キーウ観光3日目に訪れたこの大聖堂は、街の中心部を歩いてきた流れの中でも、とりわけ印象に残る建物でした。午前中に市街地を見て回るなかで、ウクライナでは白や水色、うすい黄色といった、どこかやわらかく明るい色合いの建物が多いことに少しずつ慣れてきていましたが、この大聖堂の黄色はその中でもひときわはっきりしていました。それでも、金色のような豪華さを強く押し出す色ではなく、どこか親しみやすく、街並みに溶け込みながらも確かな存在感を放つ色だったのが印象的でした。
この聖ウラジーミル大聖堂は、キーウ大公ウラジーミル1世を記念するために建てられた大聖堂で、19世紀に、ルーシのキリスト教化900年を記念する事業として計画されました。建設は1862年に始まり、完成までには長い年月がかかりましたが、そのぶんこの建物には、帝政期のキーウが自らの歴史的起源をどのように見つめ直そうとしていたのかがよく表れているように思えます。建築はネオ・ビザンティン様式でまとめられており、キエフ・ルーシとビザンツのつながりを意識した、歴史性の強い意匠をもつ大聖堂です。
外から眺めてまず感じるのは、重厚さよりも明るさでした。大聖堂といえば、石造りの灰色や、金の輝きを前面に出した壮麗な姿を想像しがちですが、ここでは黄色の壁面が全体の印象をやさしく整えています。純粋な黄色に近いその色は、晴れた空の下ではいっそう映え、宗教建築でありながら、どこか街の生活の中に自然に根づいているようにも見えました。ウクライナの街で見かけた明るい色の建物群に通じる感覚があり、この大聖堂だけが特別に派手なのではなく、むしろ街全体の色彩感覚の延長線上にあるのだと感じられました。
また、この大聖堂は外観だけでなく内部装飾でもよく知られています。内部の壁画制作にはヴィクトル・ヴァスネツォフやミハイル・ヴルーベリら、19世紀末の著名な画家たちが関わっており、建築そのものだけでなく、美術の面でも重要な存在です。さらにソ連時代には宗教施設としての危機を経験し、一時は「宗教と無神論の博物館」として使われましたが、第二次世界大戦後には再び聖堂として用いられるようになりました。そうした歩みを知ると、この黄色い外観のやわらかさの奥に、ウクライナとキーウがたどってきた複雑な歴史も感じられます。
実際に訪れたときには、そうした歴史を細かく意識していたわけではありませんでしたが、街の中心を一通り見てきたあとにこの大聖堂を前にすると、キーウという都市が単なる首都ではなく、長い宗教史と文化史の積み重なりの上に成り立っていることが自然と伝わってきます。鮮やかな黄色の聖堂は、見る者を圧倒するというより、静かに足を止めさせる建物でした。旅先では、豪華さや規模の大きさよりも、その土地らしさを感じさせる色や空気のほうが強く記憶に残ることがありますが、この大聖堂はまさにそうした場所だったように思います。
中心地はだいたい見て回ったので、このあとはタクシーを拾ってキーウ・ペチェールシク大修道院へ向かいました。しかし、街の移動の途中で振り返ったときにも、この大聖堂のやさしい黄色は心に残っていました。キーウの宗教建築には、それぞれに異なる歴史と表情がありますが、その中でもこの大聖堂は、都市の明るい色彩と歴史の深みとを同時に感じさせてくれる、印象深い一つだったと思います。
旅程
(略)
↓(徒歩)
タラス・シェフチェンコ公園
↓(徒歩)
タラス・シェフチェンコ記念キエフ国立大学
↓(徒歩)
↓(タクシー)
↓(徒歩)
↓(タクシー)
↓(タクシー)
独立広場
↓(徒歩)
地域の名物
- ボルシチ
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