スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

August Bournonvilles Passage:石の神々が見下ろす通り

コペンハーゲンの街を歩いていると、ふとした通りにも歴史と芸術の香りが漂っていることに気づきます。旅の3日目の夕方、ローゼンボー城などを巡ったあと、偶然立ち寄ったのが「August Bournonvilles Passage」でした。劇場街の一角にあるこの通りは、デンマークの誇るバレエ振付家アウグスト・ブルノンヴィル(August Bournonville)の名を冠しています。19世紀のコペンハーゲンで活躍し、デンマーク王立バレエ団の基礎を築いた人物で、その名が街の一部として残っていることに、文化を大切にする国らしさを感じました。 通りの入り口では、道を跨ぐように建てられた建物が印象的で、まるで空中回廊のように左右をつないでいました。その壁面には、ギリシャ神話の神々を思わせる3体の像が並び、静かに街を見守っていました。遠くから見ただけでしたが、夕暮れの光に照らされたその彫刻の陰影は美しく、建物全体がひとつの舞台装置のように見えました。 この街では、王宮や博物館のような大きな建築物だけでなく、こうした小さな通りや装飾にも芸術が息づいています。ブルノンヴィルが愛した舞台の世界が、今も街角に残り、人々の暮らしの中に溶け込んでいるのだと思うと、何気ない散歩が少し特別なものに感じられました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 人魚姫 ↓(徒歩) カステレット要塞 ↓(徒歩) デザインミュージアム・デンマーク ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) アマリエンボー ↓(徒歩) ローゼンボー城 ↓(徒歩) カリタス噴水 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) Garden of the Royal Library ↓(徒歩) August Bournonvilles Passage ↓(徒歩) Memorial Anchor ↓(徒歩) ラウンド タワー ↓(徒歩) ホテル 周辺のスポット Memorial Anchor リンク August Bournonvilles Passage | What to Know Before You Go

ローゼンボー城:王の庭で味わう、デンマークの日常と歴史の交差点

コペンハーゲン2日目、デンマークらしい澄んだ朝の空気に包まれながら、まずは有名な人魚姫の像を訪れ、その後、王の庭を抜けてローゼンボー城へ向かいました。 王の庭、正式には「コングス・ハヴェ」と呼ばれる広々とした庭園は、市民や観光客の憩いの場として親しまれています。色鮮やかな花壇や歴史を感じさせる彫像が点在し、緑に包まれた小径を歩くだけでも、王家の都らしい優雅な雰囲気を味わうことができます。 ローゼンボー城は、デンマーク・ルネサンス様式の傑作として名高いお城です。クリスチャン4世によって17世紀初頭に建てられ、もともとは王の夏の離宮として使われていました。赤レンガと緑青色の屋根が印象的な外観は、童話の世界に迷い込んだかのような幻想的な美しさがあります。 城内に入ると、王族がかつて暮らした華やかな部屋や、豪奢な王冠、宝飾品が展示されており、デンマーク王家の歴史を肌で感じることができます。特に地下の宝物庫では、デンマーク王冠や王笏など、王権の象徴となる貴重な品々が展示されており、その豪華さに目を奪われました。 城の見学を終えて外に出ると、ちょうど衛兵たちが隊列を組み、楽団の演奏とともに行進しているところに出会いました。整然と揃った青い制服、軽やかに響くブラスバンドの音色が、王家の伝統と格式を感じさせます。城の隣には兵舎(バラック)もあり、そこから兵士たちが出てくる様子を見られたのも、また印象深いひとときでした。 コペンハーゲンの歴史と日常が交錯するローゼンボー城で、王家の栄光に思いを馳せながら、今も人々に大切にされているデンマークの伝統を間近に感じることができた一日でした。 旅程 (略) ↓(徒歩) 人魚姫 ↓(徒歩) カステレット要塞 ↓(徒歩) デザインミュージアム・デンマーク ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) アマリエンボー ↓(徒歩) ローゼンボー城 ↓(徒歩) カリタス噴水 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) Garden of the Royal Library ↓(徒歩) August Bournonvilles Passage ↓(徒歩) Memorial Anchor ↓(徒歩) ラウンド タワー ↓(徒歩) ホテル リンク Rosenborg Castle | The Royal Danish Collection

