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善通寺:金堂から御影堂へ、空海の記憶をたどる道

香川県善通寺市の善通寺を訪れました。この日は朝から、金刀比羅宮と善通寺を目的に香川県へ来ていました。金刀比羅宮を参拝し、乃木館を見学したあと、その流れで善通寺へ向かいました。

乃木館から歩いて向かったため、境内には南大門から入りました。南大門は、観光地として整えられた明るい門というよりも、長い年月を経た木の色や、少し黒ずんだ質感が印象に残る門でした。その先には五重塔が見えており、門をくぐる前から、ここが大きな寺院であることが伝わってきました。

善通寺は、弘法大師空海の誕生地として知られる寺院です。四国八十八ヶ所霊場の第75番札所であり、京都の東寺、和歌山の高野山とともに、弘法大師ゆかりの重要な霊跡に数えられています。空海は774年にこの地で生まれたと伝えられ、唐から帰国した後の807年に伽藍を建立したとされています。寺の名前は、空海の父である佐伯善通に由来すると伝えられています。

境内は大きく東院と西院に分かれています。東院は「伽藍」と呼ばれ、金堂や五重塔などが建つ、創建以来の寺域です。一方、西院は「誕生院」と呼ばれ、空海が生まれた佐伯家の邸宅跡にあたる場所とされています。実際に歩いてみると、ひとつの寺院というより、東西に広がる大きな信仰空間を巡っているような感覚がありました。

境内に入ると、五重塔の近くでクリアファイルを配っていました。どうやら翌日が五重塔の内部に入れる日だったようです。五重塔を外から眺めるだけでも十分に見ごたえがありましたが、翌日であれば中に入れたと思うと、少し計画を失敗した気持ちになりました。この日の夜には徳島県へ移動する予定だったため、予定をずらすこともできず、旅先ならではの惜しさを感じました。

五重塔を眺めたあと、金堂へ向かいました。外から見る金堂は、屋根が二重に重なったように見える非常に高い建物で、正面に立つと強い存在感がありました。善通寺の金堂は本堂にあたり、本尊として薬師如来がまつられています。南大門から入って最初に見えた五重塔の印象が強かったのですが、金堂の前に立つと、やはり寺院の中心はここなのだと感じました。金堂で参拝し、東院の伽藍を一通り歩きました。

その後、中門から西へ向かい、觀智院を参拝しました。東院から西院へ向かう道を歩いていると、善通寺が単に建物を見て回る場所ではなく、空海の生誕地としての記憶と、真言宗の信仰の中心としての歴史が重なっている場所であることが少しずつ見えてきました。

さらに西へ進み、仁王門から西院に入りました。西院に入ると、東院とはまた違った雰囲気があります。東院が伽藍としての堂々とした空間であるのに対し、西院は空海の誕生に結びつく、より個人的で聖地的な意味を持つ場所のように感じられました。

西院の中心となる御影堂で参拝しました。御影堂は、弘法大師空海をまつる堂であり、空海が生まれた場所に関わる信仰の中心です。善通寺を訪れる前は、五重塔や金堂のような大きな建物に目が向きやすいと思っていましたが、実際に西院まで歩いてみると、善通寺という寺院の意味を考えるうえで、御影堂の存在はとても大きいと感じました。

西院には、パゴダ供養塔のような少し変わった形の建物もありました。日本の寺院の境内で見慣れた堂宇とは違う印象があり、広い境内の中にさまざまな信仰の形が重なっているように見えました。善通寺は長い歴史を持つ寺院であると同時に、今も多くの人が参拝に訪れる現役の祈りの場なのだと感じました。

一通り境内を巡ったあと、善通寺駅へ向かいました。この日は金刀比羅宮から始まり、乃木館を経て善通寺へ来るという、かなり内容の濃い一日でした。五重塔の内部公開の前日に来てしまったことだけは少し惜しかったですが、その分、南大門から入り、東院の伽藍を歩き、西院の御影堂まで進むという流れの中で、善通寺の広さと歴史をじっくり感じることができました。

善通寺は、空海の誕生地という言葉だけで説明してしまうには、あまりにも広く、奥行きのある場所でした。南大門から見えた五重塔、重厚な金堂、そして西院の御影堂へと歩くうちに、建物を見ているだけではなく、ひとつの信仰の歴史を東から西へたどっているような気持ちになりました。

旅程

羽田空港

↓(飛行機)

高松空港

↓(バス)

琴平町

↓(徒歩)

(略)

↓(徒歩)

琴平町

↓(鉄道)

善通寺駅

↓(徒歩)

乃木館(陸上自衛隊 善通寺駐屯地資料館)

↓(徒歩)

善通寺

↓(徒歩)

旧善通寺偕行社

↓(徒歩)

善通寺駅

地域の名物

  • うどん

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