鹿児島観光の3日目に霧島神宮を訪れました。この日は霧島市をタクシーで巡っており、上野原縄文の森などを見たあとに向かったのが、この南九州を代表する古社です。霧島神宮は、天孫降臨の神話で知られる瓊瓊杵尊を主祭神とし、古くは『延喜式』にも記される由緒ある神社です。もともとは高千穂峰付近に祀られていたと伝えられますが、噴火による焼失を経て遷座と再興を重ね、現在の社殿は島津吉貴の寄進によって正徳5年(1715)に整えられたものとされています。さらに本殿・幣殿・拝殿は国宝に指定されており、神話と歴史、そして建築文化が重なり合う場所でもあります。
霧島神宮では、運転手さんに「参道を歩きますか」と尋ねられたため、ふもとのほうで降ろしてもらい、タクシーには上で待っていてもらうことにしました。観光地では目的地の前まで車で行くことも多いですが、こうした場所では、むしろ参道を歩く時間そのものが参拝の一部なのだと感じます。ふもとの町には「日本発祥の地霧島」という石碑が小さなロータリーの中央に建っていて、これから神話の土地へ入っていくのだという気分を高めてくれました。
そこから鮮やかな朱色の神宮橋を渡り、石段を上り、いくつもの朱色の鳥居をくぐりながら、長い参道を進みました。霧島神宮の表参道は、公式案内でも朱塗りの神橋と急勾配の石段、その先へ続く清々しい参道として紹介されていますが、実際に歩いてみると、単なる移動路というよりも、日常から信仰の空間へ気持ちを切り替えていくための装置のように思えました。少しずつ標高を上げながら木々に包まれて進んでいく道には、平地の神社とはまた違った、山岳信仰につながるような厳かな雰囲気があります。高千穂峰と深く結びついた霧島神宮の歴史を思えば、この参道の感覚そのものが、この地の成り立ちを今に伝えているようにも感じられました。
参道を上りきると、ようやく拝殿のある区域に着きました。2020年2月下旬といえば、まだコロナ禍が始まりかけたころで、各地で人出が少なくなりつつあった時期でしたが、霧島神宮では拝殿に長めの行列ができていました。むしろ、先の見えない時期だったからこそ、神前で手を合わせたいと思う人が多かったのかもしれません。社会が不安定になると、人は理屈だけでは割り切れないものに祈りを託したくなるものですが、その光景はまさにそうした人間の心の動きを示しているように見えました。
社殿は、近世神社建築の華やかさをよく伝える姿でした。霧島神宮の建物は、極彩色や彫刻で彩られた装飾性の高さが大きな特徴で、とくに本殿・幣殿・拝殿が高低差のある地形に合わせて構成されている点にも価値があるとされています。実際に境内に立つと、山の斜面を生かしながら築かれた社殿群が、単に美しいだけではなく、この土地の地勢と強く結びついていることがよく分かります。豪壮でありながら、背後の自然に埋もれず、むしろ山そのものの力を受け止めているような建ち方が印象的でした。
境内を歩いていると、ご神木には、まるで参拝する人の目に入るように枝を伸ばしているように見える部分がありました。もちろん自然の姿ではあるのですが、神社の境内では、そうした木々の形にも不思議な意味を感じてしまいます。古社では建物だけでなく、樹木や石、風の通り方まで含めて信仰の場が成り立っているのだと、あらためて思わされました。霧島神宮は社殿の美しさで注目されがちですが、実際には参道の空気、木々の気配、そして山中の神域らしい静けさが重なってこそ、その魅力が伝わってくるのだと思います。
一通り境内を巡ったあと、待っていてくれたタクシーに戻り、次の目的地である高千穂河原ビジターセンターへ向かいました。霧島神宮は、単に名の知れた観光名所というだけでなく、神話の世界と火山の大地、そして近世の島津藩の文化がひとつにつながる場所でした。参道を下から歩いて上ったことで、その魅力をより深く感じられたように思います。神社というものは、拝殿の前で手を合わせる一瞬だけでなく、そこへ至る道のりも含めて体験なのだと、霧島神宮では特に強く感じました。鹿児島・霧島の旅の中でも、この場所は、神話の土地を自分の足で踏みしめたという実感を与えてくれる、印象深い一社でした。
旅程
(略)
↓(タクシー)
坂元のくろず「壺畑」
↓(タクシー)
↓(タクシー)
国分上野原テクノパーク
↓(タクシー)
(略)
↓(タクシー)
待世神社の跡地
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(タクシー)
足湯の駅 えびの高原
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(タクシー)
鹿児島空港
周辺のスポット
地域の名物
- かるかん
- 豚骨料理
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