スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

東方明珠電視塔:現代都市・上海で感じた未来と伝統、光に照らされる上海の街

上海旅行の初日、私は昼間に豫園などの歴史あるスポットを訪れた後、夜になって東方明珠電視塔へと足を運びました。上海といえば、近年ますます発展を遂げる国際都市として有名ですが、その近未来的な街並みの象徴ともいえるのが、この東方明珠電視塔です。 タワーの外観は非常に特徴的で、まるで宇宙船か、あるいは未来都市を思わせるようなデザインです。特に真ん中に大きな球体が配されている様子は、上海の数ある高層ビルの中でもひときわ異彩を放っています。昼間の観光中も、その独特な姿が遠くからでも目に入り、「あそこに登ってみたい」と自然に思わされるほどでした。 東方明珠電視塔が完成したのは1994年のことで、建設当時はアジアで最も高いテレビ塔の一つでした。高さは468メートルあり、現在でも上海のランドマークとして世界中から多くの観光客を惹きつけています。このタワーはテレビ電波を発信する役割を持つだけでなく、観光名所として展望台やレストラン、博物館なども併設されています。 私は夜に展望台に上り、窓の外に広がる上海の夜景を堪能しました。眼下には黄浦江がゆったりと流れ、対岸には外灘の歴史的建築群がライトアップされて浮かび上がります。近くには超高層ビル群が林立し、それぞれが美しくイルミネーションに彩られていました。昼間に訪れた豫園の静かな佇まいと、夜の東方明珠電視塔から見下ろす光り輝く上海のコントラストがとても印象的で、伝統と現代が共存するこの街の多面性を実感しました。 タワーの展望台には、ガラスの床を備えたエリアもあり、高所が得意でない方は少しスリルを感じるかもしれません。しかし、そのスリルさえも、特別な旅の思い出となりました。地上から見上げたときの圧倒的な存在感と、展望台から見下ろす上海の街並み、どちらも旅の高揚感を存分に味わわせてくれます。 上海の過去と未来が交錯するこの地で、東方明珠電視塔は単なる観光スポット以上の意味を持っているように感じました。都市の成長とともに歩んできた歴史を感じながら、私は夜風に吹かれて静かに上海の景色を見つめていました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 豫園 ↓(徒歩) 江海関/外灘 ↓(徒歩) 東方明珠電視塔 ↓(徒歩) ホテル 周辺のスポット 上海市歴史博物館 金茂大廈 上海中心 地域の名物 上海料理 リンク 東方明珠塔[東方テレビタワー] | 観光-上海ナビ

江海関/外灘:近代と現代が向かい合う、黄浦江のほとり

黄浦江(こうほこう)の河畔に広がる外灘は、初めて訪れてもどこか懐かしさを感じる不思議な場所です。この日は仕事の予定で上海に滞在していましたが、空いた時間を使って一人で市内観光をしていました。豫園(よえん)を歩き回ったあと、その足で外灘(がいたん、ワイタン)へ向かいました。 ビルの合間を抜けていくと、ふっと視界が開けて黄浦江の広い流れが現れます。秋の終わりの冷たい空気の中、河畔の遊歩道を北に向かって歩き始めました。対岸には、未来都市のような高層ビル群が林立し、その手前には茶色がかった川面が静かに流れています。一方、自分が歩いている西岸側には、まったく時代の違う西洋風の重厚な建物が並んでいて、近代と現代が向かい合っているように感じました。 しばらく歩くと、ドーム状の屋根をいただいた西洋風の建物が見えてきます。石造りのファサードは堂々としていながらもどこか柔らかく、夜になるとライトアップされてより一層存在感を増しそうだと想像しました。その奥に、ひときわ高い時計塔を持つ建物が見えてきます。これが江海関(こうかいかん)、上海税関の建物です。 江海関の歴史を少し振り返ると、この建物は単なる「きれいな古いビル」ではなく、上海が世界に向かって港を開いていった象徴とも言える存在です。もともとの税関は清の康熙帝(こうきてい)の時代、17世紀末に海禁が解かれた後に設置され、長江流域の貿易を管理する拠点として機能していました。やがて上海の海外貿易が急速に発展し、外国船は現在の外灘付近を好んで停泊するようになります。その結果、税関も市壁の外、黄浦江沿いへと移転し、列強の租界と密接に結びついた「江海関」として運営されるようになりました。 現在の江海関の建物は、1920年代に建て替えられたものです。1925年に着工し、1927年に完成したこのビルは、当時の最新技術である鉄筋コンクリート構造を採用しながら、外観はギリシア復古様式の落ち着いたネオ・クラシックな意匠でまとめられています。黄浦江側の部分は八階建てで、その上にそびえる時計塔は約90メートルに達し、完成当時は外灘で最も高い建物でした。 時計塔に設置された大時計は、設計がロンドンのビッグベンを手本としており、アジア最大級の機械式時計と言われます。四面に配された文字盤は直径5メートルを超え、内部の鐘もイギリスで鋳造されて上海まで運ばれました。長...

