彦根城の見学を終えた足で、黒門橋を渡ってそのまま隣の玄宮園へ向かいました。城の表側のにぎわいから少し離れ、堀や石垣の気配を背中に感じながら裏手から園内に入っていく導線は、これから「殿さまの庭」をのぞかせてもらうような、少し特別な高揚感があります。
入ってすぐ目に入ったのが「井伊直弼生誕地」という石碑でした。場所は楽々園の前で、幕末に大老として開国を進めた井伊直弼が、ここ槻御殿(つきごてん)の一角で生まれたことを示しています。直弼は1815年10月29日、井伊直中の十四男としてこの地に生まれたとされ、いまも石碑がその記憶を静かに留めています。
玄宮園と楽々園は、もともと一体の空間として整えられた大名の下屋敷で、江戸時代には「槻御殿」と呼ばれていました。造営が始まったのは延宝5年(1677年)で、彦根藩四代藩主・井伊直興が手がけ、延宝7年(1679年)頃に完成したと伝わります。現在は庭園部分を玄宮園、御殿(建物)側を楽々園として呼び分け、あわせて「玄宮楽々園」として国の名勝にも指定されています(指定は1951年)。
石碑の前から楽々園の周辺を眺めると、枯山水の庭のように小石が敷き詰められ、木が植わるところ以外は岩組を生かした構成が目に入ります。派手さはないのに、石の置き方ひとつで視線が誘導され、庭が「静かに語ってくる」感じがしました。今回は建物の内部には入らなかったのですが、庭側から覗ける範囲だけでも、襖や壁の意匠が華やかな部屋があり、武家の格式と美意識がそのまま残っていることが伝わってきます。楽々園が隠居所としても使われ、御書院などが保存修理されながら公開されていると知ると、次は時間を取って中の空気感まで味わってみたくなります。
そして玄宮園の中心は、やはり大きな池です。池泉回遊式の庭園として、池の周囲を歩くたびに景色が切り替わり、小さな島や石組、樹木の重なりが「次の一枚」を見せてくれます。池の中に島が浮かび、場所によっては背景に彦根城の天守がすっと立ち上がって見える瞬間がありました。城が主役の一日だと思っていたのに、庭に立った途端、天守は借景として働き、風景の一部に溶け込んでしまうのが面白いところです。名勝として評価される理由のひとつが、彦根城の景観とよく調和する点だという説明にも納得がいきました。
こうした庭園は、単なる鑑賞の場というより、藩主が賓客をもてなし、季節や景の移ろいの中で関係を編み直す「社交の装置」でもあったはずです。延宝年間に整えられたこの空間に、のちに幕末の政局の中心人物となる直弼が生まれ、そして現代の私たちが同じ池のほとりを歩けるという時間の折り重なりを思うと、庭の静けさが少し違って感じられます。
入ってきたときとは逆に、玄宮園の正門らしき方向から外へ出ました。城下の歴史の濃度をそのまま抱えたまま、次は琵琶湖の彦根港へ向かう予定です。同じ「水辺」でも、池泉の水面と湖の広がりはまったく別の表情を見せるはずで、玄宮園で整えられた景の記憶が、その後の彦根の風景の見え方まで変えてくれそうだと思いながら歩きました。
旅程
東京
↓(新幹線/JR琵琶湖線)
彦根駅
↓(徒歩)
滋賀縣護國神社
↓(徒歩)
↓(徒歩)
↓(徒歩)
彦根港/琵琶湖
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彦根駅
↓(電車)
米原駅
↓(徒歩7分)
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地域の名物
- 信楽焼
- 鮒ずし
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