スキップしてメイン コンテンツに移動

旧善通寺偕行社 / レターポスト:古いポストと白い洋館が語る近代の記憶

香川県善通寺市を歩いていると、街の中に軍都としての記憶が静かに残っていることに気づかされます。香川観光の1日目に、乃木館や善通寺を見学したあと、夕方ごろ善通寺駅へ向かって歩いていました。善通寺そのものは弘法大師空海ゆかりの寺として知られ、古代から続く信仰の歴史を感じさせる場所ですが、その周辺を歩いていると、近代以降の善通寺の姿も少しずつ見えてきます。寺院の町であると同時に、明治以降は陸軍の町でもあったことが、道中の風景から伝わってきました。

善通寺から駅へ向かう途中、郵便局の前で、昔ながらの円柱状のポストを見つけました。赤い丸型ポストは各地で保存されていることがあり、最初は「ここにも懐かしいポストが残っているのか」と思いました。しかし、そばにあった説明パネルを読んでみると、単なる旧式ポストではなく、郵便差出箱の試作品の一つで、現存するものがわずか3本しかない貴重なものだと分かりました。

見た目は、かつて全国でよく見られた円柱型のポストに似ていますが、よく見ると細部が少し違っていました。通常なら「郵便」と書かれていそうなところに「LETTER」と記されていたり、桜の花の模様が入っていたりして、どこか明治・大正期の近代化の空気を感じさせます。郵便制度そのものが、日本の近代国家づくりの中で整えられていったものだと考えると、この小さなポストも、単なる街角の設備ではなく、当時の制度やデザインの試行錯誤を伝える資料のように見えてきました。

その後、地図に目をやると、近くに「旧善通寺偕行社」という場所があることに気づきました。「偕行社」という名前から、明治時代あたりの建物ではないかと感じました。すでに夕方で、駅へ向かう時間も気になっていましたが、乃木館を見たばかりだったこともあり、善通寺と軍隊の関係をもう少し見てみたい気持ちが湧いてきました。そこで、予定にはありませんでしたが、少し寄り道してみることにしました。

旧善通寺偕行社は、近代の西洋風建築らしい端正な外観を持つ建物でした。白を基調とした外壁に、整った窓や柱の意匠が並び、寺院や古い町並みとはまた違う雰囲気があります。近代日本が西洋建築を取り入れながら、軍や官庁、学校などの施設を整えていった時代の空気を感じさせる建物でした。その一方で、入り口の上には星の印が見えました。乃木館を見学した直後だったため、その星を見た瞬間に「やはり軍隊に関係する建物なのだろうか」と自然に思いました。

説明パネルによると、旧善通寺偕行社は、陸軍第十一師団の開設に伴い、将校たちの社交場として明治36年、1903年に建設された建物だそうです。偕行社とは、陸軍将校の親睦や交流のための施設で、単なる事務所や兵舎とは異なり、会合や儀礼、社交の場として使われていた建物です。善通寺に第十一師団が置かれたことで、この地域は軍都としての性格を強めていきました。その歴史の一端を、旧善通寺偕行社は今に伝えているのだと思います。

善通寺というと、どうしても空海ゆかりの霊場としての印象が強くなります。しかし、実際に歩いてみると、この街には古代・中世から続く信仰の歴史と、明治以降の近代軍事都市としての歴史が重なっていることが分かります。善通寺の境内で感じた宗教的な時間の厚みと、乃木館や旧善通寺偕行社で感じた近代日本の足跡は、一見すると別々のもののようでありながら、同じ町の中でつながっていました。

旧善通寺偕行社は国指定重要文化財に指定されているそうです。近代建築としての価値だけでなく、善通寺という町がどのように変化してきたのかを伝える歴史的な建物でもあります。今回は中には入りませんでしたが、現在は貸し会議室としても利用されているそうです。かつて将校たちの社交場であった建物が、今も地域の中で使われ続けているという点にも、保存建築ならではの面白さがあります。ただ眺めて終わる文化財ではなく、時代を越えて役割を変えながら生き続けている建物なのだと感じました。

夕方の光の中で外観を眺めていると、善通寺での一日が少しずつ締めくくられていくようでした。弘法大師ゆかりの寺を訪ね、乃木館で近代の軍事史に触れ、さらに駅へ向かう途中で貴重な試作ポストと旧善通寺偕行社に出会うという、予定以上に密度の濃い散策になりました。観光地として大きく紹介されている場所だけでなく、道中でふと見つけたものに足を止めることで、その町の別の顔が見えてくることがあります。