人民広場(上海):上海の都会のオアシス

元投資のために上海に来ています。元で預金する場合、日本では直接預金することはできず、円またはドルで中国の口座に送金し、中国国内で元に換金する必要があります。 ホテルの近くの人民広場(People's Square)に来ました。 人民広場(People's Square)は、上海市の中心部に位置する広大な公共広場で、市の行政・文化の中心地としての役割を担っています。上海のランドマーク的な場所であり、歴史的な背景や周辺の文化施設が豊富なことから、市民や観光客にとって人気のスポットです。 人民広場の歴史は、かつてこの場所に存在した上海競馬場に遡ります。競馬場は1862年に開場しましたが、第二次世界大戦後、1949年の中華人民共和国の成立と共に、競馬場は廃止され、その跡地が広場として再整備されました。1952年に「人民広場」として正式に公開され、その後、1970年代から1990年代にかけて再開発が進み、現在の姿になりました。 人民広場は上海の中心部、黄浦区に位置し、地下鉄1号線、2号線、8号線の人民広場駅が直結しているため、交通の便が非常に良いです。広場周辺は市内のショッピングエリアや観光スポットへのアクセスも抜群です。 人民広場の周辺には、上海の文化と歴史を象徴する施設が点在しています。 上海博物館: 中国の歴史的な文物や芸術品を収蔵している有名な博物館です。特に青銅器、陶磁器、書画のコレクションが充実しています。 上海大劇院(Shanghai Grand Theatre): 国際的に有名な劇場で、アジアでもトップクラスの公演施設の一つです。1998年に開業し、そのモダンで壮大な建築が特徴です。設計はフランスの建築家ジャン=マリー・シャラン(Jean-Marie Charpentier)が担当しました。 上海城市規劃展示館: 上海の都市開発の歴史と未来を紹介する展示館で、特に巨大な都市模型が注目されています。 人民公園: 広場の隣にある緑豊かな公園で、リラックスした雰囲気を楽しむことができます。週末には、親が子供の結婚相手を探す「結婚市場」が開かれることでも知られています。 人民広場周辺は上海市民の集いの場であり、政治的な集会や祝祭、国際的なイベントが開かれることもあります。また、平日には散歩や運動を楽しむ市民が多く、上海の都市生活を感じることができるスポ...

三人兄弟(タリン):三つのはずが四つ?タリンの不思議な家並み散歩

タリン旧市街を歩いているとき、ふと路地の先に、肩を寄せ合うように並んだ家々が見えてきました。タリン観光2日目です。石畳のゆるやかな坂道に、三角屋根の家がきれいに並んでいて、「あ、あれが三人兄弟だな」とすぐに分かりました。 タリンといえば、まず有名なのは「三人姉妹」ですが、実は旧市街には「三人兄弟」と呼ばれる家並みもあります。どちらも中世の商人住宅で、細長い敷地に三角屋根を通り側に向けて建てた、ハンザ都市らしいゴシック様式の家です。1階は吹き抜けのホール兼作業場、上の階は穀物や商品を貯蔵する倉庫という造りで、かつての商人たちの暮らしぶりがそのまま立体的に残っています。 タリン旧市街そのものが「中世の町並みがよく残る都市」として世界遺産に登録されていますが、その雰囲気を象徴する一角と言ってよさそうです。 建物の前に立ってじっくり眺めてみると、右から太くて背の高い白い家、少し細くて低い白い家、さらに細くて低い薄黄色の家、そして最後に、薄黄色の家より太いけれど背は低い黄色の家が続いていました。「あれっ、四つあるな……?」と首をかしげながら、しばらく立ち尽くしてしまいました。どう見ても四軒並んでいるのに、名前は「三人兄弟」。おそらく、真ん中の二軒が本来の「兄弟」で、端のどちらかは、たまたま似た姿でくっついて並んでいる“ご近所さん”なのでしょう。そんなことを考えながら眺めていると、どの家にも性格があるように見えてきて、兄弟たちの性格まで想像したくなります。 ここでふと、日本語の名前のことも気になりました。タリンやリガの建物は、日本語だと「三人姉妹」「三人兄弟」と紹介されることが多いですが、日本語の感覚だと「三姉妹」「三兄弟」と言った方が、すっきりした響きがあります。本来、エストニア語やラトビア語では「三人の兄弟」という素朴な表現で、建物に人間味を持たせるような愛称として使われているはずです。それを直訳しようとして、「三兄弟」だと少し意味が変わる気がして、「人」を足してしまったのかもしれません。観光案内のどこかで見かけた「三人兄弟」という表記を、そのまま自分のメモにも書き写してしまったのだろうなと、今になって少し照れくさくなります。 とはいえ、「三人」でも「三」でも、兄弟たちが並ぶ姿の親しみやすさは変わりません。白・黄・緑と色の違う家が肩を寄せ合い、通りの向こうからやって来た旅人...