カステレット要塞:赤い兵舎と風車、星形の土塁を歩く

コペンハーゲンの港の風に背中を押されるように歩いて行くと、芝生がなだらかに盛り上がる丘のむこうに赤い兵舎が並ぶ一角に出ました。 地図では見事な五角形に切り取られた場所なのに、地上ではその幾何学はふわりと溶け、静かな散歩道と水堀、整えられた芝生の広がりとして体に触れてきます。 ここが17世紀に築かれた星形要塞カステレットだと意識させるのは、土塁の斜面と角(バスティオン)の“張り出し”が作る独特の地形でした。要塞は五つのバスティオンで五角形を成し、角と角が互いを援護射撃できるように設計されています。死角を消し、横から掃射できる――火砲の時代に最適化された「トレース・イタリエンヌ」と呼ばれる合理の結晶で、地図や空撮で見るとその意図がいっそう鮮やかに見えてきます。 土塁の上に上がると風車が姿を見せました。かつて包囲戦に備えて粉を挽くため、この要塞の土塁には風車が設けられましたが、いま残るのはこの一基だけだそうです。軍の給食用に粉を供給したという逸話も残り、軍事施設でありながら生活の匂いも感じられます。 門をくぐると左右に赤い列状の兵舎が続き、奥に司令官邸や教会、火薬庫などの建物が点在していました。17世紀に王クリスチャン4世がこの地に前哨を置き、スウェーデン軍の包囲(1658–1660)を経て、オランダ人技師ヘンリク・ルーセの手で1660年代に本格的な城塞へと整えられた経緯を思うと、端正な景観の奥にある層の厚さにしばし足が止まります。のちには1807年のコペンハーゲン砲撃でも防衛線の一部を担い、第二次世界大戦初日にはドイツ軍に占領されました。歴史の節目ごとに、この静けさは試されてきたのだと実感します。 門の近くでは銃を携えた兵士の姿も見かけました。観光用の演出か本物か一瞬迷いましたが、ここは今も国防省所管の現役の軍用地で、昼には衛兵交代も行われるとのこと。とはいえ場内は市民に開かれた公園として守られ、芝生の斜面に腰をおろす家族連れや、堀沿いを走るランナーがそれぞれの時間を過ごしていました。物々しさよりも、むしろ優雅で穏やかな空気が支配しているのが印象的でした。 地図の五角形が地上では感じ取りにくいのは、まさにこの要塞の思想ゆえだと気づきます。高くそびえる石壁ではなく、低く厚い土塁と張り出した角が折り重なる構造は、外からの砲撃に強く、互いに側面射撃で援護できる――そういう“機...

仁川国際空港:乗り継ぎ時間で韓国気分満喫、世界屈指のハブ空港

仁川空港(インチョンこくさいくうこう、Incheon International Airport、ICN)経由で上海に行きました。上海は日本から近いですが、ときどき他の空港を経由した方が飛行機代が安くなります。 仁川国際空港は、韓国の首都ソウルに最も近い主要な国際空港です。韓国の西海岸に位置し、仁川市にあります。 2001年に開港して以来、韓国最大の国際ハブ空港として、世界中の主要都市と韓国を結ぶ重要な交通拠点となっています。大韓航空(Korean Air、KE)、アシアナ航空(Asiana Airlines、OZ)、チェジュ航空(7C)などが拠点としています。 仁川国際空港は、韓国最大の空港で、広大な敷地と最新の設備を備えています。年間旅客数は数千万人に上り、アジアでもトップクラスの利用者数を誇ります。 現在、2つの主要ターミナル(第1ターミナル、第2ターミナル)があります。第1ターミナルはもともと開港時からのメインターミナルで、第2ターミナルは2018年にオープンし、より近代的な設計が施されています。 仁川国際空港は、交通のアクセスが非常に便利で、空港鉄道(AREX)やリムジンバス、タクシーを利用してソウル市内まで約1時間以内で移動できます。また、空港内には免税店、レストラン、カフェ、ラウンジなど、多くの施設が揃っており、快適な滞在が可能です。 仁川空港は「スカイトラックス」や「世界空港賞」などの国際的な評価機関からも高く評価され、サービス品質、施設の清潔さ、効率性などでしばしば世界トップの空港にランクインしています。 仁川国際空港は、韓国のフラッグキャリアである大韓航空やアシアナ航空にとって重要なハブ空港となっています。また、アジアと北米、ヨーロッパを結ぶ重要な中継地点としても機能しており、国際的な航空貨物輸送の拠点としても有名です。 空港内には韓国の伝統文化を紹介する施設や展示スペースがあり、乗り継ぎ客や観光客が韓国の文化に触れられる場を提供しています。 仁川国際空港は、その利便性や充実したサービスにより、旅行者にとって非常に使いやすい空港として広く知られています。 旅程 羽田空港 ↓(飛行機) 仁川国際空港 ↓(飛行機) 上海浦東国際空港 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 高麗青磁(こうらいせいじ) チマ・チョゴリ 参鶏湯(サムゲタン) 関連スポッ...

