東京の博物館で、キトラ古墳の壁画公開のちらしを見つけました。奈良県明日香村にある有名な古墳であることは知っていましたが、実際に壁画を見られる機会は限られているようでした。せっかくなら見てみたいと思い、応募して、キトラ古墳を訪れることにしました。
キトラ古墳は、飛鳥時代の終わりごろ、7世紀末から8世紀初頭ごろに造られたと考えられている小さな円墳です。高松塚古墳に続いて発見された壁画古墳として知られ、石室の中には四神、獣頭人身の十二支像、そして天井の天文図などが描かれていました。現在は古墳そのものに入るのではなく、取り外され、保存・修復された壁画を、保存管理施設で期間を限って見学する形になっています。
当日は、応募した見学時間よりかなり早めに到着しました。まず向かったのは、キトラ古墳壁画体験館「四神の館」です。ここでは、キトラ古墳の石室の構造や、壁画に描かれた内容について、模型やパネルを通して学ぶことができました。
特に印象に残ったのは、石室の壁面と天井が、古代の宇宙観をそのまま閉じ込めたような構成になっていることです。東西南北の壁には、玄武、青龍、朱雀、白虎の四神が描かれ、その下には方位に対応する十二支像が配置されていました。さらに天井には、星々を描いた天文図があります。古墳というと、被葬者を葬るための場所という印象が強いですが、キトラ古墳の場合は、死後の世界や方位、天と地の秩序まで含めた、非常に大きな世界観が石室の中に表現されているように感じました。
今回公開されていたのは、天井に描かれた「天文図」でした。展示パネルを見ると、四神や十二支像など、他にも貴重な壁画が残っていることが分かります。最初は、なぜ今回は天文図だけなのだろうと思いました。しかし、この疑問は後で実物を見たときに自然と理解できました。
次に、発掘や調査、保存の歴史についての展示を見ました。1972年に高松塚古墳の壁画が発見された後、地元の人たちから似たような古墳があるという情報が寄せられ、それがキトラ古墳の調査につながったそうです。その後、石室の中に外気を入れないようにしながら、ファイバースコープなどを使った慎重な調査が行われました。
この調査の展示は、エンジニアとしても興味深いものでした。初期の調査では、映像の解像度も現在の感覚からするとかなり粗いものでしたが、調査のたびに機材が進歩し、より鮮明に石室内部を確認できるようになっていきます。文化財の調査というと、考古学や美術史の世界という印象がありますが、実際には映像技術、保存科学、特殊な道具の開発など、さまざまな技術の積み重ねによって成り立っていることが分かりました。
やがて、石室の手前を覆う保護施設が整えられ、人が直接作業できる環境がつくられました。ただし、壁画や天井部分は非常にもろくなっており、そのまま残しておくことが難しい状態だったようです。そのため、専門の道具を開発しながら、壁画を少しずつ取り外し、修復していく作業が行われました。その後、石室は保護のために閉じられ、古墳は埋め戻されています。
この説明を読んだとき、少し不思議な気持ちになりました。私は今日、キトラ古墳の壁画を見るために来たはずです。しかし、古墳は埋め戻されていると説明されています。では、いったいどこで壁画を見るのだろうかと思いました。
四神の館の展示は十分に充実していましたが、見学の予約時間まではまだかなり余裕がありました。そこで、すぐ横にあるキトラ古墳そのものを見に行くことにしました。
外に出て少し歩くと、小高い場所に小さな円墳が見えてきました。周囲は芝生できれいに整備され、古墳全体が静かな公園の中に大切に置かれているようでした。ただ、展示で見た通り、内部に入れるような場所はありません。入口らしいものもなく、今は古墳そのものを保存することが優先されていることが分かります。
