東京都三鷹市にある国立天文台を歩いていると、ここが単なる見学施設ではなく、日本の近代科学の時間が幾重にも積み重なった場所なのだと、門をくぐる前から感じられました。正門は立派でありながら、どこか落ち着いた古さをまとっており、これから入る場所が長い歴史を背負っていることを静かに伝えてきます。国立天文台の前身は1888年に麻布に置かれた東京帝国大学附属東京天文台で、関東大震災の翌年である1924年に三鷹へ移転しました。現在の三鷹キャンパスは国立天文台の本部として、国内外の観測施設の統括や研究、観測装置の開発、大学院教育まで担っています。
入口で手続きを済ませたあと、第一赤道儀室を目指して歩き始めました。ところが、途中でトイレに立ち寄ったことで少し方向感覚が狂い、気がつけば天文台歴史館に着いていました。別名が「大赤道儀室」なので、最初は道を間違えたことにすぐには気づきませんでした。2階が本来の入口らしいのですが、1階にも大きな入口があり、そちらから自然に入ってしまったのも、あとで振り返るとこの見学らしい始まりだったように思います。まっすぐ目的地に着く見学も悪くありませんが、歴史ある施設では、少し迷うことでかえって全体の広がりが見えてくることがあります。
1階の展示は幅広い内容でしたが、歴史好きの私に特に印象深かったのは、岡田芳朗文庫による「絵暦」の展示でした。江戸時代ごろの人々が、暦という一見すると実用一辺倒に思えるものに、絵や遊び心を織り込みながら日々の時間を理解していたことがよく伝わってきました。数字をさいころに見立てて表したり、年中行事を絵で示したりする工夫を見ていると、暦は単なる日付の表ではなく、暮らしと文化そのものだったのだと実感します。天文学というと、巨大望遠鏡や最新観測の世界をすぐに連想しがちですが、その根には時を測り、季節を知り、社会の営みを整えるという、古くからの人間の切実な関心がありました。ここで最初に絵暦に出会えたことは、後に見る巨大な観測装置の意味を、少し柔らかく受け止める助けになったように思います。
2階に上がると、雰囲気は一変しました。そこには大きなドームと巨大な望遠鏡があり、まさに天文台らしい光景が広がっていました。天文台歴史館の建物は1926年に完成したもので、木製ドームの内部には65センチメートル屈折望遠鏡が収められています。この望遠鏡はドイツ・ツァイス製で、屈折望遠鏡としては日本最大口径を誇り、1960年に岡山天体物理観測所の188センチメートル反射望遠鏡が完成するまで、日本の主要な大型望遠鏡として活躍しました。館内では、麻布から三鷹への移転、戦時中の機器の疎開、乗鞍観測所や岡山・堂平観測所の整備、さらに東京天文台から国立天文台への改組、国際共同研究へと広がっていく流れが簡潔にまとめられており、日本の天文学が一つの丘の上だけで完結するものではなく、時代ごとに拠点や役割を変えながら発展してきたことがよく分かりました。
次に展示室へ向かうと、そこでようやく自分が最初に道を間違えていたことに気づきました。ただ、その時点ではむしろ得をしたような気分でした。先に北側を回ることにして展示室に入ると、TMT、アルマ、すばる望遠鏡、太陽観測衛星ひのでなど、現代の国立天文台を代表するプロジェクトが並んでいました。三鷹キャンパスの展示室は、こうした最新の研究や観測成果を紹介する場であり、すばる望遠鏡や野辺山45メートル電波望遠鏡、アルマ望遠鏡の模型なども展示されています。先ほどまで見ていたのが、麻布から三鷹へ移ってきた時代の建物と望遠鏡だっただけに、ここでは日本の天文学が、歴史遺産を保存するだけでなく、世界規模の観測計画へと現在進行形で参加していることが強く感じられました。
展示室から東へ歩いていくと、旧図書庫が現れます。内部には入れず外観だけの見学でしたが、それでも十分に印象に残る建物でした。外壁のタイルが一般的な互い違いではなく、升目のように見える整った表情をしており、研究施設らしい実直さと、どこか洋風建築らしい品のよさをあわせ持っています。
さらに北へ進んだ子午儀資料館では、ガラス越しにレプソルド子午儀を見ることができました。麻布時代には時刻の決定や経度測量に用いられ、三鷹移転後も月や惑星、小惑星の位置決定に使われた装置です。
