駅の南側から静かな町並みを歩き始めました。朝の早い時間帯だったこともあり、まだ人気の少ない路地を進みながら、漁港の町ならではの風情や潮の香りを楽しみます。 やがて犬吠埼の岬へと辿り着きました。最初に目に入ったのは、海に向かってそそり立つ岩壁と、そこに刻まれた見事な地層です。犬吠埼周辺は地質学的にも興味深く、長い年月をかけて作られた地層が、まるで地球の歴史を静かに語っているかのように見えました。 灯台を目指して岬を歩くと、白亜の犬吠埼灯台が青空に映えて立っていました。 この灯台は1874年(明治7年)にイギリス人技師ブラントンの設計で建てられた、日本を代表する洋式灯台のひとつです。その歴史を思いながら灯台の資料展示館を訪れると、巨大なレンズやかつて使われていた灯火器具が展示されていて、灯台が果たしてきた航路の安全を守る役割の重みを改めて感じました。 灯台の内部は思った以上に狭く、らせん階段は急な傾斜で、登るごとに息が上がります。 それでも、最上階にたどり着いた瞬間、目の前に広がる太平洋と房総の海岸線は、努力が報われるほどの絶景でした。海と空の境界がくっきりと見え、冬の光が波にきらめいていたのを今でも鮮明に思い出します。 灯台を後にした私は、君ヶ浜へと歩を進めました。海岸沿いの道を北上しながら、遠くに見える銚子ポートタワーを目指します。潮風を浴びながら砂浜を歩く時間は、旅の余韻を味わうのにふさわしいひとときでした。 犬吠埼の旅は、歴史ある灯台と大自然の景観、そして静かな町の雰囲気が調和した、心に残る一日となりました。また訪れたくなる場所として、私の中に刻まれています。 旅程 東京 ↓(電車) 銚子駅 ↓( 銚子電鉄 ) 外川駅(とかわえき) ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 地球の丸く見える丘展望館 ↓(徒歩) 補陀洛山満願寺 ↓(徒歩) 犬吠駅 ↓(徒歩) 犬吠埼 ↓(徒歩) 銚子ポートタワー/ウオッセ21 ↓(徒歩) 圓福寺 ↓(徒歩) 銚子セレクト市場 ↓(徒歩) 妙福寺 ↓(徒歩) 銚子駅 ↓(JR) 東京 周辺のスポット 銚子電鉄 犬岩&のぞき岩 千騎ケ岩 地球の丸く見える丘展望館 長九郎(ちょぼくり)稲荷神社 長崎鼻一ノ島照射灯 圓福寺 観音堂 日蓮宗 海上山...

補陀洛山満願寺:銚子の丘にたたずむ静寂な祈りの空間

地球の丸く見える丘展望館から犬吠埼に向けて歩いていたところ、途中に大きな寺院が見えたので寄ってきました。 お寺の名前は満願寺で、1976年(昭和51年)に創建された比較的新しいお寺でした。仁王門は非常に大きく立派で、色鮮やかです。 ご本尊は十一面観世音菩薩で、銚子電鉄の観音駅近くの圓福寺の本尊の写しです。金色の本堂の中にあります。 中門を入ると西国、坂東、秩父、四国、諸国霊場の五ヶ所の仏足跡お砂場があります。 身体健全、病気平癒の祈願をこめてお砂踏みできます。 巡礼のお寺なので、本堂以外に188ヵ所(四国・西国・坂東・秩父)満願堂、大師堂、ウスサマ堂、薬師堂等があります。 境内には、6,000本の椿が植えられ、12月末~3月まで花が楽しめます。 旅程 東京 ↓(電車) 銚子駅 ↓( 銚子電鉄 ) 外川駅(とかわえき) ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 地球の丸く見える丘展望館 ↓(徒歩) 補陀洛山満願寺 ↓(徒歩) 犬吠駅 ↓(徒歩) 犬吠埼 ↓(徒歩) 銚子ポートタワー/ウオッセ21 ↓(徒歩) 圓福寺 ↓(徒歩) 銚子セレクト市場 ↓(徒歩) 妙福寺 ↓(徒歩) 銚子駅 ↓(JR) 東京 周辺のスポット 銚子電鉄 犬岩&のぞき岩 千騎ケ岩 地球の丸く見える丘展望館 長九郎(ちょぼくり)稲荷神社 長崎鼻一ノ島照射灯 犬吠埼 圓福寺 観音堂 日蓮宗 海上山 妙福寺 銚子セレクト市場 地域の名物 ぬれ煎餅 リンク 巡礼の寺 満願寺 特別霊場 補陀洛山 満願寺 | kanto88 満願寺 | 銚子市観光協会