怪物屋敷(キーウ):美と不気味のあいだに立つ違和感に出会う散歩道

キーウの中心部で「怪物屋敷(House with Chimaeras)」と呼ばれる建物を外から見学しました。近づくほどに、装飾の細やかさと全体の不気味さが同居していて、思わず足を止めて見入ってしまいます。個々の彫刻は驚くほど美しいのに、建物全体が放つ妖しさに、なぜ“怪物屋敷”と呼ばれるのかがよく分かった気がしました。 この建物は、20世紀初頭にポーランド出身の建築家ホロデツキーが設計したアール・ヌーヴォーの名作で、場所はバンコヴァ通り10番地。彫刻は友人のイタリア人彫刻家エリオ・サーリャ(Elio Salya)が担当し、神話上の生き物や大型獣、海の生き物などが外壁から屋根にまで絡みつくように配されています。ホロデツキー自身が狩猟好きだったことも、こうした主題選びに影響したといわれます。 敷地は急斜面にかかっていて、正面からは三層、裏手からは六層に見える独特の構成です。コンクリートを巧みに使って基礎をつくり、難しい地盤に建物を据えた技術的挑戦もこの邸宅の魅力の一つだと感じました。 現在、この建物は大統領府の向かいにあり、2005年以降は大統領の迎賓・公式行事に用いられてきました。私が訪れた2013年も中には入れず、厳めしい雰囲気の警備と相まって、外観のみの見学となりました。週末限定の館内ツアーが企画された時期もありましたが、公開は基本的に限定的です。 近くで見れば見るほど、レリーフの陰影や生き物たちのうごめくような配置に引き込まれます。日中は彫刻のディテールがくっきりと際立ち、夕方には屋敷全体が静かに息づくように見えました。観光名所の賑わいから数分歩いただけで、現実と夢の境目があいまいになる――そんな体験をさせてくれる場所です。建築としての完成度と、どこか人の感情にざわめきを起こす物語性。その矛盾が、この家の“怪物らしさ”なのだと思います。 振り返ると、内部に入れなかったことは少し残念でしたが、外観だけでも十分に記憶に残る訪問でした。キーウの街歩きの途中にふらりと立ち寄り、装飾の一体一体に目を凝らす――それだけで、当時の職人たちの息遣いと、建築家が仕掛けた遊び心に触れられます。次に訪れる日には、もう少し長くこの不思議な屋敷の前に立ち尽くしてみたいです。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 怪物屋敷 ↓(徒歩) ホテル 周辺のスポット Independence Square 地域...