聖オレフ教会:タリンの空に刺さる一本の尖塔

タリンの旧市街を歩いていると、屋根の海の向こうに一本の尖塔がすっと立ち上がっていました。遠くからでもよく目に入るその塔に導かれるように近づくと、そこが聖オレフ教会(St. Olaf's Church)でした。 入口から塔の内部へ進むと、石造りの階段は薄暗く、まるでTVゲームのダンジョンを進むような雰囲気です。 途中からは急な螺旋階段になり、足元の感覚だけを頼りに一段一段を確かめるように上りました。 やがて扉を抜けて外に出ると、そこは屋根のふもと。青緑に風化した金属葺きの屋根が目の前に広がり、単純な円錐に見えた尖塔も、展望台付近には意匠が施されていることに気づきました。足場は驚くほど狭いのに、視界は一気に開け、赤い屋根の旧市街から港、遠い海までを一望できました。展望台までは約232段。おおよそ60メートルの高さに設けられたこの回廊が、塔の上りつめた者だけに許されるご褒美の舞台でした。 教会の起源は中世にさかのぼります。12世紀に創建されたと伝わり、献堂先はノルウェー王で聖人となったオーラヴ2世です。タリンがデンマークの支配を受ける以前、北欧の商人・住民の信仰の中心でもあったとされ、13世紀の文献に名前が現れます。宗教改革期にはルター派の教会となり、戦後のソ連期を経て、現在はバプテスト教会として礼拝が続けられています。 この尖塔には、いくつもの伝承やドラマが重なっています。16世紀末に非常に高い尖塔が築かれ、かつて「世界一高い建物」と称されたことがありました。ただし当時の度量衡の解釈などをめぐって研究者の見解は分かれ、現在は「ヨーロッパ屈指の高塔だった」という理解が穏当でしょう。現在の尖塔の高さはおよそ123〜124メートルで、昔日の“最高”伝説を今に伝えるランドマークであり続けています。 高く細い塔は何度も落雷に見舞われ、1625年と1820年には火災で尖塔や屋根が焼失しました。銅や鉛の金属葺きまで燃え広がったと記録され、度重なる再建をへて19世紀に現在の姿が整えられます。風雨にさらされて青緑の肌をまとった屋根の色は、その歴史の厚みを静かに物語っているようでした。 ソ連時代には、この塔が監視・無線通信の拠点として使われたこともあり、宗教建築でありながら都市の記憶を映す「塔」としての役割を担ってきました。旧市街の赤瓦と海の青、そのあいだに立つこの塔は、時代ごとに...

