東京都杉並区の善福寺公園に行きました。このころの週末は、コロナ禍のため人の多い場所を避けながら、スクーターで東京周辺の公園や史跡を訪ねることが多くなっていました。電車で遠くへ出かけるというより、身近な地域の中にある自然や歴史を探しに行くような感覚です。この日の善福寺公園も、そうした小さな旅の目的地の一つでした。
善福寺公園に着いてまず印象に残ったのは、池を中心に広がる落ち着いた風景でした。公園には上の池と下の池があり、その水辺に沿うように散策路が続いています。木々も多く、都内の住宅地に近い場所でありながら、思った以上に自然を感じられる場所でした。水面の静けさや木陰の涼しさがあり、夏の始まりの時期に歩くにはちょうどよい公園でした。
この公園の風景は、ただの都市公園というだけではなく、武蔵野の水の記憶とも深く結びついています。善福寺川は、かつて遅野井(おそのい)の湧水を水源としていた川で、「遅野井川」とも呼ばれていたそうです。現在、公園内には遅野井川親水施設が整備され、上の池と下の池を結ぶ水辺として親しまれています。近隣の小学生から「もっと身近な水辺にしてほしい」という要望があり、平成30年に完成した施設だと紹介されています。
池の近くには、遅野井湧水の碑と、湧水を復元した滝がありました。遅野井には、源頼朝が奥州征伐に向かう途中、この地で水を求めたという伝承が残っています。干ばつでなかなか水が出ず、ようやく湧き出したことから「遅野井」と呼ばれるようになったという話です。現在の滝は自然湧水そのものではなく、井戸からくみ上げた水によって復元されているとされています。
また、池の島には社がありました。橋があるわけではなく、普段は渡ることができません。そのため、水に囲まれた小島の中に静かに鎮座している姿が、かえって印象に残りました。解説によると、これは市杵嶋神社(いちきしまじんじゃ)で、古くから雨乞いの信仰と関わっていたそうです。『善福弁才天略縁記』では、1197年に江ノ島弁財天を移して祀ったのが始まりとされ、干ばつの際には周辺の村々からも人々が参拝に訪れたと伝えられています。雨乞いの行事は昭和24年まで続いていたとも紹介されています。
公園内では、内田秀五郎の像も目にしました。内田秀五郎は旧井荻村、のちの井荻町の長で、現在の井荻周辺の発展に大きく関わった人物です。杉並区の資料によると、昭和5年に善福寺池を中心とする一帯が風致地区に指定され、内田秀五郎ら善福寺風致会は水面の浚渫や拡大、遊歩道の整備など、公園的な整備を進めました。善福寺公園はその後、昭和36年に開設されています。
こうした歴史を知ると、池のまわりを歩いているだけでも、見える風景が少し変わってきます。水辺の自然は偶然そこに残ったものではなく、湧水を大切にしてきた土地の記憶や、地域を整備し守ろうとした人々の努力によって受け継がれてきたものなのだと感じます。市杵嶋神社のような信仰の場も、内田秀五郎の像のような近代の地域づくりの記憶も、同じ池の風景の中に重なっていました。
公園を一周すると、特別な観光地を訪れたというより、東京の中に残る武蔵野の面影をゆっくり歩いたような気持ちになりました。コロナ禍の週末に、密を避けながらスクーターで出かけた小さな散策でしたが、水と緑、そして地域の歴史に触れられる時間になりました。遠くへ行けない時期だからこそ、身近な場所の奥行きに気づくことがあります。善福寺公園は、そんなことを感じさせてくれる静かな公園でした。
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