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南泉寺:葵の紋が残る、寺町の静かな一角

昼頃から谷中周辺を歩き、向陵稲荷神社や修性院花見寺を参拝したあと、荒川区西日暮里にある南泉寺を訪れました。谷中から西日暮里へ向かうこのあたりは、寺社が点在する落ち着いた一角で、にぎやかな観光地というより、町の中に歴史が静かに残されている場所という印象でした。

南泉寺は、山号を瑞応山とする臨済宗妙心寺派の寺院です。元和2年、つまり1616年に徳川家から境内地を拝領し、大愚宗築(たいぐそうちく)和尚によって開かれたとされています。その後、将軍徳川家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により、貞享3年、1686年に朱印地30石を賜ったという由緒も伝わっています。境内の建物のガラスなどに葵の紋が見られたため、徳川家との関係があるのだろうかと思いましたが、こうした由緒を知ると、その印象にも納得がいきます。

入口の手前には解説パネルがあり、美濃遠山氏の聖観音、銅造菩薩立像、菅谷不動、松林伯円の墓所などについて書かれていました。木造聖観音立像は美濃遠山氏の念持仏とされ、鎌倉期の作と推定される部分を持つ仏像だといいます。また、善光寺式阿弥陀三尊の一部と思われる銅造菩薩立像も所蔵されているそうです。

ただ、残念ながら本堂の中には入れそうになく、聖観音や銅造菩薩立像を直接見ることはできませんでした。外から見える範囲だけの参拝でしたが、解説パネルを読むだけでも、この寺が単なる町中の小さなお寺ではなく、武家や江戸幕府、そして信仰の歴史と重なっている場所だと感じられました。

境内はそれほど大きいわけではありませんが、庭はきれいに整えられており、静かで落ち着いた雰囲気がありました。谷中周辺の寺社巡りでは、豪壮な建物や有名人の墓所に目が向きがちですが、南泉寺のように、規模は控えめでも手入れの行き届いた空間に立つと、江戸から続く寺町の空気をより身近に感じます。

また、境内には「蛙塚」と書かれ、三匹のカエルの絵が描かれた石碑もありました。由来までは分かりませんでしたが、歴史ある仏像や墓所の案内と並んで、こうした少し親しみやすい石碑があるところに、寺院が長い時間の中で地域の人々とともに歩んできたことを感じます。

南泉寺には、講談師として知られる初代・二代松林伯円の墓もあります。荒川区の案内では、初代松林伯円は伊藤燕凌・石川一夢とともに「三名誉」と称された講談の名人と紹介されています。寺院の境内に、武家の念持仏、徳川家との関わり、そして江戸の芸能文化の記憶が重なっているところが、東京の寺町らしい面白さです。

一通り境内を見たあと、次は諏方神社へ向かいました。南泉寺は、派手な観光地ではありませんが、谷中から西日暮里へ歩く途中に立ち寄ることで、江戸の信仰、幕府との関係、地域に残る文化財を静かに感じられる場所でした。目立つものだけを追うのではなく、説明板を読み、紋や石碑、庭の手入れに目を向けることで、町歩きの奥行きが少し深くなったように思います。

旅程

(略)

↓(徒歩)

法光寺

↓(徒歩)

南泉寺

↓(徒歩)

諏方神社

↓(徒歩)

養福寺

↓(徒歩)

啓運寺

↓(徒歩)

経王寺

↓(徒歩)

日暮里駅

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