三人姉妹:窓辺のフックが語るエストニアの中世の知恵と暮らし

本日は、ラトビア・エストニア観光の4日目、タリン滞在2日目です。エストニア・タリンの旧市街を歩いていると、中世の雰囲気を色濃く残した建物がいくつも目に入りますが、その中でもひときわ目を引くのが「三人姉妹」と呼ばれる建物です。太っちょマルガレータ(ふとっちょマルガレータの塔)など、市内のランドマークを巡ったあと、この三人姉妹に足を運びました。 三人姉妹は、15世紀から16世紀にかけて建てられたゴシック様式の商人の邸宅が3軒並んだもので、現在はホテルとして使われています。3棟並ぶ姿がまるで仲の良い姉妹のように見えることから、この愛称で呼ばれているそうです。石造りのファサードや、当時の面影を残す窓枠、堂々とした扉のデザインなど、古い時代のタリンの繁栄を感じさせます。 デジカメ時代の撮影では、パノラマ機能がまだ一般的ではなかったため、建物全体を一枚に収めるのは難しく、分割して撮った写真を帰国後に合成したのも良い思い出です。こうした歴史的な建物の外壁を見ていると、ふと気になるのが、建物の高い場所に取り付けられたフックのような金具です。実際、三人姉妹にもそれぞれフックがついていました。調べてみると、これは高層階の荷物や家具を直接外から引き上げたり下ろしたりするための道具で、中世ヨーロッパの商家によく見られる工夫だそうです。当時は階段が狭かったり、重い荷物を室内で運ぶのが大変だったため、このような仕組みが発達したのでしょう。 時代を経て、三人姉妹は姿を変えながらも、その美しさと実用性を保ち続けています。2003年にホテルとして生まれ変わり、旅人を迎え続けていると聞きます。古い石造りの壁の中には、何百年にもわたる商人たちの生活やタリンの歴史が静かに息づいているようでした。 タリン旧市街の散策の途中で、もしこの三人姉妹の前を通りかかったなら、外壁のフックや窓の細部までぜひ目を向けてみてください。時代を超えて今に伝わる知恵や美意識を、そっと感じることができるはずです。 旅程 (略) ↓(徒歩) 太っちょマルガレータ ↓(徒歩) 三人姉妹 ↓(徒歩) 聖オレフ教会 ↓(徒歩) 三人兄弟 ↓(徒歩) Tallinna Linnateater ↓(徒歩) (略) 周辺のスポット 太っちょマルガレータ Tallinn Horse Mill 聖オレフ教会 リンク Historic Hotel i...

猫の家:怒ってる?驚いてる?屋根の上の表情

リガ旧市街を歩いていると、クリーム色の外壁に窓が並ぶ可愛らしい建物の尖った屋根に、背中を弓なりにして尾を高く掲げた猫の像がちょこんと乗っていました。円錐屋根の稜線に前足と後ろ足を器用に掛けて踏ん張る姿は、地上で同じ格好をされたら怒っているのか驚いているのか判断に迷いそうですが、屋根の上ではむしろ街の守り神のような落ち着きがあり、見上げるこちらの頬がゆるみました。猫の素材は銅で、背を丸め尾を立てたシルエットが遠目にもはっきり分かります。 この建物は「猫の家」と呼ばれ、場所は旧市街のメイスタル通り(Meistaru iela)。目の前はカフェが並ぶリーヴ広場で、すぐそばには音楽ホールとしても知られる大ギルドの堂々たる外観がのぞきます。広場を囲む建物群の彩りと相まって、猫の家の黄色い外壁が広場の風景に温かみを添えていました。 猫の家が面白いのは、ただ可愛いだけではなく“小さな因縁”の物語を背負っていることです。もっとも有名な伝承では、建物の持ち主だった地元商人が大ギルドへの加入を拒まれた腹いせに、屋根の猫たちの“お尻”をギルド側に向けて据え付けたのだとか。のちに裁定で向きを変えるよう命じられ、現在はギルドを向く形に直された――そんなオチまで付いています。現地では向きを意識せずに眺めていましたが、伝承を知ってから写真を見返すと、怒って背を丸めたようにも、びっくりして体を反らせたようにも見えるポーズが、持ち主の悔しさと茶目っ気を同時に語っているように思えてきます。 大ギルド 建物自体は1909年の完成。設計はフリードリヒ・シェッフェルで、中世風の意匠にアール・ヌーヴォーの要素を織り交ぜた外観が特徴です。リガはヨーロッパでもアール・ヌーヴォー建築の密度が高い都市ですが、そのなかで猫の家は物語性と造形がうまく結び付いた、街歩きに欠かせない“名脇役”だと感じました。 私が訪れた日も、広場には花壇が波のように連なり、カフェのテラスからは賑やかな話し声がこぼれていました。ふと見上げると、円錐屋根の端で猫が今日も四肢を踏ん張り、どこか斜に構えた視線を遠くへ投げています。怒っているのか、驚いているのか――その曖昧さこそが、旅人の想像力をくすぐる魅力なのだと思います。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 聖ローランドの像 ↓(徒歩) ブラックヘッドハウス ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 聖ペテロ教会 ...