その先のゴーチェ子午環室も、半円形の屋根が美しく、ここで長く恒星や月、惑星の精密位置観測が行われてきたことを思うと、建物の静けさそのものが観測の緊張感を残しているようでした。派手さでは巨大望遠鏡に及ばなくても、天体の位置を正確に測るこうした装置こそが、天文学を科学として支えてきた土台なのだと思います。
さらに北へ進むと広場が開け、6メートルと1.2メートルの電波望遠鏡が置かれていました。パラボラアンテナという形は見慣れていても、実際に大小二つを並べて見ると、電波観測の世界にもさまざまなスケールがあることを改めて実感します。
近くの天文機器資料館では、望遠鏡や計算機など過去の機器が所狭しと並んでおり、研究の最前線に立った装置たちが、役目を終えたあともなお語り続けているようでした。一戸直藏の展示も印象に残りました。観測や組織運営をめぐって対立や葛藤があったことまで含めて、科学史は単に進歩の歴史ではなく、人と人との判断や信念の歴史でもあるのだと感じます。最新の成果だけを見ていると科学は一直線に発展してきたように見えますが、実際には選択や対立、移転や再編の積み重ねの上に、今の研究体制が成り立っているのでしょう。
その後、太陽塔望遠鏡へ向かいました。内部には入れませんでしたが、細く高く伸びる煉瓦造りの姿は、周囲の木々の中でも独特の存在感を放っていました。国立天文台の歴史によれば、三鷹では1914年に建設工事が始まり、1920年には太陽写真儀室が竣工しています。三鷹という場所は、単に観測機器を移した新天地ではなく、日本の近代天文学を本格的に築き上げるための計画的な拠点だったことが分かります。見学者として歩いていると、どうしても目を引く建物や展示に意識が向きますが、敷地全体を見渡すと、ここには太陽観測、位置天文学、電波観測、理論や計算、そして国際共同研究へと続く長い流れが、一つのキャンパスの中に圧縮されているように感じられました。
そして最後に、当初の目的地だった第一赤道儀室へたどり着きました。ここでは説明員の方が前のグループに解説しており、私もそのまま耳を傾けることができました。とても印象的だったのは、太陽の動きに合わせて望遠鏡が動く仕組みが、コンピューターや電気を使わず、重りの回転だけによる機械式の追尾で成り立っているという話でした。三鷹の太陽観測は20世紀前半から続き、第一赤道儀室に据えられた望遠鏡も長く観測に使われてきました。最新技術の展示を見たあとで、このような純機械的な工夫に触れると、人間が空を見続けるために注いできた知恵の厚みを感じます。精密機械の時代も、電子機器の時代も、デジタル制御の時代も、結局のところ「天体の動きを正確に追い続けたい」という願いは同じなのだと思いました。
一通り見学を終えたころには、正直に言って情報量の多さに頭が追いついていませんでした。しかし、それでもこの訪問が強く印象に残ったのは、国立天文台が「昔の望遠鏡を保存する場所」でも「最新の宇宙研究を紹介する場所」でもなく、その両方を同時に引き受けているからだと思います。江戸の絵暦に見える人々の時間感覚から、麻布の天文台、三鷹への移転、子午儀や赤道儀、太陽観測、そしてアルマやTMTへと至るまで、ここでは日本の天文学の歴史が途切れずにつながっています。道を間違えたことも含めて、私はこの日、ただ展示を順番に見たのではなく、時間の層を少しずつ横切るように歩いていたのかもしれません。歴史が好きな人にも、宇宙が好きな人にも、そして技術の積み重ねそのものに惹かれる人にも、三鷹の国立天文台はとても面白い場所だと思います。
太陽系
夜空を見上げると、星は遠く静かに輝いているように見えます。しかし、私たちの住む地球もまた、その星空の中を動き続ける天体の一つです。太陽系とは、太陽を中心として、その重力に引き寄せられながら回る惑星、準惑星、衛星、小惑星、彗星、そして無数の小さな天体を含む大きなまとまりです。現在、太陽系には8つの惑星があるとされていますが、その姿は昔から同じように理解されていたわけではありません。むしろ太陽系の歴史は、人間が宇宙の見方を少しずつ変えてきた歴史でもあります。NASAは現在の太陽系を、太陽、8つの惑星、5つの公式に命名された準惑星、多数の衛星、小惑星、彗星などから成る体系として説明しています。
古代から中世にかけて、人々は長い間、地球が宇宙の中心にあると考えていました。太陽や月、惑星が空を横切って動くように見えるため、地球のまわりを天体が回っていると考えるのは自然なことでした。しかし16世紀になると、コペルニクスが太陽を中心に惑星が回るという考え方を示し、宇宙観は大きく転換していきます。のちにガリレオが木星のまわりを回る4つの衛星を観測したことで、すべての天体が地球を中心に回っているわけではないことが示され、太陽中心の考え方はさらに強い根拠を得ました。