外から建物を眺めたあと、翌日に観光を予定していた徳島へ向かうため、善通寺駅へ歩き出しました。善通寺で見たものは、寺院の歴史だけではありませんでした。信仰の町としての長い時間、近代国家の中で軍都となった時代、そして現在も文化財を活用しながら暮らしの中に残している姿が、短い散策の中に重なっていました。夕方の寄り道でしたが、旧善通寺偕行社は、善通寺という町の奥行きを感じさせてくれる印象深い場所でした。

旅程

羽田空港

↓(飛行機)

高松空港

↓(バス)

琴平町

↓(鉄道)

善通寺駅

↓(徒歩)

乃木館(陸上自衛隊 善通寺駐屯地資料館)

↓(徒歩)

善通寺

↓(徒歩)

旧善通寺偕行社

↓(徒歩)

善通寺駅

周辺のスポット

  • 善通寺
  • 香川縣護國神社

地域の名物

  • うどん

リンク

コメント

このブログの人気の投稿

斎宮歴史博物館:柵列の間をくぐり抜け、古代国家の祈りに触れる、祈りの都が農村へ変わるまで

斎宮跡を歩いたあと、その流れのまま斎宮歴史博物館へ向かいました。駅前から感じていた木造風の意匠や、整えられた景観の延長線上に、この博物館の落ち着いた佇まいがあり、ここでようやく「斎宮」という言葉が指す世界の輪郭を、資料と展示で掴めそうだと思いました。斎宮は史跡としては広々としていて、当時の建物がそのまま立ち上がっているわけではありません。その分、見学者の頭の中で想像を補う余地が大きいのですが、博物館はその空白を、根拠と手触りのある情報で丁寧に埋めてくれる場所でした。 ちょうど特別展「天地(あめつち)の神を祈りて-伊勢神宮、そして斎宮-」が開催されており、展示室に入ると、ここが古代から信仰の重要な舞台だったことを、古墳時代の出土品などの実物資料を通して実感できました。伊勢神宮が成立していく過程、そこに斎宮・斎王という制度が結びついていく必然性が、単なる言葉の説明ではなく「この土地から出てきたもの」と一緒に語られるので、歴史がふわっとした神話のように遠ざからず、現実の地層の上に積み上がった出来事として迫ってきます。斎宮跡を先に見ていたからこそ、「あの広い区画が、ただの空き地ではなく、国家的な祈りを担う装置だったのだ」という感覚が、じわじわと身体に染みてきました。 特別展のあとに常設展を見ていくと、展示室が二つに分かれている構成が分かりやすく、斎宮という存在を別々の角度から立体的に捉えられるようになっていました。展示室1のテーマは「文字からわかる斎宮」です。延喜式のレプリカが示す制度としての斎宮、そして源氏物語、栄華物語、大和物語といった文学作品の中に現れる斎宮や斎王の姿が並ぶと、斎王がただの宗教的存在ではなく、宮廷文化の文脈の中でも強く意識された存在だったことが見えてきます。文学の中の斎王は、歴史の事実だけでは捉えきれない感情や視線をまとっていて、制度の説明とは違う温度で当時の人々の心情を想像させます。 さらに、文字が書かれた土器や印といった資料も展示されていて、「斎宮は祈りの場」という一言では片づかない、運用のための事務や情報のやりとりが確かにあったことが伝わってきました。展示の中には、武官や男女の子どもの等身大人形と当時の衣装があり、そこに復元された葱華輦(そうかれん)や斎王の居室の再現も続きます。文字資料を中心とする展示室1なのに、こうした視覚的・空間的な復元がし...