銚子電鉄:レトロ列車で巡る港町、終着駅で出会うノスタルジー

千葉県の東端の犬吠埼に行くために銚子電鉄に乗りました。 切符は社内で車掌に行先を言って買います。始点の終点の銚子駅から外川駅まで行ったのですが、「とがわえき」かと思ったら、前の人が「とかわえき」と言ってくれたので恥をかかずに済みました。 各駅はレトロな状態を維持されていて、田舎の中を走るのでとてもノスタルジックな感じに浸れます。 外川駅からは、各観光スポットをまわって徒歩で銚子駅まで来ましたが、非常に長い距離だたので冬で良かったです。 ぬれ煎餅の販売で電車の修理代を稼いだという逸話があるそうで、帰りにはぬれ煎餅を買って帰りました。 旅程 東京 ↓(電車) 銚子駅 ↓( 銚子電鉄 ) 外川駅(とかわえき) ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 地球の丸く見える丘展望館 ↓(徒歩) 補陀洛山満願寺 ↓(徒歩) 犬吠駅 ↓(徒歩) 犬吠埼 ↓(徒歩) 銚子ポートタワー/ウオッセ21 ↓(徒歩) 圓福寺 ↓(徒歩) 銚子セレクト市場 ↓(徒歩) 妙福寺 ↓(徒歩) 銚子駅 ↓(JR) 東京 周辺のスポット 犬岩&のぞき岩 千騎ケ岩 地球の丸く見える丘展望館 補陀洛山満願寺 長九郎(ちょぼくり)稲荷神社 長崎鼻一ノ島照射灯 犬吠埼 圓福寺 妙福寺 銚子セレクト市場 地域の名物 ぬれ煎餅 リンク 銚子電気鉄道株式会社 銚子電鉄 | 銚子市観光協会

駿府城跡:家康が愛した城、戦国から江戸へ激動の歴史

午前中に久能山東照宮を参拝し、静岡駅周辺に移動し、かつて駿府城(すんぷじょう)があった駿府城公園に来ました。 駿府城は、静岡県静岡市にある歴史的な城跡で、徳川家康と深い関わりを持つことで知られています。現在は駿府城公園として整備され、市民や観光客が訪れる憩いの場となっています。 戦国時代、この地には今川義元の居城である「今川館」がありました。しかし、1568年(永禄11年)に武田信玄が駿河へ侵攻したことで今川氏は滅亡し、その後、駿府の地は徳川家康の手に渡ります。家康は幼少期を今川氏のもとで過ごしたため、この地には特別な思いがあったことでしょう。 1585年(天正13年)、家康は浜松城から駿府へ移り、城の改修を行いました。しかし、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の命で関東へ移封されると、駿府城は中村一氏(なかむら かずうじ)が城主となります。その後、家康が将軍職を秀忠に譲り、大御所政治を行うために駿府へ戻った1607年(慶長12年)、城は大改修され、壮大な姿へと生まれ変わりました。 駿府城は江戸城に匹敵するほどの規模を誇り、家康の権威を示す象徴でもありました。しかし、1635年(寛永12年)に大火によって焼失し、その後再建されるものの、江戸時代を通じて大きな影響を持つことはありませんでした。明治維新後は廃城となり、旧陸軍の施設が置かれましたが、戦後には駿府城公園として整備され、現在に至ります。 現在の駿府城公園では、復元された東御門や巽櫓を見ることができます。これらの建築物は、当時の姿を再現しており、内部には歴史資料が展示されています。また、1989年(平成元年)には巽櫓が復元され、駿府城の歴史をより身近に感じられるようになりました。 天守台の発掘調査も進められ、巨大な石垣が発見されたことから、かつての壮大な姿を想像することができます。 春には桜が咲き誇り、花見スポットとしても人気があります。広々とした公園内には徳川家康像もあり、歴史を感じながら散策することができます。静岡駅から徒歩圏内でアクセスも良く、静岡観光の際にはぜひ立ち寄りたい場所のひとつです。 駿府城は、家康の人生とともに歩んだ城として、その歴史を今に伝えています。訪れることで、戦国時代から江戸時代にかけての歴史の流れを感じることができるでしょう。 今川仮名目録 今川仮名目録(いまがわかなもくろく)は、戦...