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比叡山延暦寺:朱色と木々に包まれた山上の一日

滋賀県大津市の比叡山延暦寺に行きました。今回は延暦寺を目的に滋賀県を訪れており、朝からロープウェイで比叡山へ向かいました。 ロープウェイの麓には日吉大社の鳥居がいくつも続いており、山上へ向かう途中にも鳥居が見えました。延暦寺といえば日本仏教を代表する寺院という印象が強かったので、本当にお寺に向かっているのだろうかと少し不思議に感じました。しかし、近くには無動寺参道の石碑もあり、比叡山が単に寺だけの場所ではなく、神と仏が長く結びついてきた場所であることを感じさせられました。 比叡山延暦寺は、平安時代初期に最澄によって開かれた天台宗の総本山です。都に近い山岳寺院として発展し、後には法然、親鸞、道元、栄西、日蓮など、日本仏教に大きな影響を与えた僧たちとも関わりを持つことになります。日本仏教の母山とも呼ばれるのは、そのような歴史を思うとよく分かります。 ロープウェイを降りてからは、しばらく舗装された山道を進みました。山の中にある寺院ということで、厳しい参道を想像していましたが、歩きやすく整えられていました。しばらく進むと、「比叡山」「延暦寺」と書かれた門が現れ、ここからいよいよ延暦寺の中心部に入っていくのだという気持ちになりました。 最初に向かったのは根本中堂です。根本中堂は延暦寺の中心となる堂で、延暦寺を象徴する建物でもあります。ただ、訪れたときは大規模な改修工事の最中で、建物全体は覆いに包まれていました。外観をそのまま眺めることができなかったのは残念でしたが、覆いの中に入ることができ、改修中の屋根の様子などを見ることができました。通常の参拝では見られない角度から建物を感じることができたので、これはこれで貴重な機会だったと思います。 その後、文殊楼へ向かいました。事前に写真で見たときは赤色の建物という印象でしたが、実際に見ると、思っていたよりも茶色に近い落ち着いた色合いでした。山の空気や周囲の木々の中にあると、写真で見るよりも重みがあり、歴史を積み重ねてきた建物らしく感じられました。 さらに大講堂、国宝殿、戒壇院、阿弥陀堂、東塔と見て回りました。境内には朱色の建物も多く、一般的に想像する静かな寺院というより、どこか神社にも通じる雰囲気がありました。特に麓の日吉大社から続く印象が残っていたため、比叡山全体が神仏習合の歴史を今に伝えている場所のように感じられました。 延暦寺は...

国立民族学博物館:太陽の塔のとなりで、世界を旅した一時間

大阪観光の締めくくりに万博記念公園を訪れました。 太陽の塔を眺めながら公園を歩いていると、木立の向こうにトーテムポールのようなものが見えてきました。 国立民族学博物館という案内がありました。時計を見ると、すでに午後3時過ぎ。帰りの新幹線から逆算すると、公園にいられるのはあと1時間ほどです。広そうな建物を前に、「今日はやめておこうか」「でも“民族学”って気になる…」としばし逡巡しましたが、結局、好奇心に負けて足を踏み入れることにしました。博物館の前の黒い石の Monument も、近づいてみると「国立民族学博物館」と刻まれています。文字の形がどこか象形文字のようで、期待が高まりました。 中に入ると、まずスケールの大きさに圧倒されました。国立民族学博物館、通称「みんぱく」は、文化人類学・民族学とその関連分野の大学共同利用機関として1974年に創設され、1977年に大阪・千里の大阪万博跡地に開館した、世界最大級の民族学博物館です。 研究者が世界各地で集めた生活用具や民族衣装など、約34万5千点もの資料を所蔵し、そのうち約1万2千点が常設展示で並んでいると知ると、先ほどの「1時間で見て回れるのか」という不安が一気に現実味を帯びてきます。 展示室は、オセアニアから始まり、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、南アジア、東南アジア、中央・北アジア、東アジアと、地球を東回りに一周するような構成になっていました。 まさに「世界一周ルート」の途中に自分が紛れ込んだようで、入口で地図を受け取った瞬間から、駆け足旅行の始まりです。 ルーマニアの「陽気な墓」の展示は、その名のとおりカラフルで、一般的な「墓地」のイメージから大きく外れた世界が広がっていました。青や赤、黄色で描かれた板には、亡くなった人の人生やユーモラスなエピソードが描かれていて、「死」と「笑い」がこんなふうに同居する文化もあるのだと、短い時間ながら心に残りました。 ナイジェリアのヨルバ族のコーナーでは、ビーズで作られた人形が目を引きました。細かなビーズがびっしりと縫い付けられた人形は、単なる玩具というより、祈りや物語を宿した存在のように見えます。 続いて、アフリカ南部・ザンビアの仮面(マキシ)や、中東のベリーダンス衣装、インドの女神・ドゥルガー像なども並び、宗教儀礼から日常の衣装まで、「人が何を身にまとい、何を怖れ、何を...

