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水戸城跡:学校のある風景に重なる城の記憶

この日は朝から水戸市内を観光し、偕楽園や弘道館を見たあと、水戸城跡へ向かいました。水戸というと、庭園や藩校の印象が強く、城跡についてはそれほど具体的な姿を思い浮かべていませんでした。しかし実際に歩いてみると、石垣や天守が残る城とは違う形で、水戸の歴史と教育の気風が現在の町の中に受け継がれていることを感じる場所でした。 水戸城は、12世紀末から13世紀初頭にかけて馬場大掾氏が城館を構えたことに始まり、その後、江戸氏、佐竹氏、徳川氏へと城主が移り変わる中で拡張されていきました。江戸時代には水戸徳川家の居城となり、御三家の一つである水戸藩の政治的な中心地となりました。台地の地形を生かして本丸、二の丸、三の丸などが置かれ、土塁と堀切を備えた大規模な土造りの平山城であったとされています。現在は本丸跡に水戸第一高等学校、二の丸跡に水戸市立第二中学校や水戸第三高等学校などがあり、三の丸には弘道館などが残っています。 弘道館側から向かったため、まず西側の大手門から城跡に入りました。大手門は名前の通り非常に大きく、城の正面にふさわしい威厳がありました。現在見られる大手門は、史料に基づいて令和2年に復元されたもので、かつて水戸城内で最も格式の高い門でした。高さ約13メートル、幅約17メートルの櫓門で、土塁に取り付く大手門としては国内でも大きな規模のものとされています。 門をくぐって進んでいくと、城跡というよりも、学校や公共施設が並ぶ文教地区の中を歩いているような感覚になります。その途中に、源義公生誕三百年の石碑や旧水戸彰考館跡の石碑がありました。義公とは水戸藩第2代藩主の徳川光圀のことで、水戸黄門として広く知られる人物です。水戸城跡を歩いていると、軍事施設としての城だけではなく、学問や歴史編纂の拠点としての水戸の姿が見えてきます。 彰考館は、徳川光圀が進めた『大日本史』編纂に関わる重要な施設でした。水戸城の二の丸跡には、かつて彰考館が置かれ、『大日本史』編纂の業務が行われていました。現在は二の丸展示館があり、弘道館や偕楽園など、水戸の教育遺産や水戸城に関する情報を発信する場所になっています。 さらに進むと、「大日本史編纂ノ地」の石碑と安積澹泊の銅像がありました。安積澹泊(あさか たんぱく)は、徳川光圀に仕えた儒学者で、『大日本史』編纂に深く関わった人物です。また、時代劇『水戸黄門』に登...