新島旧邸:京都の町なかで思いがけず出会った特別公開

京都文化博物館に行くために京都市に来たこの日、私は開館までの時間を使って京都御苑を歩いていました。ところが、京都御苑は思っていた以上に見どころが多く、閑院宮邸跡や京都御所、桂宮邸跡などを見て回っているうちに、気づけばかなりの時間が過ぎていました。少し急ぎ足で京都文化博物館へ向かっていた途中、ふと目に入ったのが「新島旧邸 特別公開中」という文字でした。その瞬間、「あの新島だろうか」と思って案内を見ると、やはり同志社の創立者として知られる新島襄の旧邸でした。まったく予定していなかった立ち寄りでしたが、こうした思いがけない出会いも旅の大きな魅力です。入り口のスタッフの方に尋ねると、毎週土曜日は特別公開の日で、建物の内部も見学できるとのことでした。ここまで予定以上に時間を使ってしまっていましたが、せっかくの機会なので見学することにしました。 新島襄は、明治時代の日本において近代的な教育の実現を目指した人物として知られています。海外で学び、キリスト教や欧米の教育思想に触れた新島襄は、帰国後に京都で同志社英学校を創立し、日本の新しい教育のあり方を切り開こうとしました。その新島襄が暮らした旧邸が、京都の町なかに今も残されていること自体、とても貴重なことだと思います。しかも、この建物は単なる住まいではなく、新しい時代の思想や暮らし方を映し出す場でもあったのでしょう。明治という、和と洋、伝統と近代が激しく交差した時代の空気を、建物そのものから感じ取ることができるように思えました。 最初に見た日本風の附属屋は、落ち着いた雰囲気の建物でした。展示品もありましたが、同志社社史資料センター所蔵資料のレプリカが中心だったようで、いつか訪れてみたいと思っていた資料センターの予習のような時間にもなりました。この附属屋は新島襄の両親のために建てられたものだそうで、そのことを知ると建物の見え方も変わってきます。新しい時代の教育を志し、西洋の知識を積極的に取り入れた新島襄ですが、その一方で家族を大切にし、日本的な暮らしの空間もきちんと用意していたことが伝わってきます。近代化というと、何かを一方的に捨てて新しいものに入れ替えるような印象を持ちがちですが、実際にはこうして古いものと新しいものを併せ持ちながら進んでいったのだろうと感じました。 続いて見学した母屋は洋風の造りで、附属屋とはまた違った魅力がありま...

寺田倉庫G1ビル:NAKED meets ガウディ展:“作品鑑賞”ではなく“思考体験”としてのガウディ

東京都品川区の寺田倉庫G1ビルで開催された「NAKED meets ガウディ展」に行きました。2月11日の午後に一度訪れたときは、想像以上の人気で入場が3時間待ちになってしまい、その日は予定を変更して引き返しました。せっかくなので仕切り直し、別の日の朝10時少し前に再訪すると、この時間でもすでに人が多く、入口を抜けた先のエレベーター前でしばらく待つことになりました。展覧会が始まる前から熱量が伝わってきて、「ガウディは“作品”というより“体験”として見られているのかもしれない」と思いながら列に並びました。 会場に入ると、まずガウディの生涯が簡潔に紹介されます。19世紀後半から20世紀初頭のバルセロナは、産業の発展とともに都市が急速に膨張し、同時にカタルーニャ独自の文化が芸術へと結晶していった時代でした。いわゆるモデルニスモ(カタルーニャ・モダニズム)の潮流の中で、ガウディは歴史主義や装飾の流行に回収されない、自然の秩序そのものを建築へ翻訳するような道を選びます。その入口として、この展覧会は「自然から得た造形美」を前面に出していました。 印象的だったのは、自然物と建築部位を並べて見せる導入です。「小麦」とサグラダ・ファミリア上部の塔、「にんにく」とカサ・バトリョの換気塔、「糸杉の円錐」とベリュスグアルドの塔、「キノコ」とグエル公園の煙突、「樹の柱」とサグラダ・ファミリア内部の柱、「ハチの巣」とカサ・カルベットの覗き穴といった対応関係が、説明とレプリカ展示で示されていました。ここで面白いのは、自然を“模倣”するというより、自然の形が生まれる理屈や強度のあり方を“借りている”ように感じられる点です。曲線は気まぐれな装飾ではなく、重さを受け流し、光を導き、空間を育てるための構造そのものなのだと、最初のコーナーだけでも伝わってきました。 次のコーナーでは、バルセロナ来訪後のガウディの作品が、少し変わった見せ方で並びます。壁面にエル・カプリチョ、カサ・ビセンス、グエル邸、アストルガ司教館、カサ・ボティネスなどのファサードが立体的に配置され、そこにプロジェクションマッピングのような映像が流れていました。建物を単体で鑑賞するというより、街の中で呼吸し、時間とともに表情を変える“都市の一部”として体感させる構成で、バルセロナの通りを歩きながら次々に建築に出会う感覚がうまく再現されている...