万博記念公園:1970年の夢が今も生きる場所、自然と文化、過去と現代と未来が溶け合う大阪のオアシス

通天閣から地下鉄、モノレールを使って万博記念公園に来ました。太陽の塔が目的でしたが、公園内をぶらついているときに国立民族学博物館を見つけてしまい、大半を国立民族学博物館で過ごしてしまいました。新幹線の時間が近く万博記念公園も国立民族学博物館も十分に見学できなかったので、また来たいと思います。 大阪・吹田市に広がる「万博記念公園」は、1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会、通称「大阪万博」の跡地に整備された広大な公園です。当時の熱気と夢を今に伝える場所でありながら、四季折々の自然と文化を満喫できる、関西屈指の観光スポットでもあります。 公園の顔ともいえるのが、岡本太郎によって制作された「太陽の塔」です。高さはなんと約70メートル。万博のシンボルとして建てられ、今も力強い存在感を放っています。近年は塔の内部も公開されており、予約制で内部見学が可能です。内部には「生命の樹」と呼ばれる巨大なオブジェがそびえ立ち、進化の過程を辿るような神秘的な空間が広がっています。まるでタイムトンネルを通るような感覚で、未来と過去を行き来するような気持ちにさせられます。 また、万博記念公園の魅力は自然の豊かさにもあります。自然文化園と呼ばれるエリアでは、季節の草花や樹木が訪れる人々を出迎えてくれます。春は桜の名所として多くの人でにぎわい、秋には紅葉の絶景が広がります。ベンチや芝生も多く、ピクニックにもぴったりです。 園内のもうひとつのハイライトは、日本庭園です。ここは「上代」「中世」「近世」「現代」をテーマに構成されており、回遊式庭園としても見応えがあります。池泉や橋、茶室などもあり、喧騒を離れて静かに過ごしたいときにはとてもおすすめです。特に春の梅や秋の紅葉は見事で、季節ごとの風情を存分に楽しめます。 文化的な体験をしたい方には、「国立民族学博物館」も外せません。ここでは世界中の民族文化に触れることができ、音楽や衣装、住まいに関する展示などがとても充実しています。特にアジアやアフリカの展示室は異国感たっぷりで、まるで小さな世界一周をしているかのような気分になります。 また、1970年の万博を今に伝える「EXPO’70パビリオン」では、当時のポスターや映像、ロボットなどが展示されており、万博を知らない世代でも新鮮に感じられるでしょう。未来への希望や技術への夢が詰まっていたあの時代...