太陽に近いほうから見ると、水星、金星、地球、火星が並びます。これらは岩石や金属を主成分とする比較的小さな惑星で、地球型惑星と呼ばれます。表面が固く、地形を持つという点で、私たちが「地面のある世界」として想像しやすい惑星です。NASAも、水星、金星、地球、火星を、地球のような岩石質の表面を持つ地球型惑星として説明しています。
その外側には、木星、土星、天王星、海王星という巨大な惑星があります。かつてはこれらをまとめてガス惑星と呼ぶことも多くありましたが、現在は少し丁寧に分けて考えられます。木星と土星は水素やヘリウムを多く含む代表的なガス巨大惑星です。一方、天王星と海王星は内部の組成が木星や土星とは異なるため、氷巨大惑星、またはアイスジャイアントと呼び分けられることが多くなっています。つまり、4つとも外側の巨大惑星ではありますが、厳密には木星・土星と天王星・海王星では性質が少し違うのです。
太陽系の見方を大きく変えた天体の一つが、冥王星です。冥王星は1930年に発見され、長い間、太陽系の第9惑星として親しまれてきました。しかし、海王星の外側にあるカイパーベルトで、冥王星に似た天体が次々に見つかるようになると、「惑星とは何か」という問題が改めて問われるようになりました。そして2006年、国際天文学連合によって惑星の定義が整理され、冥王星は惑星ではなく準惑星に分類されました。NASAも、冥王星は2006年に準惑星へ再分類されたと説明しています。
冥王星の分類変更は、単に「惑星が一つ減った」という話ではありません。それは、太陽系が思っていたよりも広く、複雑で、多様な天体に満ちていることが分かってきた結果でもあります。海王星の外側には、氷を多く含む小天体が集まるカイパーベルトが広がっています。ここには冥王星のほか、多くの準惑星候補や太陽系外縁天体が存在します。NASAはカイパーベルトを、海王星の外側にある氷天体のドーナツ状の領域で、冥王星や多くの準惑星がある場所と説明しています。
この外縁部の天体としてよく名前が挙がるのが、エリス、クワオアー、セドナなどです。エリスは冥王星とほぼ同じくらいの大きさを持つ準惑星で、その発見は冥王星の分類を考え直す大きなきっかけになりました。なお、「ジーナ」と呼ばれる天体は、エリスの発見当初に使われていた非公式の愛称「Xena」のことで、エリスとは別の天体ではありません。2006年に正式名称としてエリスが採用されました。
クワオアーも冥王星に似た外縁天体として知られ、冥王星と同じくカイパーベルトに存在する氷の天体です。一方、セドナはさらに遠く、非常に細長い軌道を持つ天体で、単純にカイパーベルトの天体と呼ぶより、内オールト雲に関係する可能性がある特別な天体として語られることもあります。つまり、エリス、クワオアー、セドナはいずれも冥王星に近い性格を持つ太陽系外縁の天体ですが、その軌道や分類には違いがあります。
こうして見ると、太陽系は教科書の図のように、太陽を中心に8つの惑星が整然と並ぶだけの単純な世界ではありません。内側には岩石の惑星があり、その外側には巨大なガスや氷の惑星があり、さらにその外には冥王星やエリスのような準惑星、そして無数の氷天体が広がっています。かつて人々は地球を宇宙の中心と考え、のちに太陽を中心とする仕組みを理解し、さらに現代では太陽系の外縁にまで視野を広げています。
太陽系の歴史を知ることは、単に天体の名前を覚えることではありません。人間が観測技術を発展させ、古い常識を問い直し、宇宙の中での自分たちの位置を何度も考え直してきた歩みを知ることでもあります。冥王星が惑星から準惑星になったことは、少し寂しい出来事のようにも感じられますが、同時に、太陽系がそれまで考えられていたよりも豊かな世界であることを教えてくれました。太陽のまわりには、まだ見つかっていない天体や、これから理解が深まる謎が数多く残されています。太陽系は、すでに完成した知識ではなく、今もなお発見によって姿を変え続ける、身近でありながら奥深い宇宙なのです。
旅程
武蔵境駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
武蔵境駅
コメント
コメントを投稿