「公開」と聞いていたので、最初は古墳の中に入って壁画を見るようなイメージを持っていました。しかし、実際には古墳は守られ、壁画は別の場所で管理されているのです。この時点では少し拍子抜けした気持ちもありましたが、同時に、古代の遺物を未来に残すためには、見たいという気持ちだけでは済まないのだとも感じました。
それでも、古墳の周囲はとても美しく整えられていました。飛鳥の風景の中に、小さな円墳が静かに残されている様子は、派手ではありませんが、時間の厚みを感じさせます。内部を見ることはできなくても、この場所に立つことで、壁画が描かれた石室がかつてこの下にあったのだという実感が少し湧いてきました。
まだ時間があったため、近くの檜隈寺跡にも立ち寄りました。こちらについては別の記事で書く予定ですが、キトラ古墳の周辺には、古代の飛鳥を感じられる史跡が点在しています。ひとつの場所だけを見るのではなく、周囲を歩くことで、この地域全体が古代史の舞台だったことが少しずつ見えてくるようでした。
その後、再びキトラ古墳の近くに戻り、展望台に上ったり、売店でアイスクリームを買って涼んだりしながら、予約した見学時間を待ちました。四神の館の常設展示は地下1階にありますが、今回の天文図の公開は1階の保存管理施設で行われるようでした。時間が近づくと、1階へ上がる階段の前で待ちました。
案内に従って小さな部屋に入ると、中央に公開中の天文図が展示されていました。そこでようやく、なぜ限定公開なのかが分かりました。
そこにあったのは、想像していたような鮮やかな壁画ではありませんでした。天井から取り外された天文図は、非常にもろそうで、時間をかけて何とか保存されている遺物そのものという印象でした。肉眼では、星を表す金の印もほとんど見えないほどかすれていました。しかし、博物館から借りた双眼鏡でよく見ると、細かな線や点が残っており、古代の人々が天の世界を繊細に描こうとしていたことが分かりました。
| パンフレットより |
この瞬間、最初に感じていた「なぜ天文図だけなのか」「古墳に入れないのに公開とはどういうことなのか」という疑問が、すっと解けたように思いました。キトラ古墳の壁画は、観光資源として気軽に見せるためのものではなく、壊れかけた状態から慎重に守られている文化財なのです。四神も十二支像も天文図も、それぞれが貴重であり、だからこそ時期をずらし、限られた期間だけ公開されているのだと実感しました。
キトラ古墳の天文図は、古代の星空を描いた非常に貴重な資料です。単なる装飾ではなく、当時の人々が天と地、方位、時間、死後の世界をどのように考えていたのかを伝えるものでもあります。小さな石室の中に、四方の神獣と十二支、そして天井の星空が描かれていたことを想像すると、古墳の内部はまるで一つの宇宙のようだったのかもしれません。
今回の見学は、最初に想像していたものとは少し違っていました。古墳の中に入り、壁一面に広がる壁画を見るような体験ではありませんでした。しかし、実際に見たことで、文化財を保存することの難しさや、調査・修復に関わる人々の努力を強く感じることができました。
古代の人々が描いた星空は、長い時間の中でかすれ、傷み、今にも消えてしまいそうな姿になっていました。それでも、そこには確かに、飛鳥時代の人々が見上げた天の世界が残っていました。きれいに復元された展示を見るだけでは分からない、壊れやすいものを守り続ける重みを感じられたことが、この日の一番大きな収穫だったと思います。
見学を終えた後は、高松塚古墳へ向かいました。キトラ古墳と高松塚古墳は、どちらも飛鳥の壁画古墳として知られています。先にキトラ古墳で、調査や保存の大変さを知ったことで、高松塚古墳を見る視点も少し変わったように思います。明日香村の史跡巡りは、ただ古いものを見るだけではなく、古代から現代まで続く「守る」という営みを感じる旅でもありました。
旅程
東京
↓(新幹線/近鉄)
飛鳥駅
↓(徒歩)
キトラ古墳
↓(徒歩)
檜隈寺跡
↓(徒歩)
(略)
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