四天王寺:聖徳太子が築いた日本最古の官寺、1400年の祈り

大阪観光に来ています。あべのハルカスを見たあと、四天王寺に来ました。 四天王寺は、593年(推古天皇元年)に聖徳太子により、建立が開始されました。飛鳥時代が592年からなので、その前の古墳時代になります。 戦国時代には、織田信長に放火され焼失したり、豊臣秀吉に再建されたり、大坂冬の陣で焼失して、徳川家康に再建されたりしました。 1934年(昭和9年)には、室戸台風で中門、五重塔が倒壊し、1940年(昭和15年)には五重塔が再建されました。 1945年(昭和20年)には、太平洋戦争で焼失し、1950年(昭和25年)には、ジェーン台風で金堂が倒壊しました。 1957年(昭和32年)~1963年(昭和38年)に中心伽藍が再建されました。 四天王寺には、あべのハルカスから向かったため、南大門から入りました。 南大門を進むと、中門(仁王門)が見えてきます。仁王像の大きさは、東大寺の南大門に次ぐ大きさです。 このまま、まっすぐ進まず、東の宝物庫を先に見て、北側に回り、石舞台を見ました。石舞台は、重要文化財です。 石舞台の北にある、六時堂も重要文化財です。 そのまま、西側に回り、西大門(極楽門)を抜けました。西大門は、パナソニックを創業した松下幸之助(まつした こうのすけ)の寄付により創建されました。 そのまま、西に進み、石鳥居に向かいました。石鳥居も、重要文化財です。 お寺なのに鳥居があるのも不思議ですが、神仏習合時代の名残です。本来は、南大門が正門ですが、「極楽浄土の入口に通じる」として石鳥居から参拝する人も多いです。 そのまま、東に戻り、西重門から中に入りました。 中には五重塔があり、中に入ることもできます。 これだけの古いお寺が、何度も焼失を繰り返しながら、そのたびに再建され残っているのが驚きです。 旅程 東京 ↓(新幹線) 新大阪駅 ↓(JR) 大阪城公園駅 ↓(徒歩) 大阪城 ↓(徒歩) 森ノ宮駅 ↓(JR) 天王寺駅 ↓(徒歩) あべのハルカス ↓(徒歩) 四天王寺 ↓(徒歩) (略) ↓ 通天閣 ↓(徒歩) 動物園前駅 ↓(OsakaMetro/大阪モノレール) 万博記念公園駅 ↓(徒歩) 万博記念公園 ↓(徒歩) 国立民族学博物館 ↓(徒歩) 万博記念公園駅 ↓(大阪モノレール/北大阪急行電鉄/新幹線) 東京 周辺のスポット あべのハルカス 一心寺 通天閣 新世...

大阪城:石垣に刻まれた失われた栄華と豊臣秀吉の夢、天下人の記憶が眠る再生の城

今日は大阪市に来ました。いくつか見たいポイントがあり、若干距離が離れているので、テンポよく廻りたいと思っています。まず、大阪城公園にある大阪城(おおさかじょう / 大坂城)に来ました。 大阪を訪れるなら、やはり一度は足を運びたいのが「大阪城」です。大阪城は、安土桃山時代に豊臣秀吉によって築かれた、日本を代表する名城のひとつです。1583年(天正11年)、天下統一を進める秀吉が、自らの権威を示すためにこの地に壮大な城を築き始めました。その規模は当時としては破格で、全国から集められた巨石によって組まれた石垣や、広大な堀は、まさに天下人の威光を感じさせるものです。 しかし、栄華を誇った豊臣家も、大坂の陣によって滅亡してしまいます。1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で大阪城は落城し、豊臣家は歴史の表舞台から姿を消しました。その後、徳川幕府の二代将軍・徳川秀忠によって再建が進められ、現在私たちが目にする城郭の多くは、このときの再建によるものです。 現在の天守閣は、1931年(昭和6年)に市民の寄付によって鉄筋コンクリートで再建されたもので、外観は五層、内部は八階建てとなっています。館内は歴史博物館として整備されており、豊臣秀吉にまつわる資料や甲冑、屏風絵などが展示されています。 最上階の展望台からは、大阪市内を一望することができ、晴れた日には遠くまで見渡せて、とても気持ちの良い場所です。 天守閣を囲む大阪城公園もまた、訪れる人にとって大きな魅力です。春には桜が咲き誇り、多くの花見客でにぎわいます。梅林も整備されており、早春には可憐な梅の香りが漂います。また、敷地内には大阪城ホールという大型イベント会場もあり、コンサートやスポーツイベントなどが開催されるなど、市民にとっても憩いと楽しみの場となっています。 アクセスも非常に良く、JR大阪環状線の「大阪城公園駅」や「森ノ宮駅」から徒歩で行くことができます。観光で訪れる際には、天守閣だけでなく、公園内をのんびりと散策するのもおすすめです。季節によっては、ライトアップイベントやプロジェクションマッピングも行われており、昼と夜で違った魅力を楽しむことができます。 歴史と現代が共存する大阪城は、ただの観光地ではなく、日本人にとっての誇りや記憶を宿す場所でもあります。大阪を訪れた際には、ぜひこの城の物語に思いを馳せながら歩いてみてください...

