福島県双葉郡のとみおかアーカイブ・ミュージアムに行きました。今回の福島訪問では、東日本大震災・原子力災害伝承館を主な目的としており、その道中で三春滝桜に立ち寄り、さらに富岡町へ移動してきました。富岡駅からとみおかアーカイブ・ミュージアムへ向かう途中には、地図で見つけた東京電力廃炉資料館にも先に立ち寄りました。同じ地域の中でも、それぞれの施設が少しずつ異なる視点から震災や原子力災害、そして地域の歩みを伝えており、その流れの中で最後に訪れたのがこの博物館でした。
この博物館を予定に入れたきっかけは、先日、天皇ご一家が訪れたというニュースを見たことでした。そのため、震災や原発事故を中心に扱う施設なのだろうと何となく思っていましたが、実際に入ってみると印象はかなり異なりました。もちろん震災に関する展示も重要な位置を占めていますが、それだけにとどまらず、この地域の自然、歴史、文化までを含めて紹介する、きわめて総合的な博物館になっていました。むしろ震災展示は全体の一部であり、それ以前から積み重ねられてきた富岡町の長い時間の流れを知った上で、あらためて震災の意味を考えさせる構成になっていたように思います。
常設展の冒頭は、富岡町の成り立ちから始まっていました。海岸線の地形や、この地域に見られる昆虫、植物など、自然環境に関する展示が並びます。震災後の印象が強い地域だからこそ、まず自然そのものから語り起こしている点が印象的でした。人が暮らす前提としての土地があり、海があり、そこに生きる動植物があり、その上に地域の歴史が築かれてきたのだという、ごく基本的でありながら大切な視点が示されていたように感じます。
さらに展示を進んでいくと、旧石器時代や縄文時代の出土品が現れます。このあたりでは後作遺跡や小浜大遺跡など、旧石器時代から古代にかけての遺跡が発見されているそうで、富岡周辺が決して近現代になって初めて注目された土地ではないことがよく分かります。福島の浜通りというと、どうしても近年の原子力災害のイメージが先行しがちですが、実際には非常に長い人の営みの歴史が埋もれている土地でもあります。こうした展示を見ると、今後の考古学的な調査や研究によって、まだまだ新しい発見が出てくるのではないかという期待も湧いてきます。
中世以降の歴史も興味深く、かつてこの地域には磐城国や楢葉国があり、標葉氏、楢葉氏、岩城氏、相馬氏といった勢力が所領を争ったと紹介されていました。現代の地図で見れば静かな町並みや海辺の風景が広がる地域ですが、その背後には中世の複雑な政治的対立があり、境界の土地としての歴史が刻まれていたことになります。江戸時代には所属する藩が何度か変わりながらも、富岡宿が置かれ、交通の拠点としての役割を果たしていました。宿場町として人や物が行き交っていたことを思うと、現在の富岡駅周辺の風景ともどこか重なって見えてきます。
また、地域から関根熊吉という和算家が輩出したという点も印象に残りました。和算というと江戸時代の知の営みを代表する分野の一つですが、こうした人物がこの地から出ていることは、単に農村や海辺の町としてだけではない、この地域の文化的な厚みを感じさせます。さらに近代になると、安積疏水や小川江筋などを参考にした水利施設の整備や農地改革によって一次産業が発展し、煉瓦工場も作られて工業も発展したとのことでした。明治・大正・昭和と時代が進む中で、双葉郡内では官公庁の集まる町として富岡が発展していったという流れも、地域の中心地としての性格をよく表しています。そして昭和50年からは原発のある町となり、地域の姿はさらに大きく変わっていきました。こうしてみると、富岡町の歴史は、自然と遺跡の時代から、中世の争い、近世の宿場、近代の産業化、そして現代のエネルギー政策へと、何度も性格を変えながら続いてきたのだと分かります。
その上で震災の展示を見ると、受ける重みがまったく違ってきます。館内には、つぶれた実物のパトカーや、ゆがんだ駅の改札などが展示されていました。写真や映像ではなく実物が置かれていると、災害が人の生活基盤そのものを物理的に破壊したことが、より直接的に伝わってきます。また、当時歩道橋に掲げられていた「富岡は負けん!」という横断幕も展示されていました。その言葉には、単なるスローガンではなく、町を失いかけた中でなお前を向こうとする人々の意思が込められていたのだと思います。震災や原子力災害を扱う展示は、どうしても被害の大きさや悲惨さに目が向きがちですが、この博物館では、その前にあった長い地域の歴史が示されているからこそ、「何が失われかけたのか」まで含めて考えさせられました。
私は、この地域と震災は切り離せないと感じています。しかし同時に、将来を考えたとき、この地域を震災だけで語り続けるのではなく、それ以前から続く歴史や文化、自然まで含めて伝えていくことはとても大切だとも思いました。震災を忘れないためにも、震災以前からこの土地に何があったのかを知る必要がありますし、さらにこれから先、どのような地域として再び歩んでいくのかを考えるためにも、過去の厚みを見つめ直すことは意味があるはずです。特に古い時代の調査はまだ十分に進んでいないようでもあり、今後は震災以外の面でも注目される地域へと発展していってほしいと思いました。
閉館時間が迫っていたため、やや急ぎ足で博物館を後にし、富岡駅へ向かいました。駅で東京方面への電車を待ちながら構内を見ていると、空間線量率の表示板が目に入りました。意識しなければ見逃してしまいそうな存在でしたが、そこにあるだけで、この地域ではいまも放射線が日常の中で意識され続けていることが伝わってきます。住む人のための表示なのか、訪れる人のためのものなのかは分かりませんが、少なくとも外から来た私にとっては、この町がまだ完全に「過去の出来事」として震災を終えられていないことを静かに示すものでした。
さらに地図を見ていると、駅の近くの高台に「富岡町 東日本大震災 慰霊之碑」があることに気づき、電車を待つ間に足を運びました。石碑に刻まれた日付を見ると、2023年に作られた比較的新しい碑のようでした。震災から15年がたち、一般の人々の記憶の中では次第に遠い出来事になりつつあるのかもしれません。しかし、こうして新たに整備された慰霊碑や、駅にある空間線量率の表示を見ると、この地域にとって震災はまだ完了した過去ではなく、いまも続いている時間の中にあるのだと感じます。
今回、とみおかアーカイブ・ミュージアムを訪れて強く思ったのは、震災を学ぶとは、単に2011年3月11日以後の出来事を知ることではないということでした。その前にどのような自然があり、どのような歴史があり、どのような暮らしが積み重ねられてきたのかを知ってこそ、失われたものや、なお続いているものの意味が見えてきます。富岡という土地は、震災によって世界的に知られるようになった場所ですが、本来はそれだけでは語り尽くせない長い歴史を持つ土地です。そうした過去の層を丁寧に見せてくれるこの博物館は、この地域の現在と未来を考えるうえで、とても重要な存在だと感じました。
旅程
東京
↓(新幹線)
郡山駅
↓(タクシー)
↓(タクシー)
↓(徒歩)
双葉駅
↓(JR常磐線)
富岡駅
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
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富岡駅
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