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橿原神宮:古代の壁画を見たあとに訪れた、もう一つのはじまりの場所

キトラ古墳の壁画を見るために朝から明日香村を訪れ、キトラ古墳や高松塚古墳をめぐったあと、橿原市へ移動しました。目的は橿原神宮(かしはらじんぐう)を参拝することでしたが、その前に近くの奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に立ち寄ったところ、想像していた以上に見応えがあり、気づけばかなり時間が過ぎていました。そのため、橿原神宮に向かう頃には、すでに夕方の空気になっていました。

橿原神宮は、初代天皇とされる神武天皇と、皇后である媛蹈鞴五十鈴媛皇后を祀る神社です。日本書紀などに伝わる神武天皇の即位の地、橿原宮の跡とされる場所に、明治時代に創建されました。古代そのものの遺構というより、近代国家の中で「日本のはじまり」を象徴する場所として整えられた神社でもあります。朝から飛鳥の古墳を見てきた後だったこともあり、古代の記憶と近代の国家観が重なる場所に来たような感覚がありました。

今回は北の入口から境内に入りました。まず印象に残ったのは、大きな木製の鳥居です。朱色に塗られた鳥居ではなく、木の色がそのまま生かされており、巨大でありながらも落ち着いた雰囲気がありました。そこから続く北参道はかなり長く、歩き始めてすぐに、境内の広さを実感しました。

参道には砂利がきれいに敷き詰められていました。見た目にはとても美しいのですが、距離が長いこともあり、歩いてみると意外と足を取られます。明日香村で古墳や史跡を歩いた後だったため、なおさら長く感じました。ただ、その歩きにくさも含めて、神域へ少しずつ近づいていく感覚がありました。舗装された道を効率よく進むのではなく、あえて時間をかけて歩くことで、日常の感覚から少し離れていくようでした。

拝殿のある区域に近づくと、北神門が見えてきました。これもまた大きく立派な門で、参道の長さに続いて、建物の規模にも圧倒されました。門をくぐると、広々とした空間の奥に拝殿が見えます。建物と建物の距離が非常に大きく、奥行きのある構成になっているため、視線が自然と遠くへ導かれていきます。

参拝したときには、正面に見える大きな建物を拝殿、そのさらに奥に見える建物を本殿のように感じていました。しかし後で調べてみると、私が拝殿だと思っていた建物は外拝殿で、本殿だと思っていた建物は内拝殿でした。本殿はさらに奥にあり、内拝殿での参拝も通常は事前の申し込みが必要なようです。実際に現地で見たとき以上に、神宮の奥行きが深いことを後から知りました。

この構造を知ると、境内で感じた「遠さ」の意味が少し分かる気がしました。橿原神宮は、近くで細部を見るというより、広い空間の中で距離を感じながら参拝する場所なのかもしれません。飛鳥の古墳では、石室や壁画、副葬品のような具体的な古代の痕跡に向き合いましたが、橿原神宮では、古代の物語を大きな空間として体感するような印象がありました。

参拝を終えた後は、南の方へ進み、深田池を見ました。広い境内の中に水辺があることで、拝殿前の厳かな雰囲気とは少し違う、穏やかな空気が流れていました。

その横にある長山稲荷社にも参拝しました。大きな神宮の中にある稲荷社は、少し身近な雰囲気もあり、広大な境内の中で印象が変わるのが面白く感じられました。

その後、表参道から外に出て、東京に帰るために橿原神宮前駅へ向かいました。朝から明日香村を歩き、古墳や壁画、博物館を見た一日の最後に訪れた橿原神宮は、体力的には少し大変でしたが、その分、夕方の静けさの中で強く記憶に残りました。

古代の陵墓や壁画を見た後に、神武天皇を祀る神宮を参拝したことで、考古学的な古代と、神話や国家の物語としての古代の違いも感じました。橿原神宮は、単に大きな神社というだけでなく、日本のはじまりをどのように記憶し、形にしてきたのかを考えさせられる場所でした。

旅程

東京

↓(新幹線/近鉄)

飛鳥駅

↓(徒歩)

キトラ古墳

↓(徒歩)

檜隈寺跡

↓(徒歩)

文武天皇陵(栗原塚穴古墳)

↓(徒歩)

高松塚古墳 / 高松塚壁画館

↓(徒歩)

飛鳥駅

↓(近鉄)

橿原神宮前駅

↓(徒歩)

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館

↓(徒歩)

橿原神宮

↓(徒歩)

橿原神宮前駅

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