小松楼まちづくり交流館:宿場町の裏通りで見つける、保存された時間と人の気配

静岡県湖西市新居町の小松楼まちづくり交流館を訪れたのは、二川宿や新居関所をめぐった一日の締めくくりの時間でした。大正から昭和20年代ごろまで、ここは芸者置屋兼小料理屋としてにぎわった「小松楼」の建物で、明治末期の建物を大正初期に現在地へ移築・増改築したものだそうです。戦後に廃業したあと長く空き家になっていたところを、地域の有志が修繕し保存活動を進め、国の登録有形文化財となったのち、2010年に「小松楼まちづくり交流館」として生まれ変わりました。歓楽街として栄えた新居宿の一角に、かつての賑わいと地域の記憶を今につなぐ拠点が静かに立っているのだと感じました。 一階ではちょうど特別展が開かれており、戦時中に新居に墜落したアメリカ軍機の乗組員のために、地元の人びとが慰霊碑を建てた出来事が紹介されていました。敵国の兵士であっても、一人の人間として弔おうとした人びとの姿は、シンドラーのような物語にも通じるものがありますが、もし自分が同じ時代・同じ状況に置かれていたとして、同じ行動ができるのかと考えると、簡単には想像できません。だからこそ、こうした具体的な地域の物語に触れることが、いつか自分が「いざ」という局面に立たされたとき、ふと記憶の底から立ち上がって行動のよりどころになってほしいと願いながら展示を見て回りました。 二階に上がると、かつての座敷だった和室が静かに残されており、その一角にはまだ整理しきれていない資料が山と積まれていました。案内の方は「これらも貴重なんですが、まだ整理しきれていないんです」と少し申し訳なさそうに話していましたが、その言葉の裏には、この建物と一緒に受け継いだ膨大な歴史を、どうやって未来につないでいくかという悩みと使命感がにじんでいるように感じました。窓の外に目をやると、すぐ近くに銭湯の煙突が見え、「みどり湯」という昔ながらの銭湯があることも教えてもらいました。芸者たちが行き交ったであろう往時の街並みと、今も地域の人びとが湯に集う日常の気配が、窓枠の向こうでひと続きの風景として重なって見えました。 小松楼まちづくり交流館は、華やかな歓楽街の記憶と、戦時下の葛藤を抱えた人間ドラマと、地域の人びとが空き家を守り、文化財としてよみがえらせた近年のまちづくりの歴史が、一つの建物の中に折り重なるように詰まっている場所だと感じます。きちんと展示として整理された歴史...

旅篭紀伊国屋資料館:東海道に息づく旅人の影、担い箱の向こうに見えた風景

午前中は、東海道五十三次の宿場町として知られる二川宿を訪ね、その静けさと往時の面影を堪能しました。午後には足を新居に移し、新居関所で幕府の厳しい関所制度の痕跡に触れたあと、歩を進めたのが旅篭紀伊国屋資料館でした。 資料館の扉をくぐると、そこにはかつての旅人たちがひと時の安らぎを得た空間が、丁寧に保存されていました。まず目に入ったのは、角まくら。現代人の感覚では寝苦しそうにも思えるその形に、当時の人々の暮らしの質素さや所作の美しさが垣間見えました。 客の間には、担い箱(にないばこ)が置かれており、旅人が荷物とともに宿に入る情景が自然と頭に浮かびます。 台所には、使い込まれたかまどがあり、湯気の立ちのぼる様子や煮炊きの音まで聞こえてきそうでした。 そして桶型の風呂は、木の香りが残るようで、心まで温まるような雰囲気を醸していました。 建物の奥には日本庭園があり、その一角には水琴窟が設けられていました。耳を澄ますと、涼やかな音がかすかに響き、庭の静けさと相まって、旅の疲れを癒すような空間となっていました。 床の間には季節の掛け軸が飾られ、旅籠としての格式と、もてなしの心が伝わってきました。 江戸の旅を追体験できるこの資料館は、関所とともに訪ねることで、旅と統制が交差する時代の空気をより深く感じることができます。今も残る旅人の記憶に、少しだけ寄り添うことができた一日でした。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR) 二川駅 ↓(徒歩) 豊橋市二川宿本陣資料館/商家「駒屋」 ↓(徒歩) 二川駅 ↓(JR) 新居駅 ↓(徒歩) 新居関所跡 ↓(徒歩) 旅篭紀伊国屋資料館 ↓(徒歩) 小松楼まちづくり交流館 ↓(徒歩) 新居駅 周辺のスポット 新居関所跡 小松楼まちづくり交流館 リンク 新居宿旅籠紀伊国屋資料館【市指定文化財】/湖西市 紀伊国屋資料館|湖西・新居観光協会【公式】 旅籠紀伊国屋資料館 | iN HAMAMATSU.COM 新居宿旅籠紀伊国屋資料館/ハローナビしずおか 静岡県観光情報