祖国記念碑 (キーウ):キーウの屋台のTシャツで出会った歴史のモニュメント

キーウ観光の2日目では、まずペチェールシク大修道院を訪れ、その壮麗な建築や厳かな雰囲気に圧倒されました。修道院の前には小さな屋台がいくつか並んでおり、そこでTシャツを買ったときのことが、今でも鮮明に思い出されます。店主が「すぐそばに大きな像があるから、ぜひ見ていって」と教えてくれたのです。 その像こそ、「祖国記念碑(Mother Ukraine)」でした。なぜかガイドブックには載っていませんでしたが、1981年に完成したこの像は、まさにキーウのランドマークともいえる存在です。高さは台座を含めて100メートル以上に及び、両手に剣と盾を掲げて立つ姿は、堂々たる威厳とともに、ウクライナという国の強さや誇りを感じさせてくれました。 祖国記念碑の周囲には、第二次世界大戦中に活躍した戦車やヘリコプター、ミサイルなどが屋外展示されており、博物館に入らなくてもその迫力を間近に感じることができます。軍事的な展示は、日本ではなかなか見ることのできないものばかりで、戦争という歴史の重みをあらためて実感する場ともなりました。 観光の合間には、近くのレストランでボルシチを味わう時間もありました。赤ビーツの鮮やかな色彩と、優しい酸味が広がるスープは、旅の疲れをほっと和らげてくれるものでした。そして、そのあとはウクライナ国民の自由の門へと足を運び、キーウのもう一つの歴史の象徴に出会うことができました。 祖国記念碑は、ウクライナの激動の20世紀を象徴する存在です。ソビエト時代に築かれ、現在では新しい時代のウクライナを見守るようにそびえ立つその姿を前に、平和と自由の意味について自然と考えさせられる時間となりました。観光地としての知名度は日本ではそれほど高くないかもしれませんが、キーウを訪れるなら一度は足を運んでみたい場所だと感じます。 旅程 (略) ↓(徒歩) 聖ウラジーミル大聖堂 ↓(タクシー) キーウ・ペチェールシク大修道院 ↓(徒歩) 祖国記念碑 (キーウ) ↓(タクシー) ウクライナ国民の自由の門 ↓(タクシー) (略) 周辺のスポット キーウ・ペチェールシク大修道院 国立ウクライナ第二次世界大戦中歴史博物館 地域の名物 ボルシチ リンク Why is Ukraine changing the Motherland monument in Kyiv? Visit Ukraine - Ukra...

キーウ・ペチェールシク大修道院:白い聖堂が語る祈りと光の物語

キーウの午後、タクシーの窓から見えてきた金色の屋根が、まるで陽光を集めて輝いているようでした。目的地はペチェールシク大修道院。キーウの中心部から少し離れた丘の上に広がるこの修道院は、ウクライナ正教の信仰の象徴ともいえる場所です。 入口付近に立つ門は、まるで聖域の境界を示すように道を跨いで建っていました。白い壁に薄い茶色で描かれた繊細な壁画が印象的で、屋根は金色に輝き、この地方独特の優美さを放っていました。その姿を見ただけで、ここが単なる観光名所ではなく、長い歴史と祈りが積み重ねられた場所であることを感じました。 敷地内に入ると、白を基調とした建物がいくつも立ち並び、淡い青の装飾や、聖人たちの姿を描いた壁画が静かに佇んでいました。特に目を引いたのは、白い塔の上に金のドームがいくつも重なった建物で、空の青さと金色の光が見事に調和していました。 ペチェールシク大修道院の始まりは11世紀にまでさかのぼります。洞窟の中で修行をしていた修道士たちがこの地に集まり、やがて大きな修道院へと発展しました。現在では「キーウの洞窟修道院」とも呼ばれ、世界遺産にも登録されています。地下には、かつての修道士たちの遺体が安置された洞窟があり、今も信者たちが静かに祈りを捧げています。 敷地は想像以上に広く、どの建物にも独自の意匠と意味があり、ひとつひとつを見て回るだけでもかなりの時間がかかりました。それでも、どこに立っても目に映るのは白と金、そして青空に映えるドーム。信仰と芸術、そして歴史が融合した光景に、ただ圧倒されました。 観光の終わりに丘の上からドニプロ川を見下ろすと、夕日が金の屋根をさらに輝かせていました。古代から続く祈りの地に立ちながら、ウクライナという国の歴史と精神の深さを静かに感じる時間となりました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 聖ウラジーミル大聖堂 ↓(タクシー) キーウ・ペチェールシク大修道院 ↓(徒歩) 祖国記念碑 (キーウ) ↓(タクシー) ウクライナ国民の自由の門 ↓(タクシー) (略) 周辺のスポット 祖国記念碑 (キーウ) 国立ウクライナ第二次世界大戦中歴史博物館 地域の名物 ボルシチ リンク Visit Ukraine - Visit the Kyiv Pechersk Lavra - the heart and soul of Kyiv for thousands ...