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Museum of Archaeology and Anthropology:遺物が語るカスピ海沿岸の長い歴史

アゼルバイジャンの首都バクーにあるMuseum of Archaeology and Anthropologyを訪れました。

バクー観光の3日目で、この日が旅行の最終日でした。夕方まで現地のプライベートツアーを貸し切り、ゴブスタン国立保護区や、地中から噴き出す天然ガスが燃え続けるヤナル・ダグなどを巡りました。予定していた場所をひと通り見終えても少し時間が残っていたため、ガイドさんが最後に案内してくれたのが、この博物館でした。

ガイドさんは考古学を学んでいる大学院生で、日本の東京や鹿児島にも留学した経験があるそうです。Museum of Archaeology and Anthropologyも考古学を中心とした博物館なので、ここを選んだのは、ガイドさん自身の専門と関係していたのかもしれません。一般的な観光地を巡るだけでなく、専門を学んでいる人が選んだ場所を訪れられたことも、プライベートツアーならではの面白さでした。

この博物館はバクー旧市街のイチェリシェヘルにあり、現在はアゼルバイジャン国立科学アカデミーの考古学・人類学研究所に属する博物館・展示ホールとして紹介されています。資料によっては「考古学・民族学博物館」とも表記され、1976年から現在の場所で、アゼルバイジャンの考古資料や伝統的な生活文化を紹介してきました。展示には、石器時代から中世までの土器、道具、装身具、武器、埋葬に関係する品々などが含まれています。

館内には、石造建築の柱や装飾の一部のように見えるものをはじめ、さまざまな土器や土製品が展示されていました。巨大な遺跡や復元建築が並ぶ博物館ではありませんが、発掘された品々を間近に見ることで、かつてこの地域で暮らしていた人々の生活を想像できます。

特に印象に残ったのは土器でした。表面がなめらかに仕上げられ、絵が描かれているものがある一方で、流れるような線の模様が彫られたものもありました。模様や形を眺めていると、日本の弥生土器や縄文土器が思い出されました。

もちろん、アゼルバイジャンの土器と日本の土器は、それぞれ異なる時代と文化の中で作られたものです。それでも、土をこねて器を作り、その表面に線を刻んだり、色や模様を加えたりする営みには共通するところがあります。食べ物や水を蓄えるための実用品でありながら、そこに装飾を施したくなる人間の感覚は、遠く離れた地域にも見いだせるように思いました。

土製の人形にも目を引かれました。人間のような体をしている一方で、頭部が蛇のように細長く見えるものがあり、日本の土偶を思わせる不思議な姿をしていました。何を表したものなのか、信仰や儀礼に使われたものなのかまでは分かりませんでしたが、単純な人物像とは異なる形には、当時の人々の世界観や想像力が表れているようでした。

この日の午前中に訪れたゴブスタンには、狩猟や動物、船、人間などを刻んだ6,000点以上の岩絵が残されています。これらは約4万年にわたる人間の活動を伝えるものとされ、住居跡や埋葬跡も含めて、旧石器時代から中世まで人々がこの地域を利用してきたことを示しています。

ゴブスタンでは岩に刻まれた人や動物の姿を見て、博物館では人々が作った土器や人形を見ました。偶然できた旅程でしたが、野外の遺跡から出土品を収めた博物館へと移動したことで、アゼルバイジャンの長い歴史を異なる角度からたどる一日になりました。

見学を終えると、いよいよ空港へ向かう時間になりました。ガイドさんは、タクシーで不当に高い料金を請求されないように、車を拾うだけでなく、運転手との料金交渉までしてくれました。

旅の最後に残ったのは、古い土器や不思議な人形の記憶だけではありません。自分の専門に近い博物館を案内し、空港へ向かうところまで気遣ってくれたガイドさんの親切も、アゼルバイジャンの印象をより良いものにしてくれました。予定にはなかった博物館でしたが、歴史と人との出会いの両方を感じられる、旅の締めくくりにふさわしい場所でした。

旅程

ホテル

↓(貸し切りタクシー)

ビビヘイバット・モスク

↓(貸し切りタクシー)

(略)

↓(貸し切りタクシー)

Atashgah Zoroastrian Fire Temple

↓(貸し切りタクシー)

Yanar Dagh

↓(貸し切りタクシー)

Museum of Archaeology and Ethnography

↓(タクシー)

空港

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